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飼いヤギと毛布さん

最近飼いヤギがひどく気に入っているものがある。

それは「毛布」だ。

自宅に使わなくなった毛布があったから、寒くなってきたこともあって、ヤギにその毛布をあげてみることにした。以前も別の毛布をあげたことがあったが、その時はあまりお気に召さなかったようで、大切にしてくれなかった。

しかし今回の毛布はちょっと違うらしい。人間目線で分かる違いと言えば、生地の素材が以前よりもつるつるしていてシルクのような肌触り、ということくらい。

「そんなに新しい毛布さんのこと気に入ったの?」

毛布を見つけるなり「気持ちいいですぅ」と言わんばかりに体や顔を擦り付けて、草浴びするときと同じような仕草をする(草浴びは、乾燥した具合の良い草原を見つけると行う行為で、ゴロンと寝転んで体や顔を大きくスリスリ草に擦り付けること)。

幸せのお裾分けをしてもらっているようで、個人的にはこの瞬間を見られることが一番の幸福だ。人間と同じ言葉を発しない生き物が「幸せですぅ」と体全体でご満悦な感情をアピールしてくれるのは非常に嬉しい。

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毛布と仲良くするヤギを見ているとこれ以上ないくらい心が満たされてくる。恐らく自分は生き物が大好きなのだと思う。これは昔からそうだ。母親が動物好きだったこともあり、小さい頃からいろいろと飼っていた影響だろう。

ヤギの傍にいると「こんなに可愛い生き物が家族で本当に良いのだろうか?」と感じる時がある。

もちろんそれは嬉しい気持ちから生じる感情ではあるのだけれども、どちらかと言うと嬉しさよりも驚きの割合の方が大きい。年賀状のお年玉企画に当選して「いいんですか!?」って思うのと似ている。

以前、役者さんのオーディションの裏話を聞いたことがあって、似たようなことを言っていた。「オーディションに受かった時の率直な感想は、驚き9割、嬉しさ1割でした」って。まさにそんな感じ。

もう2年以上も一緒にいるヤギたちだけど、未だにこのふさふさで不思議な生き物と暮らせていることに驚くのだ。そして少しだけ嬉しい。

本当に嬉しいことというのはなかなか信じられず、飲み込めず、いつまでも夢見心地が続いていくものなのだろう。咀嚼が追い付かない夢がいつか終わっていくのか、それとも一生終わらないのかは、まだ分からない。

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愛について語れるほど人生経験が豊富ではないが、もしかすると今感じている「こんなに可愛い生き物と一緒に生きていいのか?」という驚きと少しの嬉しみの背景には、愛とやらが横たわっているのかもしれない。

そして愛というのは時間が経つほどに増していくものと考えると、夢見心地は今後もっと色濃くなっていくと予想することもできる。

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