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日曜日の本棚#12『細い線』エドワード・アタイヤ(早川書房)【殺人者の心理と伴走するサスペンス】

毎週日曜日は、読書感想をUPしています。
前回はこちら。

今回は、エドワード・アタイヤのサスペンス小説です。古い作品ですが、現代の読者にも届く普遍性のある作品です。

1966年公開の映画、『女の中にいる他人』の原作です。近年は、NHKBSでドラマ化されています。

あらすじ

男は罪を隠している。親友の妻と不倫をし、その女を殺したという罪を。普段通りの生活を送りながらも、逮捕への恐怖と不安は膨らんでいく。だが家族や親友は、彼が事件の犯人だとは少しも疑っていない。信頼を寄せてくれる親しい人たちに対する罪悪感が、男をさいなむ…。よき夫と殺人者とを分かつ“細い線”とは?犯人と周囲の人々の揺れ動く心理を克明に追う、これぞまさしくサスペンス。江戸川乱歩が激賞した名作。
(早川書房の作品紹介より)

光る尾美としのりさんの演技

本作は、NHKのドラマで存在を知りました。このドラマ、名優・小林桂樹さん主演の映画のリメイクという立場をとりますが、原作の心理サスペンスを忠実に再現しようとしたという点では、原作を舞台を日本に置き換えて、映像化したともいえるかと思います。

NHKのドラマは、兎に角、尾美としのりさんの演技が光ります。原作にない、ありきたりな展開ににちょっと引くところがありますが、尾美さんの演技だけでも見る価値のある作品です。NHKオンデマンドで観れますので、ご興味があればどうぞ。

小説の効用を体感する作品

殺人犯は、極悪人だ。慈悲をかける必要なんかない。とっとと死刑にしろ。
私たちは、殺人事件が起こると、このような随意反射的な考えを持ってしまいがちです。これはこれで、一種の犯罪抑止の思考でもあると思うので、必ずしも否定する必要はないかと思います。

ただ、現実には、普通の人間が殺人犯となってしまうことはあり得ます。
それを誰しも考えとして共有していたとしても、

自分が殺人犯になることは、
・いろんな条件が重なれば、もしかしたらありえるのかもしれない。
と思うか、
・どんなことがあっても、絶対にありえない
と思うか
で、本作を味わえるかどうかが、決まるのかなと思う作品です。

後者の方には、凡庸な犯罪心理小説だという感想もありそうに思います。
(実際に、Amazonのレビューにもあり、納得した次第です)

もし、前者であれば、小説による疑似体験をすることができるのではと思います。
これこそ、小説の効用というものでしょう。

サスペンスのど真ん中の作品

本作は、サスペンスと紹介されています。ウキペディアによれば、サスペンスとは、

ある状況に対して不安緊張を抱いた不安定な心理、またそのような心理状態が続く様を描いた作品をいう。

とあり、その意味ではサスペンスのど真ん中の作品です。

サスペンスと言えば、アルフレッド・ヒッチコックの作品群が思い浮かびますが、映像作家であるヒッチコックは、客体を描くサスペンスの天才といえると思っています。
自分でない「誰か」が、危機に瀕する姿を観て、ドキドキする面白さと言えると思います。

それに対して、本作は、主体をベースにしたサスペンスです。ふとしたきっかけによって、殺人を犯してしまった状況を、主人公と一緒に「自分も」その心理を体現することを味わう作品と言えます。殺人犯となった主人公と伴走することで、本作の面白さ、奥深さを理解できるのかなと感じます。

主体と客体という点でいうと、尾美としのりさんの名演技は、本来は客体であるはずの主人公が、じわじわと自分の中に入り込み、主体へと変化していきます。これこそが、NHKのドラマスタッフが目指したことではと思っています。

三人称で書かれている意味

最後に本作は、殺人を犯した主人公・ピーターの心理を丹念に追った作品であるにも関わらず、一人称で書かれていません。これには、作者の強いこだわりがあるといえます。本作が文学性よりもエンタメ性のある作品であるからそうなっているというわけでもありません。それは、ラストに関係があるのではと思います。一番類型的描かれているキャラクターに注目して読んでほしい作品です。



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