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発達障害がわかるまで〜孤独の小学生編

幼稚園編はこちらからどうぞ。 ↓

今回は小学校卒業までを記します。

楽しかった唯一の習い事

低学年(1,2年生)の頃に両親から
「英会話に通ってみない?」と言われ、言われるまま行くことになります。

これがとてつもなく楽しかったのです。
新しい言語、新しい人間関係、新しい環境ー
すべてが新鮮で、外国人との触れ合いもあり
ずっと楽しい記憶しかありません。

英会話の日になるとウキウキだった気がします。
新しい単語を覚えるのは楽しいし、
ゲームも時々するのですがやっぱり楽しかったです。

聞ける、話せる、書ける、読める。
幼少期に母国語以外の言語を習得するのは極めて大きいことです。

しかし英語は当時、小学校の教育方針には含まれていませんでした。
まだ外国語活動がなかった時期だったのです。
そのため学校内で役に立った事はありませんでした。


ゲームが友達になる

自分が幼稚園の時は「一人遊び」が自分の中の主流でした。
それが加速するものを高学年の時に自分の力で手に入れました。
「Nintendo DS Lite」です。

自分の家族ではゲームはご法度でした。
実家にはファミコンの箱があったりと過去にゲームしていたのかなと
思うのですが、ハマりすぎて禁止になったのでしょうか…

しかし学校での話題はゲームばかり。
話についていくことが全くできませんでした。
だからこそ一人遊びが中心だった、と考えています。

そのため、お年玉に加えて手元のお金で
本体とソフトを一緒に購入しました。
「ポケットモンスターダイヤモンド」が人生で一番最初のゲームでした。
かなりやり込んだ記憶があります。
ポケモンのおかげで少しずつゲームの話題が理解できるようになります。

友達ともゲームをする機会が少しずつ増えていきました。
主に、友達の家のプレイステーションで桃鉄を一緒に遊んでいました。


本を読むのは好きだけど…

更に一人遊びは加速します。「読書」です。幼稚園の頃の記憶が蘇ります。
高学年の時に読書クラブを選んで、小学校の図書館に多く通い
様々なジャンルの書籍を読んでいました。

しかし、小学生の頃は小説を読むことは少なかったと思います。
物語を想像することが容易で現実まで引きずってしまうためです。
この事は幼稚園の頃から分かっていた「想像力が強い」に繋がっています。

そのため、国語の授業は『面白くないなぁ…』と思っていました。
国語のテストもそれほど点数は高くありませんでした。
作者はどう考えているのか、主人公は何を思っているのか…
そういう事がわかりませんでした。

加えて読書感想文を書く事も苦手でした。
あらすじを書かずに感想だけで原稿用紙◯枚書くー
好きでもない物語を読んで感想を書くことは何よりも辛いことでした。

この頃から公共の図書館にも通うことが多くなります。
広いし、書籍は多いし、種類は豊富。
最初は図鑑などを多く借りて読んでいました。
小学生の頃は通して日本全国の駅図鑑をいつも借りて
貪るように読んでいました。


『暗記ってする意味あるの?』

一番辛かったことは「文章が覚えられない!」です。

文章を暗記してそれを全部言えたらOK、というものです。
担任の先生が総合的な学習の時間の中で行っていました。
その時は高学年だったため、文章もそれなりの長さがありました。

しかし、覚えられない。
『こんなの覚えられないよ…』と教室で泣いた記憶があります。
『覚えて何になるの…?』と泣きながら考えていました。

結局、頑張って覚えて言えることができたのですが、
『暗記って意味あるのかな…?』と考えていました。


「図画工作」が一番嫌いな科目

文章が覚えられないことに加えて辛かったのが図工の時間です。
幼稚園の頃、「絵を描く」のが苦手だった自分はただただ辛かったです。

特に自分オリジナルの作品を作る事が苦手でした。
踊っているポーズを紙粘土で作っていたら全く違うものができてしまい
別の題名をつけざるを得なかった…
そんな苦いエピソードがあります。

さらに苦手だったのが夏休みにある「読書感想画」です。
本を読んで感想を書く事も苦行でした。
(「本を読むのは好きだけど…」参照)

図工が苦手な自分に追い打ちをかけたのが感想画でした。
下書きをどうするか、どの絵の具を使うか、そしていつやるのか…
どんどん後回しになり夏休みの最後に母親にガヤガヤ言われて
追い込んでやった記憶があります。本当に嫌でしたね…


「カードゲーム、面白そう」

小学生の頃は子供会に入会してました。
今はすでにないものかもしれません。
近所の小学生を集めて保護者がイベントを企画していました。

自分はその集まりには興味がなく、「時間の無駄」を感じていました。
強制的だったためとても苦痛でした。

とあるイベント中の出来事。上級生が「遊戯王」で遊んでいました。
「へぇ~面白そう」自分は興味を持ちます。

クリスマスプレゼントに頼んだのは良かったのですが
もらった当時はルールが複雑、かつ難しくて理解ができませんでした。

その後高学年になると桃鉄を遊んでいる友達とプレイするようになります。
複雑なルールがなんとなく理解できるようになり楽しみを覚えました。


けん玉で褒められる

小学生の頃、学校ではけん玉が流行していました。
確か、総合的な活動の時間で学年の枠を超えてやっていた記憶があります。
学校内での大会はありませんでした。

当然、自分もその熱狂の中にいました。
難しい技ができれば出来るほど面白いのです。
下記URL先の表のように、レベル別に技が設定されていた感じです。

自宅でもしばしばやっていたら
祖父に「今度親戚の前で見せてよ」と言われたので
実際にやって見せることとなりました。

そしたら技は決まるわ、大絶賛されるわでこれでもかと褒められました。
自分が主役で写真まで撮られました(今でも祖父母宅に飾ってあります)
数少ない、家族での良い記憶の1つです。


なわとびで脚光を浴びる

6年間通じてなわとびを体育の時間にやっていました。
しかし運動は苦手でした。体型もふっくらしていました。
逆上がりはできず、持久走も下から数えたほうが早かったくらいです。

ただし、それが変わる出来事があります。
2重跳びが出来るようになったのです。
そしてさらにはやぶさ、という技ができるようになりました。
(2重跳び + あや跳び)
どうしてできるようになったかは覚えていません。

それを体育の時間にやった時は学年全員から見られていた気がします。
「はやぶさなんて出来る人、いるの?」
それくらいレアな存在だったのです。嬉しかった記憶があります。


まとめ

小学校では基本、

  • 一人で行動。友だちと遊ぶようになったのは高学年の時から

  • 校内では一人でいることが多かった

  • クラスメイトとの会話についていけず

  • 自分から話しかけることに抵抗がある

静かで真面目な少年でした。
内向的、自分の殻に籠もるような時間が多くありました。

あまり良い記憶はありません。
家族と過ごした時間は多くあった思いますが、記憶にないのです。
これは今もそうですが家族と一緒の時間を過ごしたい気持ちが
少なかったためと考えています。


今後もこちらの記事は随時更新します。

「中学生」編はこちらからどうぞ。↓


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