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「ほったらかし」で育った私は、どうやって子供から手を離せば良いのだろう?

イマドキの子供は、一体何歳頃から1人で公園に行ったり、出歩くようになるのだろうか?

私は長男を小1まで、「ひとりで」公園に行かせたりする事がなかった。
そして今も、滅多にそういう機会はない。

対して、私は小さい頃から1人で出歩いていた。

そう、一番最初の記憶は3歳の時だった。

引っ越し初日に迷子になる


3歳の頃、団地へ引っ越しをした。
1棟が25世帯位、合計16棟程ある大きな団地だった。

1棟ごとに、階段側には舗装された太い道と、リビング側には草むら?があったので、間隔も広くて子供が走り回ったり遊ぶ事ができる団地だった。

引っ越しの日。
当時3歳だった私は、引っ越しの戦力どころか邪魔にしかならなかっただろう。

私は外へ出て、その広場で遊んでいた少し年上の女の子達に混ざって遊び始めた。

2階となった自宅の窓から、祖父が「よろしくね~」とお姉さん達に声をかけていた記憶がある。

しばらく遊んだ後、お姉さん達は「家で遊ぼう!」と言い出して、私はフラフラとお姉さん達について行った。
お姉さんの家にはパパもママもおらず、玄関先に隠してあった鍵で中に入り子供だけで遊んでいた。

1時間程遊んだ頃、ふと「あ、そろそろ帰った方が良いかもしれない」と思い立ち、私はお姉さんの家を出て引っ越したばかりの自宅に向かおうとした。

だけど、自宅が分からない。

同じような建物がドミノのように並んだ団地。
どの棟に引っ越してきたのかサッパリ分からず、私は彷徨っていた。

放置が当たり前だった


結局、どのようにして家に戻ったのかは全く記憶がない。
でも今こうして生きているので、無事だったのだ。

親が心配していたのかどうかも記憶がない(笑)

でも、その後も同じ幼稚園のお友達同士で16棟もある団地のあちこちで遊び回っていたので、大した騒ぎにならなかったのだ。

お出かけだけじゃなく、「留守番」も日常茶飯事だった。
1人で留守番は勿論。
お友達が来てる時に、母は普通に買い物へ出かけて行った。


小学生になると、長期休暇がくるたびに私は祖父母の家に泊まりに行くようになった。
そして1人で1週間位滞在する。

その時、私は祖母にも放置されていた(笑)

祖母は市民プールの入口まで連れていってくれるけど、中には入らない(笑)
「2時間後にお迎えに来るからね!」と言って、買い物へ出かける。

祖母は映画館へ連れて行ってくれて、お菓子もジュースも買ってくれるけど、映画は見ない(笑)
「この映画が終わった頃に迎えにくるからね!」と言って、買い物へ出かける。

母も祖母も、特別酷い人だったと思わない。
ただ「子供を連れていかない方がスムーズだ」と思うから、置いていっただけなのだ。

そして私自身も、それを「寂しい」と感じた事がなかった。

勉強は自主性に任される

思い起こせば、勉強に付き添ってもらった記憶が一切ない。

小さい頃、「ことばのべんきょう」という絵本が家に置いてあった。

きっと読んでもらったのだろうけど、読んでもらった記憶はない。
1人でパラパラめくっていた記憶しかない(笑)

そして小学校入学前後もコレと言って家で勉強らしき事を親と一緒にした記憶はない。

小学校とは何をする場所で、勉強とは何なのか何も知らなかった。

どうやって小学校生活が始まったのか、どんな風に勉強が始まったのか全く記憶がない。

だけど、小2になる頃には「授業」についていけなくなっていた。
ボーっとしているうちに授業が進み、先生が何を言っているのか分からなかった。

毎日、授業中がとても苦痛だった。
ある時「何とかしなければ!」と思い、テレビドラマの影響なのか私は「今日は徹夜で勉強する」と宣言して、寝ようとしている母を横目に勉強を始めた。

すると母は「やめてよ徹夜なんて、まだ2年生なのに」と一喝した。

今思うと、徹夜は止めるとしても何か対策を一緒に考えてくれても良さそうなモノだけど、特に勉強に付き添ってくれるような事はなかった。

そして小3になった頃、突然「こどもチャレンジ」が届くようになった。
「何とかせよ!」と言う母からの指令みたいなものだった。

だけど、勉強には付き添わない。

私は分からないなりに取り組んでいたけれど、そのうち「理科・社会」は次のページに答えが書いてある事に気が付き、特に読みもせず答えをカンニングして「教材を消化」していた。

よく分らないけど適当に書き写しているだけなので、赤ペン先生を提出しても良い点が取れるワケもなく。
成績にも変化がなく、いつの間にか「チャレンジ」は届かなくなった。

中2になると、今度は家庭教師が突然やってきた。
家庭教師と言うと、大学生みたいなイメージだけど私の所に来たのは母の知り合いの「おばさん」だった(笑)

最初は真面目に勉強していたけれど、やはり勉強が苦痛。
私は、その家庭教師さんに雑談を持ちかけて何とか「本題」の勉強をスタートさせない「前振りの雑談大作戦」を決行するようになった。

酷い時には到着から1時間程、ずーっと雑談をしていた(笑)

結局、母が期待したような効果は一切出る事がなく高校受験を終えて家庭教師も来なくなった(笑)

正反対の子育て

今思うと、自分自身はとても放置されていたと思う(笑)
勉強に関しては分からないけれど、少なくとも遊びについては周りもそんな感じだった。

対して。
私は今、正反対の子育てをしている。

私は2人の子供が未就学児の頃から「勉強の入口」にも沢山付き添った。

留守番に関しては、ポストへ行く1分位しかさせた事がない(笑)
「させない」と言うよりも、もう小2になった長男は今でも1人で留守番する事が怖いのだ。

「1人で遊びに行く」に関しても、
・目の前の公園限定(バルコニーから見える)
・最大17時まで

平日の放課後、マンション周辺の公園や広場には沢山の子供達がいる。
多くの子は17時になると帰っていくけれど、たまに18時を過ぎても遊び続けている子供もいる。

中学受験をする子供達は、塾の帰り22時頃に駅の繁華街で友達同士でお喋りしたりしている。

一体どうやって、子供の手を離していけば良いんだろう?

時代や、親の仕事、ライフスタイルが多様化しすぎてサッパリ分からない。

皆さんはどうやって手を離していきましたか?


ほったらかしで育った私が、10代の頃に大好きだった中居君。
こんな記事を見かけて、そんな事を考えてしまった。


職場の先輩たちは「今の子はみんな親に対して優しい子が多いよ」と言うけれど、それは今時の過保護な子育てが関係しているのだろうか?

〈あとがき〉
中居君の有名なエピソードの中に、中学生の頃に平塚の七夕祭りへ行き、先輩に絡まれて23時過ぎまで殴り合いをしていた…みたいな話があります。
親になってから聞くと物凄く恐ろしい話(^_^;)

今日も有難うございました!

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