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レイ・ブラッドベリ追想(40年ぶりに読んだ『火星年代記』)


レイ・ブラッドベリ(Ray Douglas Bradbury)
1920.8.22 - 2012.6.5
アメリカの小説家、詩人


 先日、すごく久しぶりに再読したのがレイ・ブラッドベリの『火星年代記』…
    古典的SF小説のひとつです。

    そういえば、前に読んだのは中学生の夏休みだったんですよね、ホント、40年ぶりなのです。
 この本の最初のエピソードが「ロケットの夏」(実際は冬の話なんですが…)だったので、なんか夏に読むのが相応しい感じがして、そんな風に感じたことも思いだしたのです。

 中学生ぶりの再読になりましたが、とても面白かったです!
 多分、中学生の時以上に!!


 この『火星年代記』は、1950年の作品で、日本には1956年(昭和31年)に紹介されました。
 調べてみると、昭和31年の日本というと、石原慎太郎氏の『狂った果実』や三島由紀夫氏の『金閣寺』が出版された年だったりします。
    日本のSFはまだまだ未発達の時代、星新一・小松左京・筒井康隆氏らのSF御三家の皆さんもデビュー前の時代です。
 そんな時代の作品なんですが、いまだにオールタイムベストの上位に選ばれてたりして、長く愛されてる作品なんですよね。

 そして、今回、再読した本がこちらの2010年版

2010年〔新版〕


 この本はこう紹介されています。

幻想の魔術師が、火星を舞台にオムニバス短篇で抒情豊かに謳いあげたSF史上に燦然と輝く永遠の記念碑。

出版元の書誌情報から

 レイ・ブラッドベリや『火星年代記』を知らない方のために補足すると


”幻想の魔術師”とは

 これは作者のレイ・ブラッドベリのことです。
 ちなみに「SF界の詩人」なんて呼ばれることもあって、ブラッドベリの小説って、他のSF小説と比べると、ちょっと手触りが違うんですよね。
 詩的で、独特の抒情性のある文章、ホラーな部分もあるし、SF小説というよりも幻想小説と呼ぶ方がしっくり来るのです。

”火星を舞台にオムニバス短篇で”とは

 この『火星年代記』は長編小説ではありません。
 火星を舞台にした短編や掌編が、時系列に並べられた連作集なんです。
 なので、共通した主人公が出てくるわけではなく、地球人が入植していく時代における、火星の "年代記" となっているのです。

<新版の各エピソードのタイトル>
2030年1月 - ロケットの夏
2030年2月 - イラ
2030年8月 - 夏の夜
2030年8月 - 地球の人々
2031年3月 - 納税者
2031年4月 - 第三探検隊
2032年6月 - 月は今でも明るいが
2032年8月 - 移住者たち
2032年12月 - 緑の朝
2033年2月 - いなご
2033年8月 - 夜の邂逅
2033年10月 - 岸
2033年11月 - 火の玉
2034年2月 - とかくするうちに
2034年4月 - 音楽家たち
2034年5月 - 荒野
2035年-36年 - 名前をつける
2036年4月 - 第二のアッシャー邸
2036年8月 - 年老いた人たち
2036年9月 - 火星の人
2036年11月 - 鞄店
2036年11月 - オフ・シーズン
2036年11月 - 地球を見守る人たち
2036年12月 - 沈黙の町
2057年4月 - 長の年月
2057年8月 - 優しく雨ぞ降りしきる
2057年10月 - 百万年ピクニック

 各エピソードは、1頁程度の掌編から30頁ぐらいの短篇まで、様々です。


 後書きまで読んでいて気が付いたんですが、この2010年版の『火星年代記』は〔新版〕であって、単なる「新装版」ではなかったんです。

 ブラッドベリ自身の「序文」が付加され、「空のあなたの道へ」が削除、「火の玉」と「荒野」が追加、また、各エピソードの年が31年繰り下げられるなどの改訂が行われてるのです。
 確かに!、違和感なく読んでたのですが、旧版では最初の「ロケットの夏」は1999年でした!


 今回、再読してみて、憶えていた話は、火星に探検隊を送っていた時代の「第三探検隊」ぐらいだったのですが、他にも印象的なエピソードがいっぱいありました。
 驚きのある「月は今でも明るいが」
 奇妙な交錯が描かれた「夜の邂逅」
 この〔新版〕に他の短篇集から移植された「火の玉」と「荒野」はどちらも流れにピッタリ!
 後の長編『華氏451度』にもつながりそうな「第二のアッシャー邸」は、ポーに捧げられたシニカルな一編
 そして、地球の結末を間接的に語る「優しく雨ぞ降りしきる」…

 どのエピソードも味わい深いのです。

 この本は断片的なエピソードの集積であるがゆえ、長編作品のような盛り上がりはないんです。
 けれど、時に美しく幻想的、時にコミカルだったりシニカルだったり… そして、漂う寂寥感… 
 やっぱり、「SF界の詩人」と呼ばれるレイ・ブラッドベリらしさが溢れる作品なのでした。

 近年は、『華氏451度』からブラッドベリに入る人も多いのかもしれませんが、やっぱり、この『火星年代記』こそが、レイ・ブラッドベリなんです。

 

+  +  +  +  +  +


(ここから、ネタバレを含みます。)

 と、『火星年代記』〔新版〕を紹介してきたのですが、40年前、私が中学生時代に読んだ時は、正直に言うと、あんまり面白く感じなかったんですよね。

私が中学生の頃に読んだ時の『火星年代記』

 

 『火星年代記』って、あんまりSFしてないし、ブラッドベリの詩的で抒情性のある作風は、当時、中学生だった自分には早過ぎた感じなんです。  
 また、この本には ”火星人” が登場するんですが、火星に知的生命体が!ってこと自体、当時は古めかしく感じちゃったんですよね。

 ただ、40年ぶりに読むと、この火星人とのエピソードが面白かったりするんですよね~、不思議なもんです。
 なんかひと回りして飲み込んじゃった感じですね。(そういう年齢になったこともあるんでしょうが…)


 中学生の頃、自分が夢中になってた国内作家さんには、ブラッドベリに影響を受けたって方が多くて、アシモフハインラインクラークのSF御三家の方々以上に、レイ・ブラッドベリには特別感があったのです。
 駆け出しのSFファンとしては、ブラッドベリが面白く感じられないというのはファンとして失格かも… という変な強迫観念もあったんですよね。

 だからなのか、それほどハマってはなかったのに、文庫本はけっこう持ってたんです。

黒いカーニバル
刺青の男
太陽の黄金の林檎
キリマンジャロ・マシーン』等々(全部、ハヤカワですね…)

 まあ、昔、読んだはずの短篇集たちも、今度、再読してみようかな~っと、秘かに思う「ブラッドベリの夏」なのです。


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