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人生の強み

福祉の道は、私にとって必然のように感じる。

現在私はうつ病患者として、週に1度心療内科を受診している。
毎回行きたくないなと思いながら重い腰をあげ、自転車を漕ぎ最寄りの病院へ向かう。涼しい頃なら散歩がてら歩いていってもいいかなと思うが、毎日こうも日が強いと歩く気力も奪われていく。
手っ取り早く時間を短縮するため、また体を動かす口実として、暑い中太陽の熱に体を押されえっちらおっちらとペダルを漕ぎ、病院へ向かう。

「はーあつ」

これが毎度つぶやく単語だ。

毎度サンダルに半ズボンという出で立ちのため、足は気づけば日に焼け、薄らと地肌と日焼けのあとの境目ができている。意識してしまうと残念だ。

約15分のサイクリングを終えやっとこさ病院へ着く。
たった15分でもこれだけ疲労感満載なのは日々の運動不足の賜物だろう。

病院へ着く頃には全身汗びっしょりで、感染症対策で身につけているマスクの中は、はぁはぁと呼吸を繰り返す息で生暖かくなっている。気持ちが悪い。この瞬間がどれほど時を重ねても慣れない。

一時、夏バテのようになり近くの自動販売機でポカリスエットを購入し、がぶ飲みした記憶がある。あの日は特に暑かった。あれも日頃の運動不足が災いしたのだろう。かつての脳筋が聞いて呆れる残念な話だ。

と、まぁそんなこんなで特に行きたくもない病院内は暑い街中に一瞬訪れる銀行の冷風のように冷たく気持ちいい。ここまで頑張って良かったなと思ってしまう。暑い日限定の特別な瞬間だ。

「はーよっこいしょ」

と、小さい声でつぶやき病院の待合室のソファーに深々と座る。この動作も慣れてきた。
待合室のソファーは場所ごとに自分で勝手に決めた特等席がある。電車の中でも特等席を勝手に決めどっかりと座っている人は少なからずいるだろう。それと一緒だ。
あいにく特等席に先客が座っていると、特等席よりやや順位の落ちる準特等席へ座る。そこも埋まっているとまた別の準々特等席へ座る。そこも埋まっていたらあとはどうでもいい。空いてるソファーへただ座るだけだ。

今回は空いている特等席に座れた。ラッキー。

特等席に座って喜んではいるもののこれからが長いのだ。
受診をするにあたって予約を入れるが、大抵予約時間から1時間程は待つことになる。

心療内科の需要の高さに毎度関心する。その中に自分が入っていると思うと、受診に来ている患者は知らない人ばかりだが、仲間意識が芽生える。

本を読んだり、スマホを弄ったり自分が呼ばれるまで適当な時間を過ごす。

こんな診察までとっくに慣れきっている私だが、うつ病患者としてはまだまだ初心者だ。ピカピカの1年生である。
そもそも自分自身がうつ病(精神疾患)を患うとも今までの人生、1ミリ足りとも思っていなかったのだ。

うつ病は心の風邪と言われ誰もがかかりやすい病気であると認知されている。
風邪のように誰もがかかる病気ではあるが、風邪のように薬を飲み静養をし1週間2週間もすれば治る。そのような代物ではないのがうつ病というものだ。

ここが大きな違いだ。

私は精神疾患者としてはまだまだ初心者であるので何年、何十年と病と共に生きてきた先輩方を尊敬している。

と、言うのも私は今まで福祉関係職員として従事していた。それも精神疾患、障害分野で支援員として働いていた。
縁というものは不思議なものでこういう結び付きもあるんだなと、関心をしている。

元々精神疾患、障害分野に興味があった為進学をし資格取得のため勉学に励んだ。その後新卒として精神疾患、障害者施設へ職員としてめでたく就職を果たしたのだ。
早々に夢を叶え楽しく日々働いていた。

精神疾患、障害者施設で働いていると「怖くない?」「優しいね、お世話をしているのね」といわれる。だが全てを否定したい。

精神疾患、障害のある方たちは特段怖くない。むしろ人格が出来すぎてその優しさに泣けてくる程良い人たちばかりだ。私が務めていた施設は年齢的にも皆利用者は高齢で新卒で入職した私を孫のように可愛がってくれた。むしろ私がお世話をされていた。
ありがたい話だ。

そんな人格の出来た人たちに囲まれていたので日々のびのびと働くことができていた。

ところがどっこいそんな良い施設で働いていた私だが、その施設で精神疾患を患ってしまったのだ。

初めは身体的な不調から段々と精神的な不調へと繋がっていき働くことが難しくなっていった。
思い当たるのは人間関係ではなく、勤務形態にあった。
シンプルに私にその施設での勤務形態が向いていなかったのだ。新卒で入った職場あるあるだろう。入職してみたら思っていたのと違う。こういうことだ。

体調不良が続き休む日が多くなり、申し訳なさと居た堪れない気持ちに挟まれすごく自分自身を責めてしまっていた。これがうつを進行させる原因であったと思う。勤務形態が合わないのは仕方のない事だが、いかんせん私は幼い頃から自己肯定感がとてつもなく低いのだ。
人に褒められてもあまり嬉しくない、この人嘘言ってるんじゃないの?と疑ってしまうほどだったのだ。
そんな当たり前に備わってしまっていた自己肯定感の低さが、働くことにおいて自分自身を病気に追い込む原因になっていたことは大きな穴だった。

そして半年程休職を貰い、新卒で入職し愛着のあった職場を泣く泣く退職する運びとなったのだ。

退職後、仕事に行かなければ行けないという緊張感と焦りから解放され幾分か気持ちに余裕が出てきたのは良い傾向にあった。

それからは定期的に心療内科へ通い気持ちも少しづつ前向きになっていった。

気持ちが明るくなったことでやる気も少しづつ出てきたようで、家庭内でよく喋るようになったし次の目標は何が良いかなと先のことを見据える力が湧いてきた。

愛着のあった職場を去ることは自分自身にとって勇気のいることだった。愛着があっからこそ病気や障害についてだけでなく、働き方や自分自身を見つめよく理解することが必要と学ぶきっかけになった。
ありがたいことだ。

病気や障害があれど自分自身の将来のため生活リズムのためと、施設へ通う利用者は今の私にとってとても励みになり、参考にすべき精神疾患患者のお手本なのだ。

そして職場の職員は、働き方を教えてくれる社会の先輩方だ。

利用者も職員もそれぞれの立場があり、今まで歩んできた人生の背景がある人生の先輩だ。

私は働いた職場の勤務形態でうつ病へと繋がったが今ある少しの前向きさは職場で関わってきた見本である先輩方がいるからだ。人生と患者としての目標があることで、私はうつ病は悪いものではないと思えるのだ。自分自身の体調に振り回され苦労の日々だが、それも病気にならなければ縁のない、経験しないものであっただろう。病気があることでうつ病ってこんなに大変なんだなと客観的に知ることが出来るのは私にとって人生の中で強みと言える最強の武器だろう。
だからこそ、今は少しのやる気があるのかもしれない。

私の目標は、将来自分の経験を同じうつ病に苦しむ仲間へ発信をすることだ。

病気だから悪いわけではなく、自分が選ばれたと前向きに思えるよう共に励まし生きていけたらそれだけで大成功だ。

誰もが精神疾患、障害で悩むことが少なくなる世の中へと繋がっていってほしいが、すぐに世の中を変えるのは大変なことだ。だからこそ自分から変わっていく姿を見せていくことが今自分にとって最良のことだと思う。

自分らしく生きられる人が増えるように願っている。

おわり


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