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「PhotoBank」とフィルムカメラ

富士フイルムに「PhotoBank(フォトバンク)」という、写真整理アプリがある。そして、そのメールを見たのは、たまたまだった。


ある時、「富士フイルムのスキャンサービスで懐かしい写真をデジタルデータ化」という文字が踊っているメールが、ふと目に留まった。
そして、そのデジタルデータ化を「先着2万名様に無料でお試し!」の謳い文句がダメ押しで効いた。その量にして、「ネガフィルム2本分」or「写真プリント50枚分」だという。

単純に「無料」の言葉にやられたのだろうと思うのだが、2万人といえど、ひと昔前の写真プリントをデータ化してくれるのはとても魅力的なことであり、応募が殺到するのではと考え、すぐさま申し込むことにした。

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人生初搭乗! 小学6年生のときに行った沖縄旅行での一コマ。
手前が僕だが、なんて悪い目つきをしているのだろうか・・・(笑)。ふてぶてしすぎる・・・。初めての飛行機なのだから、もっと喜んでくれ!


時々、SNSやメールの広告で、昔に現像した写真プリントやネガフィルムをデータ化させるといったサービスや機器の紹介を見受けることがある。そうした類のものを見た時には、決まっていつも詳細まで確認するようにしていた。

なぜなら、実家に現像済みの写真プリントがたくさんあることは記憶として残っていたし、おそらく今でもあるだろうという認識でいたからだ。だから、いつかそれらをデータ化させてみたいなとは、薄っすらとだがずっと考えていたことだった。


そんな中で、このメールの威力を浴びた! 効果抜群だった!

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「ああ〜、やったな〜。こんな時あったな〜」と思わせてくれた一枚


「やってみよう!」

瞬間的にそう思った。何がどう転んでもタダなのだから、利点しかないと思えた。データ化させたい! という気持ちもさることながら、このサービスを利用してみること自体がおもしろそうだと感じたことが大きかった。
(それもこれも、無料のチカラは強いということだ!)


というわけで、申し込んでやってみた。

ちょうど年末年始に実家に帰ることもあって、送っていただくキットの届け先は実家にした。写真プリント50枚を選定する作業をしなければならないからだ。

さて、実家に到着。

ちょっと重みのある封筒が届いている。封を開けて中身を確認すると、とりあえず写真プリント50枚(or ネガ2本分)を袋に入れて、返送してね、とのことだった。

早速、お父上に訊いて、写真プリントはいずこにあるのかと問うと、2階に積んであるダンボールがそれだという。


1つ持ち出し、広げてみる。
けっこうな量があった。いきなりやめたくなった(笑)。


アルバムにビシッと入っていればめくって見るだけでいいのだが、挟む時間がなかったのか、ただただ横着なのか、そのまま裸でダンボールの中に散らばっていた。

整理できていなかったので、1枚ずつアルバムに差し込みたくなってしまった。性格だろうか。それで時間が余計にかかってしまったようだ。

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富山が誇る、落差日本一の「称名滝」にて


けれども、一枚一枚見ながら作業するのは、案外苦にはならなかった。

思い出が蘇ってくるものもあれば、「こんなタイミングがあったのか」「こんな所に行っていたのか」と、記憶を司っている脳のどこかがフル回転で稼働していたことで、疲れがフッ飛んでいったのだろう。


単純に楽しかった!(しんどかったけれども・・・)


正確に数えたわけではないが、1,000枚は超えていたんじゃないだろうかと思ってしまうほどの量だった。

3兄弟ということもあるのだろうが、それにしてもそれだけの量の写真プリントから50枚を選び出すのは少なからずの困難を極めた。
(ここでは自分がメインで写っている写真を選んだが、単体は少なく、大体が兄弟やお母上・お父上と一緒に写っているものばかりだった。それはそれで温かいなと感じたのは、年齢によるところなのだろうか)

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これが今回一番のお気に入り。顔白すぎるやろ!笑
七五三の時にお化粧をしたのでしょう。バッチリ決まっているようにも見えます


本当に久しぶりに見る写真たちに、「あはは、うふふ」「こんな時期があったんやな〜」と感慨深くなることは必然だったのだが、これほどまでに写真を撮ってもらっていたのだなという気持ちもグググっとあふれてくるのは、視点が変わったからなのだろうか、年のせいなのか。


これまで全くと言っていいほどカメラや写真に興味がなかったが、一眼レフを買い、写真を撮るようになってから、いろいろと興味・関心を持つようになった。

だからこそなのだろう。

これだけの思い出を「カタチ」あるものとして残してくれていたことが、純粋にありがたいなと感じる。ちょっとだけうれしくなった。


浸りながらも、50枚を選び出す。そして、同封の袋に詰め郵送した。

数日後、富士フイルムから写真プリントを受け取った旨のメールのお知らせが来て(親切だなと思った)、一層期待に胸を膨らませることになった。


さらに数日が経ち、送った写真プリントとデータの受け取り方法が書かれた紙が送られてきた。ダウンロードには、PhotoBankのアカウントが必要だという。
ログイン後、紙に書かれたパスコードを入力すれば、写真データを受け取ることができ、ダウンロードが可能となる。

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いつのときの写真なのだろうか・・・。いろいろ撮っておいてくれてたのだなと、しみじみと両親の「記録を残しておこうという心」にありがたみを感じます


PCやスマートフォンで見る写真たちは、プリントアウトされたものと同じ空気感をまとって、哀愁と懐かしさと笑いをもたらしてくれた。

と同時に、不思議な気もしてくる。
現像された写真プリントが、手に持つ機械の画面に映し出されているのだから。

たまに見返して、元気と一種の可笑しさをもらっている。

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「バキュン、バキューン」と、何か撃っていますが、どういう格好の付け方をしているのだろうか・・・(笑)


***

たくさんある写真プリントの中から、50枚を選んでみるーー。

そんな作業をしている中、ふと「これらの写真はどのカメラで撮ってたんだ?」と気になり、お父上に尋ねてみた。すると、

「カメラを買って持ってたんだよね。それで撮ってたと思う」


そんな回答が返ってくる。さらに続けて、

「まだ持ってるんじゃなかったかな」


と言って、ガサゴソしだしたかと思うと「あった、あった」と、持ってきてくれたカメラがこれだ!

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(残ってたんかい!)

というツッコミを入れたかどうかは忘れてしまったが、今手元にある写真たちを撮映したカメラが目の前で異彩を放っている様子に、「おおお」と感嘆の声をあげていた。


ケースを開けてみる。

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またしても「おおっ」と、うなった。
テンションが上がっていたのだろうか、もしかすると目を輝かせていたのかもしれない。

「YASHICA Electro 35 GS」というカメラが、眼前で鎮座していた。1949年創業のYASHICA(ヤシカ)という会社で、Electro 35 GSは1970年に発売された、というところまでは調べた。


「いいカメラで、よく売れてたんだよ」


そう、独り言なのか、教えてくれているのか分からないほどの声量で、当時人気だった機種であることを付け加えてくれた。
1970年発売ということは、50年前の代物だ。お父上が購入したのはもっと時代が下ってからだろうと思うが、それでも歴史を感じずにはいられない。


「動かしてみたい。どんな感じなのだろうか」

興味があふれ出てきたが、実際に撮影できる状態なのかどうかも分からない。そんなこんなで、東京に戻る際に、持って帰ってくることにした。
一度、専門店なのか修理屋さんに診てもらって、動くかどうかを教えてほしいと思ったからだ。

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後日。

このカメラもまだ持ってたわ、とスマホで撮った写真をお父上が送ってきた。そこには「PENTAX ESPIO 115M」と描かれたカメラがあった。

1996年に発売された、かつての旭光学工業株式会社(Asahi Optical Co., Ltd.)の名称が、カメラの裏側に「ASAHI OPT. Co., Ltd.」と刻まれており、企業の沿革も示してくれている。
その2行目には「ASSEMBLED IN PHILIPPINES」とあるので、フィリピンで製造されたのだなと、そこまでは分かった。


(まだあったんかい!)と、心の中でツッコミを入れ、次に実家に帰った時には、このカメラも触ってみたいなと思った。
動いてくれると良いなあと願うばかりである。


続きます。

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