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ゴジラ-1.0~誰も死なない戦争なんてないんだよ~

2023年公開(日本)
監督、山崎貴 脚本、山崎貴
キャスト、神木隆之介 浜辺美波

以下より、ネタバレあり



特攻機の不具合という形で大戸島に不時着した敷島は、そこで謎の生物「ゴジラ」に襲われる。敷島と整備兵の橘以外の全員がゴジラに殺されてしまう。
特攻から逃げ、ゴジラを撃つこともできなかった敷島は、「終わらない戦争」を抱えながら戦後を生きる。
そこに、ゴジラが再び現れる――。


すごく長くなってしまったので、要約した感想をトップに貼っておきます。
興味のある方は詳しい感想も読んでみてください。

~要約感想~


正直、最初の印象は、ゴジラが徹底的な加害者として描かれ、頭を破壊され体がバラバラになって死ぬ、心臓だけになってしまうのが辛すぎて、話は面白かったけど悲しみのほうが強かったです。
※2回目を観て、心臓ではなく肉塊であることに気づきました。

しかしいろいろ考えるうち、「このゴジラさんは敷島のトラウマを解消するためにひと肌脱いでくれているんだ。撃破されるのも『満足したか?』という演技なんだ」と思うことで納得することにしました。

「終わらない戦争をゴジラ相手(敵国の代替)にやり直し、勝利して終わらせる」、「自分たちは血を流さず敵だけ始末する」というのが、反戦メッセージ(ゴジラといえば反戦反核です)として、うーん? どうなの? 自分的にはちょっと怖いぞ。とも思いました。

しかし敷島や他のキャラクターたち個人個人の”戦争”を終わらせる映画だと思えば、これで良いのかもしれません。

小説版だときちんと、水爆でこんな体にされてしまったゴジラの被害者性も描かれているそうなので、それをもっと映画で出してくれればなあ💦

ゴジラさんが登場するときのテーマ曲などの演出はすごくマッチしていて、何度でも観たいくらいです。

特撮映画として映像はとても良いので、観るならぜひ映画館で観ることをお勧めします。

いろんな方の感想を読んでいて思ったのは、私は「ゴジラ映画」って、ゴジラにも感情移入して観る、そういうジャンルの映画だと思っていたんですが、どうもそうではないのだなと。

「今回のゴジラは感情移入しないタイプね」と、けっこう柔軟に皆さん観てらっしゃるのかなと思いました。

シン・ゴジラに続き今作も人間中心でゴジラの人格が薄い内容だったので、次回はそろそろ、ゴジラが主体のお話が観たいなあ🦖

とりあえずもう一回観に行こうと思います。

~要約ここまで~

以下、詳しい感想。

私はゴジラが大好きなのです。
ゴジラはどんな形でもいい。ただそこに存在しつづけてくれればそれでいい。
ゴジラが毎年あったころは、「来年のゴジラ観るまで絶対死ねない」と思っていたし、ゴジラが復活した後も、制作決定する度に「次のゴジラを観るまでは絶対に死ねない」と思いながら生活しています。
とにかく大好き!! 何観ても面白い! 全力で甘やかしちゃう!

そんな私が今回の映画をどう思ったのか。
お読みください。

ざっくりいえば、「ゴジラの扱いが受け入れがたいのと、表面と本質がちぐはぐで怖い」です。
ただ、映像や演出はかなりよく、ゴジラのテーマ曲の使い方は歴代でもトップクラスというくらい好きです。

では詳しい感想を。どちらかといえばネガティブです。
個人の感想なのでご容赦ください。

ゴジラという映画は、エンタメなだけではなく、テーマやメッセージ性が大切な作品だと思っていますので、そこを重視した内容となっています。

まず、映像、音楽はめっちゃ良い!
ゴジラパートだけではなく、軍艦や戦闘機もめちゃくちゃに格好良いです。
監督は軍艦・戦闘機が大好きということで、なるほど、だからかと納得しました。
反戦や平和への想いとは関係なく、やっぱり国(国民)の為に闘う人や兵器を格好良いと思うのは自然な感情だと思いました。
国家や情勢の強いる理不尽の中で当時の日本(=私たちのいる未来)の為に闘ってくれた、闘わざるを得なかった存在。それすらも戦争と一緒に否定する必要はないですよね。

ただ、ゴジラとの闘いで、戦争であった悲しいことをなくし、良い部分だけ残して成功させたような展開は、危うさも感じました。
闘えば誰か死ぬし、特攻すれば死ぬのが現実ですよ。
パラシュートが開いたから助かったけど、爆発に巻き込まれて死ぬ可能性だって十分にあった。運が良かっただけ。映画だから成功しただけ。
特攻は決してしてはいけないのだと、それは肝に銘じていたいです。

アキちゃんいるのに特攻するんかーい!? お前は降りろと言って下ろしたのに、結局現場に駆け付けるんかーい!?

「生きて、抗え」
でも、誰も死なない戦争なんてないんだよ。

そこに限らず、表面上で描かれていることと、本質的に物語の中で起きていることがちぐはぐになっている点が「怖い」と思いました。

【怖いシーン1 ゴジラ殲滅作戦の参加者を募るシーン】

「これは強制じゃない。各々の事情で帰りたい人は帰っていい」といっているけど、この状況、帰りにくいですよね。
戦時中の特攻だって志願だったけど、実質強制状態だったのでしょ。こういう同調圧力も戦争の怖さではないのでしょうか。

というか、アキちゃんが待っている主人公に声をかけるなよ! 悪魔のささやきかよ!
(この学者、柔和なキャラとは裏腹に、実は一番覚悟の決まった狂気があって、キャラクターとしては好きです)

リーダーのおっちゃんも、「アキちゃん待ってるだろ」って帰してやれよ。
「終わっていない」戦争を、もう一度ゴジラ相手にやって成功して「終わらせる」って、本当にそれでいいのかと思いました。

【怖いシーン2 生き生きと整備をするみんな】


ゴジラと戦うために、元海軍や元軍人の志願者たちが、船の整備をするシーン。めちゃくちゃいい笑顔で生き生きと整備をしています。
戦争で役立たずで生き残ってしまった自分たちが、今度こそは日本(郷土や人々)を守りきるのだという覚悟。

これは、本当に、どういうメッセージを発したい映画なのでしょうね?

戦争は良くないのは前提としつつ、一貫して描かれているのが、「もう一度戦争(ゴジラはその代替)をして、今度こそは誰も死なずに勝つ」という内容に感じるんですよね。誰も死なない? ゴジラは死んだよ(生きてたけど)。

まるで「戦争が悪いわけではない。負けたのが悪いのだ」と言っているようで、「戦争はよくない、平和が一番」と教えられてきた自分にはずっと違和感がありました。
そりゃ、やりたくなくても戦争をしなければならないときはあるでしょう。でも、何か美化している感じがあるんですよね。

戦争を美化する作品を作ってもいいですが、そういうのはオリジナルでやってほしいです。
反戦の想いを抱えて死んだ芹沢博士の登場するゴジラという作品で、やっていいことでしょうか。
もし監督にそういう意図がないのだとしたら、自分には本来の意図が伝わってきませんでした。

【怖いシーン3 お前は残れと言ったのに来た小僧】


「お前は残れ」と言って、一番若く、戦争経験のない小僧を強引に作戦から下ろします。「戦争なんて経験しないのが一番なんだ」(この台詞からも、ゴジラが戦争のメタファーとして描かれているのが伝わります)と。それはその通りだと思います。
大人が子供を戦争に向かわせてはいけないのです。若いたくさんの命を散らしたことで、それは教訓として残ったはず。大事なシーンです。

なのに……
なのに……!

「きちゃった(ハート)」

きたんかーい!!

小僧「これで役立たずは返上ですよね!」
おっちゃん「(何か忘れたけどポジティブな返し)」

いやもうここは、「馬鹿野郎!」くらい言ってくれよ。
役立たずだから置いてきたんじゃないだろ、戦争体験のない若者に戦争を体験させないために置いてきたんだろ!? 何、喜んでいるんだよ。

これは敷島の特攻でも同じです。
敷島は確かにパラシュートで脱出して生きていました。
でも、それはたまたま生きていただけだし、橘が許してくれたからというだけです。
爆風に巻き込まれて死んだかもしれないし、橘が許してくれなかったら死ぬのが正しかったのか? という話になります。

せめて、すべてが終わった後に、小僧と敷島をおっちゃんがぶん殴って、それから抱きしめるなどあればまた違いました。

このおっちゃんは、言うことは立派だけどなんだか薄っぺらいキャラクターとなっていて残念です。

形だけは強制しない、形だけは船から降ろす、形だけは特攻しない。できない。だから自発的にする展開にしている。というの、めちゃ怖いです。

すべてにおいてテーマに対するフォローがなくてもやもやします。
橘にもおばちゃんにも、敷島を責めたことに一言謝ってほしかった。
「許された」なんてスタンスの物語にしてほしくなかった。だって、敷島は悪くないから。
今度は特攻できたって、それで生きて成功したって、「あんたは悪くない」ってだれかに言ってもらわないと戦争は終わらない

また、アキ子の存在が主人公にとって何も意味をなしていないのも気になりました。
アキ子がいても心は癒されなかった。特攻の意志を止められなかった。結局、彼が生きることを決めたのは、橘に許されたからです。
これから、ようやくアキ子と典子に向き合えるようになるのでしょうが……。

話自体は飽きることはなく楽しく観ることはできたんです。ただ、違和感とかツッコみどころが気になるだけで。
これ、実際の戦争と関係のないストーリーなら、ツッコみつつも普通に見れたと思います。
”真面目な戦争モノ”というのを前面に出されて、エンタメとして見切れない中で、特攻や戦争を描かれると、現実の問題と切り離しては観られないわけで。そうすると、細かいことはいいんだよ! とできない心情となり。
(もしかして、真面目に観たのが間違いだった? でもゴジラである以上、戦争を扱うなら真面目に扱ってほしいんよなあ)

【一番、怖くて残念なこと】


ゴジラがただ怖いだけで、結局何なのかわからない存在なこと。
そのゴジラが、「戦争のメタファー」として描かれていること。

何かわけわからないものが来て、それを退治するのが戦争ですか?
意志も心も命も抱えたものと争わないといけないのが戦争ではないのでしょうか。
だから悲しいし、苦しいし、やるせない。
敵兵を死なせた元軍人がPTSDになる。

「ゴジラ」は、何も悪くない生き物が、水爆実験に巻き込まれて怪獣となった生き物です。
「人間の業の被害者である」
これはゴジラという作品の根幹に関わるテーマだと思っています。

シン・ゴジラの時も同じポイントが残念だったのですが、ゴジラが生き物として描かれていないのです

シン・ゴジラはたまにはこういう作品もあっていいかなと思ったのですが、2作連続で日本のゴジラがこうなのは、自分としては受け入れがたかったです。監督が別なので、過去作のことを言われても……と言うのはあると思いますが、まあ、感想なのでご容赦ください。

さらに今回は、テーマ性的に、かなり「命」というものを重視して描く必要があるタイプの作品だと思うんですよね。

しかし、ゴジラが生き物として描かれていない。
いや、生き物なのかもしれません(結局、何なのか作中ではっきり描かれていない)。
終始、何を考えているかわからない怪物として描かれ、憎まれ、殺されます。
死ぬ時ですら、頭を破壊され、体が崩れ落ちるという、生き物の死にざまとは思えない描かれ方をされます。
最後にみんなで敬礼をしますが、そこまでゴジラの感情もゴジラへの感情も描かれていないので、とってつけたようで不自然でした。

生き物として描かれていない、というか、生き物っぽいのに生き物の扱いをされていない、のが嫌というのが適切ですね。

私は敬礼はゴジラにしたのだと思いましたが、知り合いは「敷島にした」と思ったそうです。「ゴジラをここまで悪く描く映画で、あそこで敬礼なんかさせるわけがない」と。
それもわかります。ゴジラへの敬礼にしてはあまりにも表現が雑っぽい。表面だけ敬礼しているだけに見えます。ここまでの流れや今の表現だけだと、なぜいきなり敬礼する気になったのかわからないくらいです。

ゴジラへの敬礼ならば、もっと溶けていくゴジラを丁寧に映して、今この時命が尽き果てようとしている、生き物が死んでいくことを伝わるようにしてほしかったです。
ゴジラという生き物。その命を奪うことへの敬意や誠意が感じられません。

まだ敬礼せず、他の表現ももっと非生き物的にした方が「対生物ではなく対概念」となって、戦争のメタファーとしてはマシな気がします。ただそうすると、本当にゴジラから尊厳やアイデンティティーを奪うことになり、ゴジラ映画としてはどうなのかと思います。
ああでも、描き方によっては、案外ありか? もののけ姫のシシガミ様やだいだら法師みたいな感じ。ちょっと面白いかもしれない。

戦争なら敵、災害なら害獣、命を奪うことは仕方ないときがある。
けれど、そこに何の重みも感じなくても良い、とするのは怖いなあと思いました。
「いただきます」と手を合わせるのを無意味と思い出したら終わりです。

さらにゴジラは、人間の業の犠牲者でもあります。
だからこそ初代ゴジラの芹沢博士は、ゴジラと心中する。人間が犯した業の犠牲者への、せめてもの誠意として、「俺も一緒に地獄に行くから、人間のことを勘弁してくれ」という意味もあったのではないか。
デストロイアでは、溶けたゴジラで東京が放射能の海と化す。それを主人公たちは、人間の罪として受け入れる。でもゴジラジュニアが、その罪をすべて吸い上げて代わりに背負ってくれる。それは人間に育てられたジュニアの、最後の人間への絆。孤島で静かに暮らせたはずのジュニアは、ゴジラとして生きることになる。

ゴジラを屠るというのは、何の代償も払わないでできるほど軽いことではないのです。
代償を払わないなら、せめて後味の悪さくらいは引き受けなければ。
「生きて、抗え」誰も死なせない。それがこの映画のテーマなのはわかります。しかしそれならなぜ、ゴジラも静かに海に帰してあげなかったのでしょうか。倒せなかったゴジラが、人間たちを一にらみした後に背を向けて去っていく。人間にあれだけ甘い展開なら、それくらいしてくれてもよかったのにと思います。

ゴジラ映画は時代に合わせていろいろなテーマが付加されます。
それでも絶対にぶれてはいけない、そこがなくなったらゴジラではない、というポイントはあると思っていまして。
「反戦・反核」「ゴジラは人間の業の被害者」この二つがなくなったら、自分的にはゴジラ映画ではなくなってしまいます。
昭和のゴジラなど、ゆるゆるとした作品はありますが、それらは核の被害者という設定が前提としてあった上での物語だと思います。
ハリウッドゴジラにも反核のメッセージはありました。また、人間との対立はあるものの決して悪とは描かれていません。
そして今回の映画では、そのどちらもがなくなっていました……。描かれていない、どころか、能動的にゴジラの被害者性を廃し、徹底的な加害者として描いているのが、辛かったです。

ゴジラ映画において、核の被害者は人間だけではありません。ゴジラ自身が放射能に被爆した被害者なのです。
ただ放射熱線をまき散らす恐ろしい怪物ではないのです。

ビキニ環礁で被爆させられて、何を思ったの? どんな思いを抱えて銀座まで来たの?
そこを描くことこそが”ゴジラ”なのではないでしょうか。

というか、テーマや精神性以前の問題として、ゴジラが何か描かれていないのは、物語としてどうのだろう。
この物語のゴジラは何なの? 生き物なの? 怨念なの? 何で銀座に来るの?
誰かkwsk。

再生するとはいえどゴジラの顔を壊してほしくなかった。顔を爆発させて欲しくなかった。
最後の崩れていくゴジラには胸が締め付けられる。あれが生き物の死か? あまりにもひどい。物じゃないんだ。

あと、ラストに心臓だけドックンドックンとなるやつ。
※2回目を観て、心臓ではなく肉塊であることに気づきました。
あれは「ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃」が元ネタですよね、わかります(キリッ)。
ゴジラが生き物というより怨念っぽいところも、「誰かがやらないといけない」という台詞も、オマージュだと思いますので、監督がこの作品が好きなのが伝わります。
私も好きな作品ですが、ラストのゴジラが心臓だけになるのは、嫌だったんですよねえ。すごいショックで。生きているとはいえどゴジラをこんな姿にしてほしくなかったなと。あのゴジラは怨霊だからまだアリですが。

そして今回の作品。
ゴジラが海に崩れていった時点で、予想はついていましたよ、ええ。
そして、本当にそうなりました。

や、やりやがった……。

また心臓だけにされてしまった……。

生き物としての誇り、怒り、悲しみ、それでも強く生きる怪獣王の威厳。
人間が驕り高ぶった時に海から現れ、圧倒的な力で破壊の限りをつくす。それに抗う人間に、そろそろ勘弁してやると、背中を見せて悠然と海に帰っていく。
そんなゴジラが観たかった。

シンゴジラでは生き物としての畏怖や威厳は感じられた。
今回はそれすらもなくて。

しかし、監督はゴジラが大好きらしいんですよねえ。
そして、監督の過去作には、「STAND BY ME ドラえもん」があります。観ていなかったのですが、とんでもない情報を発見しました。
未来から送られてきたドラえもんが目的に反した行動をとると、なんと電気ショックを受けるという設定があるというのです。
信じられない……なんて、残酷なんだ。
しかし、監督はドラえもんも大好きらしいんですよねえ。

何か、あれか、愛するものをこの手で壊したいみたいな嗜好でもあるのか!?
(ちなみに山崎監督の作品でも、「ジュブナイル」は好きです。ジュブナイル、リターナー、永遠の0、今作は観ました)

あるいは、海外展開するうえで、ビキニ環礁での被爆や、核の被害者という側面を大きく出せないとか、そういう裏の事情でもあるのでしょうか。


【追記】2回目観に行って、何がそんなに受け入れがたかったか考える。
そもそもゴジラと戦争って関係がない。ゴジラが起こした戦争でもないし、何なら戦争の被害を受けている立場。
なのに「俺の戦争は終わっていない」と強調されるのが、「ゴジラ関係なくない?」とずっともやもやしてノリきれなかったのかなと。それでゴジラをタコ殴りにして「俺たちの戦争終わらせたぜうぇーい!」って、あまりにも可哀想じゃないか?
そんなことをして反戦や平和を語られても一方的ではないか。

あと、ゴジラが最初生き物っぽかったのが、最終的に生き物に思えない倒され方をしたのが嫌だったけど、水爆を受けていったん「死んで」怨霊(ゴジラという怪物)になったと考えたら少し納得した。
しかし、それって余計に後味が悪くないか? 

話の裏側にはゴジラの悲劇があるのだとしたら、登場人物がそれを認識せず倒して終わりなのは後味悪く感じてしまう。
せめて敷島とゴジラの目線、お互いの怒りが交わるような一瞬があれば。
あるいはゴジラを倒して船を降りた後、海をちらっと振り返る(ゴジラに思いを向ける)ようなシーンがあれば印象がかなり違ったと思う。
いろいろ惜しさを感じる。
(ただ”ゴジラの死”自体、めったなことだと味わいたくないのが本音だし、それをやるならゴジラに焦点を当ててほしい)

また、ゴジラは「戦争の恐怖」の象徴でもあるかもしれないが、それと同時に「被爆国日本」でもある。
だからこそ日本に来るのだ。この痛みを芯から共有できる相手だから。
そういう気持ちがあったら、もう少し扱い方は変わったのではないだろうか。うーん、あったけど、少し駆け足になりすぎちゃったのかな。

【追記終わり】

【リアリティの面】

アキ子はどこから連れてきたのかというくらい本当にかわいらしかったです。しかしこんな小綺麗でかわいらしい子供が戦後すぐの困窮した時代にいるのか? と違和感はありました。可愛かったからそれはまあ全然よいのですが。

橘や近所のおばさんの怒り。
私は戦時中や戦後を良く知りませんが、あんな理不尽な怒り方をすることがあるのでしょうか?
そういう人間もいるかもしれませんが、反応が極端すぎて不自然に感じました。
急に赤ちゃんの世話をしてくれたり、生きるのを許してくれたり。もやもやしました。

主人公の情緒不安定さ。
あんな急に怒りだしたりって、感じが悪すぎて、よく仕事仲間が受け入れてくれるな……と、その懐の深さに感心しました。
それにしても、彼も感情の動きが極端すぎて、シナリオに動かされている感が強かったです。
(戦争トラウマによる情緒不安定なのはわかるが急に怒りだす→投げっぱなし。に感じる)

ただしどの役者さんも演技が素晴らしかったので、そんな不自然さもギリギリ不快には感じず観ることができました。
主人公から脇役まで、役者さんの演技は素晴らしかったです。

【ゴジラのデザインについて】


シンやハリウッド版よりは私のなじんでいるゴジラに近いフォルムや顔でした。
特に目がちゃんと生き物でそこは良かったです。
少しだけ好みを言うと、もっと頭が大きく、お耳がついているほうが好きかもしれません。
グッズを買おうと思った時、全身が欲しいのですが、このフォルムの全身だと頭が小さくて物足りないんですよね。

放射熱線を吐くときに背びれがガッコンガッコンと出てくるところは格好良かったです。
熱線が青色なところも良かったです。ゴジラの熱線が青いのは放射能の色なのでは派なので。(シン・ゴジラも何で紫にしたのとは思いましたが、本質に影響するものではないので不満というほどではありません)

【良かったところ】

映像や演出面はとても良かったです。

特にゴジラのテーマ曲の使われ方が演出としてすごくマッチしていました。腹に響いてゴジラが「怖い」とまさしく思いました。
単純にお約束のBGMがきたー! わーい! という感じでは全然なく、ゴジラの存在感や恐怖を煽るのに最大限に活かされていました。

ゴジラのシーンは本当に良くて、何度も観たいくらい大満足でした。

【最後に】

最終的にはなんだかとても悲しくなってしまった。

今まで、どんなゴジラでもそこに在り続けてくれればと思っていた。
今回。初めて、ほんの少しだけ、「もう休ませてあげて。眠らせてあげて」と思ってしまった。

シン・ゴジラに続き、今後も生き物として扱われないなら、ゴジラに映画館で会えなくてもいい(会えればもちろん嬉しいが)。ただどこかの無人島か海の底で穏やかに暮らしていてくれれば、それでいい。

しかし絶賛している方も多いので、私個人のゴジラ観と違うというだけなのかもしれません。
皆さんはどう思われたでしょうか?
これから他の方の感想を漁って、新たな見方を見つけていこうと思います。

(やっぱりゴジラは観たいから。次は生き物としての感情と、それが尊重されたゴジラを作っていただけることを期待します)

【余談(陰謀論)】

知り合いは「近いうちに日本も戦争をせざるを得ないから覚悟しておいてねというプロパガンダ」と言っていました。そういう陰謀論は好きではないのですが、たしかにそう感じたくなってしまいたいくらいの怖さのある作品でした。

そうするとどうでしょう。国はあてにならないから民間ががんばるんだよ、というメッセージになります。
いや、国ががんばらなあかんのよ!!
今までのゴジラシリーズでは、自衛隊(やそれに準ずる組織)が守ってくれた。でも今回は誰も守ってくれない、だから民間が闘う。そういう話なのに気づいて、軽い絶望を覚えました。
ゴジラは時代や世相に影響されながら続くシリーズですが……。
今の時代に求められる「ゴジラ」って、これでいいの?
これが現実でいいの?

ちょっと真剣に考えないといけないフェーズなの、かも?

もう一つ思ったこと。
私にはこの映画の「戦争をやりなおし今度こそ終わらせる」という内容は、好意的にとれなかったのですが。
あの戦争を体験した人たちや、その子供に、(敵国もなく)誰も死なずにやり遂げた未来を見せたい。敷島のように特攻から逃げた人もいるかもしれない。そんな心の傷をいやしたい。そういう映画だとしたら、今だからこそ必要な作品だったのかもしれません。
(これが当時の方々を救える物語なのかは私は判断ができませんが)

そう思うと、私のような戦争をしらない子供たちに向けた映画ではないのかもしれませんね。


『ゴジラ FINAL WARS』のパンフレットで、俳優さんのコメントにあった言葉。
「君は決して加害者ではない、被害者なのだよ。」
この想いだけは、ずっと持ち続けていたいです。


【(追記)こう解釈すれば面白いかも】


他の方の感想で、ゴジラは戦争怪談、または敷島が呼び起こしたなどというのを観て、自分の中で面白いと思える解釈が出てきました。
ちょっとだけ思ったのは、もしかしてこのゴジラは敷島(や他の隊員たち)の夢や幻だったりするのでしょうかね? だからゴジラの存在がふわふわしている。敷島たちがトラウマを乗り越えるために観た集団幻覚だったというなら、面白いです。

あるいはゴジラがトラウマを抱えた敷島の為に動いてくれている。最後、やられたのも「これで満足したか?」というゴジラの演技。だから典子のいる銀座にくるし、最後の戦いでも誰も死なないし、典子も生きている。反戦とかそんな大仰な気持ちではない、もっともっと純粋に、俺のトラウマを乗り切るための物語。
すべて終わった後にやれやれという感じで海で再生している。それだったらアリです。敷島に業も感じるしゴジラの尊厳も保たれただの加害者ではなくなります。業には、戦争がそれだけ人を追い込むという悲惨さも感じられ、反戦の話としても成立します。
登場人物の挙動が極端な部分は、敷島から見た世界に変換されているから。敷島の意志を汲んでくれる特級呪霊的な。

敷島が夢か現実か悩む描写が印象的なのは、上記の可能性への示唆ではないだろうか。

今回のゴジラさんは演技しているんだ、人間のためにひと肌脱いでいるんだ。

【小説の情報】
いろいろと感想を観ていますと、小説版の情報が目に入ります。
小説版(これも山崎監督執筆)だと、ゴジラの感情はしっかり描かれているらしいんですね。水爆で変異させられたことへの怒りや痛み。それによって人を憎み、街を壊しに来る。

何で! 映画で! それを表現しないのおおお!

やっぱり撃破されるシーンがよくないと思うんですよね。
あそこで、ちらっとでいいから、ゴジラの痛みを出せていれば。観客と登場人物(特に後者)に「ああ、ゴジラも苦しんでいるんだ」というのが伝わるようになっていれば!! こんな悲しい第一印象の感想を書かなくて済んだのに。
むしろ劇中での凶悪具合が反転して、かなりぐっときたと思います。

せっかく今回のゴジラは「目」が魅力的なんですから、デストロイア戦でジュニアが死ぬ時のように目をアップで瞬きさせるなどあったらよかったような。

我がふり直せみたいな感想になってしまいました。自分も話を作る時に気をつけたいです。

いろんな感想を読んでいて思ったのは、私は「ゴジラ映画」って、ゴジラにも感情移入して観る、そういうジャンルの映画だと思っていたんですが、どうもそうではないのだなと。
「今回のゴジラは感情移入しないタイプね」と、けっこう柔軟に皆さん観てらっしゃるのかなと。
そういうものだと考えておくと、今後のゴジラ映画での扱いにも、尊厳がああとか人格がああとか思わず観られるかもしれません。
何と言ってもやっぱり私はゴジラが好きで、ゴジラを今後も観続けたいのです。そのために自分の心のありようについて考えていきます。

【追記 アカデミー賞視覚効果賞受賞】
 アカデミー賞視覚効果賞受賞、おめでとうございます。
「視覚効果賞」は特撮映画にとっては最高のほまれではないでしょうか。
 上記の感想の通り、テーマのあり方については自分にはハマらなかった作品でしたが、映像は何度も観たいと思うものでした。
 ゴジラが世界的評価を受けるのはファンとして本当に嬉しいです。
 山崎監督、ありがとうございます。
 余談ですが、監督がインタビューの時に膝に抱えられているゴジラが可愛くてソフビが欲しくなりました。

初代ゴジラの感想


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