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44.「幸せのカタチ」はたくさんあった方がいい

人の視野は考え方で決まるといっていいだろう。

例えば、「幸せのカタチ」が一つしかないと考えるならば、ひとつの見方しかできないから視野が狭まる。

もちろん、生き方は人ぞれぞれだから、考え方が一つであっても「幸せ」になることができるなら、それでいい。

ただ苦しさは、視野の狭さから生まれることも多いので、たとえば「幸せのカタチ」はたくさんあると考えられるようになると、視野を広げることができる。

おそらく、近年は「幸せのカタチ」はたくさんあるという見方で生きている人が増えているのではないかと思う。

では、なぜそういった変化が起こってきたかというと、得られる情報が増えてきたからといってもいいだろう。

現在から過去ヘ遡っていくにつれて、個人が得られる情報量は少なくなっていく。

今はSNS全盛の時代だけど、それ以前は、情報の発信元はテレビや新聞、ラジオであり、個人が情報の発信源になることはなかった。

情報を発信できるメディアは、情報を発信できる特権があり、ある意味で、情報によって人を操作することも可能だった。

だから、意識的にせよ無意識的にせよ、メディアが「幸せのカタチ」を創り上げていたといってもいいだろう。

しかし、今は誰でも情報の発信源になることができるし、その個人の情報の中に「幸せのカタチ」を表すものがたくさんある。

「幸せ」は個人の主観だから、大多数の人の賛同を得ることがなくても、本人が「幸せ」を感じられるのらそれでいい。

こういった「個人が感じる幸せ」という情報が増えたことで、今の我々は「幸せ」に対する視野を広げることができるようになったといってもいいだろう。

いずれにせよ、「幸せのカタチ」はたくさんあると考えられるようになると、世の中に対する見方が変わり、広い視野で物事を観ることができるようになる。

広い視野で物事を観られるということは、「こうでなければならない」という限定的な考え方から、「そんな生き方もあるんだ」という考え方に変化させることができる。

しかも、こういった考え方の変化は、自分とは異なる他者の在り方を許容できるようにもなる。

つまり、広い視野で物事を観ることができるようになると、自然と他者に対して優しくなれるといっていい。

そういった意味でも、できるだけ広い視野で物事を捉えられるようになれたら、その分、世界を優しい眼差しで見ることができるようになる。

そして、世界を優しい眼差しで見ることができる人が増えれば、世界は平和になっていく。

なので、広い視野を持っている人が、これからも増えていけばいいなと思う。

視野が広がれば、たくさんの情報を得られるようになるものだ。

その一方で、視野を狭めるということは、情報を遮断するということでもある。

この写真は、昨日の記事で使ったもの。

目的地に急いで向かっているとき、意識はその目的地にしか向かっていないから視野は狭くなり、その他の情報を遮断することになる。

視野が狭くなっていると、人とぶつかってしまうこともあるだろう。

場合によっては躓いて転んでしまうこともあるかもしれない。

しかし、余裕を持って目的地に向かうことができれば、無理に情報を遮断する必要はないから視野が広くなる。

視野を広げることができると、得られる情報が多くなるから、それだけで楽しくなるものだし、周りの人とぶつかることなく、余裕を持って目的地へと歩んでいくことができる。

視野の狭さは「緊張」を伴わせる反面、広い視野を持てるようになると「リラックス」できるようになる。

「緊張」は「ねばならない」という思考から生まれるものであり、「ねばならない」という思いは、「方法はそれしかない」という限定的な思考から生まれたりする。

しかし「ねばならない」という思考を手放すことができれば、自然とリラックスできるようになるものであり、「リラックス」できれば視野は勝手に広がっていく。

視野が広がれば、様々な情報を得られるようになるから、その中から自分に適した情報を見つけ出すことも可能になるし、直観も得やすくなっていく。

「リラックス」によって得られる直観とは、それまで閉ざして蓋を取り払ったために湧き上がってきた情報といってよく、リラックスによって心の視野が広がると直観が湧きやすくなる。

このため、人はリラックスして過ごせれば過ごせるほど、本当に必要な情報を得られるようになっていく。

そうやって、必要な情報を得られる回数を増やしていくことができたなら、喜びの中で人生をスムーズに送っていくことも可能になるといってもいいだろう。

「リラックス」⇒「許容」⇒「視野が広がる」⇒「直観を得る」

直観とは、いうならば魂からのメッセージでもあり、この魂からのメッセージを得るには、視野を広げる必要がある。

なぜかというと、視野に制限があるとメッセージを得ることができても、それを簡単に除外してしまうからだ。

そういった意味でも、普段から可能な限り楽しんで生きていると、リラックスできるようになり、必要な状態をその都度得られるようになっていくのだと思う。

リラックスした状態で、今を楽しんでいる人が増えていけば、世界は平和になることだろう。

いずれにせよ、多くの人が広い視野で物事を観ることができるようになると、「幸せのカタチ」がたくさん生まれてくることになるのではないかと思う。

「幸せのカタチ」がたくさんあればあるほど、人は楽に生きていけるようになる。

楽に生きるということは、楽しんで生きるということ。

楽しみ方が増えれば増えるほど、多様性が生まれていく。

多様性とは「幸せのカタチ」がたくさんある状態であり、多様性のある社会が、強度を生むことになる。

多様性とは「しなやかさ」を意味する。

これからは、「しなやかさ」の時代になっていくのではないかと思う。



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