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自分が何者なのか?を知る為にnoteを書いている。

突然ですが、私は「なんでもやってみる母」という名前としては呼び辛いユーザーネーム?を使用しています。

これは字の通り。
「なんでもやってみたい」ので、こんな名前にしました。

でも世の中には、何かを始める時、環境を変える時に物凄く二の足を踏む人もいる。

私も「なんでもやってみる」けれど「環境を変える」事は得意ではありません。
そんな中、ずっと「読みたい本リスト」に入っていたこちらの本を読みました。


本の内容

著書の野本響子さんは、何となく中学・高校・大学へと進み、「何がやりたいか?」と深く考える事もなく、表面的な条件で就職先を選んだそうです。

でも実際に仕事を始めると、自分には向いていない事を感じ仕事を早く終わらせて趣味に生きる生活をしていたとの事。

そんなある日、書店でこの本に出会って衝撃を受けたそうです。

時間の使い方は、生き方の問題なのです。
自分の本当にやりたいことをやらないでいる人たちは、ものすごい時間のむだ使いをしているわけです。
自分の能力とは関係のない仕事を選んでいる人に、上手な時間の使い方を教えることは誰にもできない。

著書の引用部分より

それをキッカケに「書く事」を仕事にしようと、動き始めた。
そして転職をして、まだ日本ではあまり普及していなかったパソコンを触る様になり、チャットで海外の人と交流する様になり、異文化に興味を持ったそうです(めちゃくちゃ省略しています)。

その後、結婚し生まれた子供が小学校で不登校になった事をキッカケに、遂に「マレーシアに移住」する事を決断。

本の中では主に、マレーシアで感じた日本人との価値観の違いについて書かれていました。

ハッピーじゃなければ辞める


マレーシアでは「ハッピーじゃなければ辞める」というのが当たり前。
色々な国から人が集まっているので、文化や宗教も多様性に溢れていて、学校も公立であってもそれぞれカラーが全く違う。

その為A校へ行ってみて「合わないな」「つまらないな」と感じたらB校へ転校するという事が当たり前に行われるそうです。

日本では転勤、転居など特別な事情がない限り、途中で転校するとなれば「何かイジメにでも遭ったのか?」「よっぽどのトラブルか?」と詮索されたりネガティブに捉えられますが、マレーシアでは「良いね!ホームスクーリングにするの?」とポジティブな反応が返ってくるそう。

これは社会人となってからも同様で、「ハッピーじゃなければ転職する」事が当たり前。

野本さんは、マレーシアに住む友人に対して
日本ではイジメが原因で子供が自殺をしたり、社会人になってからも仕事が忙しすぎて過労死したりする人がいるという話をしても「意味がわからない」と理解をしてもらえないそうだ。


確かにその通りなんだよな。
こうやって書いてみると「何でそこまでしてしがみつく必要があるの?」ってワケが分からなくなる(笑)

特に仕事なら生活がかかっているので、そんなにポンポンと変えられないかもしれないけれど、学校なんて我慢する必要全くない。
それなのに、どうして皆「子供を学校に馴染ませよう」としてしまうのだろう?

自分の頭で考える


マレーシアの学校では、選択の連続だそうです。
遠足に行くか?行かないか?
学校行事は全て「選択制」。

更には、部活動は長く続けてはいけないというルールがあり、とにかく色々な事を体験させる事が推奨されているそうです。

そして大人も子供も、政治や社会情勢への関心が高く2018年の選挙では投票率が82%。
子供同士でも当たり前の様に政治について話し合うそうです。


さて、どうしてそんなに皆が政治に対して関心が持てるのか?
私なりに考えてみた。

・色々な国の人と共存しているので、世界情勢の行方が暮らしに直結する。
「選択すること」が日常なので、選択によって未来が変わる事をよく理解している。

うん、そんな感じがする。

私達は子供の頃から、文部科学省が定めたカリキュラムに沿って全員同じ一律で勉強して。
その中で「より高い点数を」と期待されて、「より良い大学へ」「より大きな企業へ」と、いつも同じ場所を目指すように指示されてきた。

マンガを描く事が上手とか。
人を笑わせるのが得意とか。

カリキュラムにもない、レールが敷かれていない方向へ進みそうになると多くの親は「保障がないから辞めておきなさい」って言う。

野本さんも、著書の中で「日本の学校は我慢を覚える場所」と書いていた。
大学受験の時、「こんな勉強が何に役に立つのか?」と疑問に感じたけれど、できる人は「ゲーム化して楽しんでいるように見えた」との事。

実際に社会に出てみても、サービス残業、不本意な配置転換、転勤、理不尽な事だらけなので「学校で我慢を練習する事は理にかなっている」と感じたそうだ。

何か悲しい。
結局、どんなに経済が成長しても、サービスが良い社会になっても。

個人が「我慢」する事で成り立っているのであれば、こんな残念な事はない気がする。

自分が何者なのか?を説明する練習

野本さんのお子さんは、マレーシアに来てから
「初めて作文で本音を書けるようになった」と言っていたそうだ。

以下、概略

日本で運動会をテーマに作文を書く時に
「運動会はつまらなかった」等と書くと、「準備した人の気持ちを考えて」等と言われて本音が書きにくい。
だけどイギリス式の学校では
「どうしてつまらないと思ったのか、相手を説得できるように文章を組み立てて下さい」と指導されるそうだ。

(中略)

夢が「ある」のが正解、運動会が「楽しかった」が正解、としている限り、本人オリジナルの複雑な思考が閉じられてしまい、「力を合わせて頑張った」風の思考停止に陥ってしまう。
そして思考停止を繰り返していけば、自分が何者なのかわからなくなる。

著書より

そうなのだ。

私もこのnoteには本音を書いている。

私の記事の中で一番「スキ」を頂いたこの記事も、私の本音そのもの。
「沢山仕事をして、多くの利益を上げる事が良し」と考えている上司の前では普通は言えないような内容である。←私は、言ってしまっているが(笑)

こうやって毎日書く事で、自分の考えに気が付く。
人から反応をもらう事で「同じ様に考えている人が沢山いるんだな」と嬉しくもなる。

勿論、8時間どころか16時間位働いても苦に思わない人。
それどころか「働きたくて仕方がない人」も沢山いるだろう。

先日の7時開門の話だって、すごく助かった人もいるだろうし、助けたいという善意が前提にあり、良かれと思ってやっている事だ。

要は、「良い」とか「悪い」とかって事ではなくて。
「私は」こう思ったよという話なのだ。

それが一番大事。

この本を読んで、改めて毎日noteを続けていこうと感じた。

〈あとがき〉
沢山引用したように見えますが、本の内容はマレーシアでの仕事、暮らし、教育など新書とは思えない情報量なので、是非読んでみてほしいです。
そして私は「あまりにも世界が狭い」という事を実感しました。
日本語しか話せないし、それで困っていないし(笑)
子育てをする人として、日本の価値観しか持ち合わせていないのはこれからの時代、とても危険な気がしました。
思い切って私も移住したい!等と考えてしまうけれど、親の事や夫の説得等を考えるとそうそう思い切る事は難しいですよね。
((+_+))。
まずは語学か?

今日も有難うございました!


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