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診断名が付くということ。【不登校】

今、絶賛考え中なこと。

息子が学校へ行けなくなってから、確か5,6か月経った頃、
子ども専門の心療内科(精神科)を探して通うようになった。
もう1年以上経つんだなぁ…あっという間だ。

実は途中で2ヶ月くらい、わたしが当時通っていた心療内科へ息子も連れて行ったんだけれど、その医師がほんとに酷すぎるおばちゃんで、わたしも息子も同時に行くのをやめた。
今思うと、息子を傷付けてしまっただけじゃないのか、なぜその医師に納得のいかないことを言われたのに、しっかりと言い返せなかったのか、
悔しくて仕方ない。
しかし、その医師は性格的に破綻していたが、精神医学的に役立つ情報は得られたので、いつまでも恨んでいても仕方ないと思うことにした。
逆に感謝することが出来れば、自分が楽になる。

そして、息子はこっそり元の病院へ戻った。(笑)
そこは大病院で家から遠いのだけど、医師はとても優しく、臨床心理士も息子が気さくに話せる人。
じゃあなんで浮気したの?って思うけど、それはわたしがあのとんでもない医師の強さに惹かれていたからだと思う。
穏やかな先生よりも、強い力で引っ張ってくれるような医師に、今の状況を(息子のことよりも夫のことが主だったけど)何とかして欲しいという心境だった気がする。
その強さが、医師自身の気分次第で患者を罵倒するという攻撃性を内包していると分かるのに時間はかからなかった。

その医師は、ネットの口コミで目も当てられないほど批判されている。
そして、まるで『私は間違っていない』と主張するように、それらの書き込みに一つ一つレスをしているのが、とても気味が悪い。
ネットの口コミは、たまたま医師と気が合わなかった人や、嫌なことがあった人が書きたくなるんだろうなと思って、あまり気にしていなかったんだけど、人生初、口コミの真実を身をもって感じた。
あなどるなかれ、口コミ。

ということで、そんな医師とはすっぱり縁を切って正解。
(わたしもその後いい先生に出会えました。)

なぜ心療内科へ通うのか。

息子が、学校へ行くことに対してなぜ強い緊張があるのか、そこを解きほぐし癒すことが出来れば、息子も楽になり学校へ行けるかもしれない。
そう思った。
わたし自身、親子関係のストレスから、高校生の頃にパニック障害になり、その後だいぶ経ってから心療内科へ通い、楽になって来た。
だから心療内科に対してのハードルは低かった。
息子もそういうわたしを見ているからか、すんなりと通うようになった。(月に1回、診察とカウンセリング)
息子も楽になりたかったんだろうなと思う。

心理テストと診断名

年末に息子の心理テストをしてもらった。
何かこう『これが分かりたい!』みたいなものがあったわけではなくて、ヒントになるようなことがあればいいな、という気軽な感じだった。

でも実は、子どもに対して行う心理テストには、真実の姿が現れないことも多いし、成長につれて結果が変わっていくこともあるし、結果がその後の本人や周囲に固定観念や偏見を生む危険性もあるので、結果の取り扱いには気を付けなければいけないし、実施には慎重を期した方がいいとも思っていた。

息子は、ここ1年の診察の中でADHDがあるかもしれないと言われていた。
多動はないが、こだわりが強いかなと医師は言った。
普段の様子から、注意欠陥に思い当たることもあったので、確かにADHDは考えられると思った。
ADHDのお子さんで、洋服を裏表逆に着てしまうとか、家の中で色々なものにぶつかるというのを読んだことがって、息子のおっちょこちょいさが同じようだなと感じたこともあった。
と、すでにここで、息子に対してADHDのレッテルを貼ろうとしているわたしがいた。
そして案の定、心理テストに関しても引っかかっているわたしがいる。

心理テストの結果は、面談でわたしと夫だけに知らされた。
IQも出るそうで、結果は同年代の平均だった。
項目によって凸凹はあったが、臨床心理士は特にこれといった話をしなかったので、知的障害はないんだなと思った程度だった。
(その日は主治医と話はしなかった。)
ところが、先日の診察で息子がカウンセリングを受けている間に主治医と話した際、心理テストの結果の見解を聞くと、自閉症スペクトラム障害もあるのではないかと言う。
これはとても意外だった。

主治医は、こだわりが強いこと、同年代との集団行動が出来ていないこと、コミュニケーション能力が実年齢より上で大人びたように饒舌、同世代が幼く見えているようだということ、などを挙げた。
また、学校に同調圧力を感じ行きたくない、勉強することを心身が拒否している、周囲の状況が分かりすぎてしまって敏感で辛いのではないかとも言った。

これで、ASDの診断が出るのか?
日常生活で、特に困ることもなく、家庭内でも外でもコミュニケーションが取れていて、勉強という形は取らないけど、知識欲もあり記憶してそれを説明することもできる、友人とはリモートのゲームでも実際に会っても、自分たちで計画を立てて、待ち合わせして、楽しむこともできる。

『学校へ行かない、勉強しない。』ということが問題だと定義し、その他の問題行動と思われるものを見つけ出し、病名を付ける。

これって、心理検査した意味ある?と思った。
そして、ASDという診断に、少なからずショックを受けている自分がいる。
息子を見る時に、ASDな感じはあるだろうかと観察したりしている。
前半に書いた、心理テストを受けることの弊害が思いっきり出てる!
自分自身に呆れてしまった。

ADHDやASDを差別的に見ているわけではないのです。
わたし自身、生き辛い人生を送って来て、ADHDはあるかもと自覚しているし、人間関係の下手さ加減で行けばASDも十分あり得る。
夫も、かなり濃いグレーの人だと思う。

みんな、何かしら病名を付けようと思えば付けられるんじゃないか、とはよく言われていることだけど。
みんなそんなにちゃんと生きられているの?
何の問題もない人なんているんだろうか。
程度の問題なのかなぁ。

と、答えはまだ出ないまま。
1つだけ分かっていることは、息子が生きていきやすいように、わたしたちはもちろん、息子自身がそれを見つけてうまくやっていくことが一番大事だということ。
自分自身や、自分の周りの世界と、折り合いをつけていけるように。

絶賛考え中。

貧乏な歌うたいに、ちょっといいマイクを。 まだまだ子育てにお金がかかるし。自分のためにはなかなか使えない。 でもでも、歌うことは生きること。いい音で録音できたら嬉しい♪ ということで、サポートいただけたら音楽に使わせていただきます。