MENJO,Satoshi(校條諭)

メディア研究者、NPO法人みんなの元気学校代表理事  主著『ニュースメディア進化論』(…

MENJO,Satoshi(校條諭)

メディア研究者、NPO法人みんなの元気学校代表理事  主著『ニュースメディア進化論』(インプレスR&D、2019) 論座 https://bit.ly/3E36TtO 情報屋台 https://bit.ly/3vrq4g2

マガジン

  • ある新聞記者の歩み

    元毎日新聞記者佐々木宏人さんの記者人生の聞き書きです。入社直後の水戸支局時代を皮切りに、記者としての歩みを連載で辿ってゆきます。 佐々木さんは、経済部や政治部に所属、エネルギー分野を主対象に、通産省担当として第一次石油ショックなど、高度成長期の日本経済の最前線を取材しました。さらにその後、バブルの進行とその崩壊時代、失われた20年の時代にも立ち会いました。組合委員長や広告局長なども務めて、2001年(平成13年)に同社を退職するまで36年間毎日新聞社に在籍しました。 佐々木さんは退職後、記者の経験を生かして、終戦直後の神父殺害事件の解明に取り組み、76歳のときに『封印された殉教(上・下)』を出版しました。 この聞き書きは、Zoomを使ってオンラインで行っています。(校條諭、MENJO,Satoshi)

  • 気になるいろいろ

最近の記事

ある新聞記者の歩み 34 世の中は騒然、冠婚葬祭代はかさむ 楽しむしかない! (広告局の巻第3回)

元毎日新聞記者佐々木宏人さんが広告局に在籍された5年間はバブル崩壊後のいわゆる「失われた30年」と重なります。それは広告営業冬の時代を意味します。しかも大災害阪神・淡路大震災が追い打ちをかけます。でも、どんな環境であれひたむきに仕事に当たり、かつ楽しんできた佐々木さんです。今回は広告局3回シリーズの最終回です。(聞き手:校條諭=メディア研究者) ◆95年と言えば、震災、オウム、Windows95、インターネット---大事件続発   Q.佐々木さんが広告局に赴任したのが1

    • ある新聞記者の歩み 33 広告主、広告代理店、編集部門・読者とのはざまに立って・・・(広告局の巻第2回)

      ◆週刊新潮の白抜き広告のいきさつ Q.おもな新聞の1面、2面の下はたいてい書籍・雑誌広告ですが、最近、文芸誌とか総合論壇誌の広告が少なくなった感じがします。 書籍・雑誌広告なんかは、僕が広告局にいた当時(1993~98年)を思い出すと夢のようですよ。1面か2面の下段の広告は、たとえば文芸誌はその月の「文学界」(文藝春秋社刊)、「新潮」(新潮社刊)、「群像」(講談社刊)、あと「世界」(岩波書店刊)、「中央公論」(中央公論新社刊)などの論壇誌が並んで、日本の“知性”のショー

      • ある新聞記者の歩み 32 おみやげをもらう立場から持って行く立場への大転換(広告局の巻第1回)

        ◆経済部と広告局の違いは上座か下座か、おみやげをもらうか持って行くか Q.佐々木さんは、1993(平成5)年の4月に、経済部長から広告局企画開発本部長に就任されたのですね。以前の回で、記者の多くは会社の売上に関心が無いという話をお聞きしましたが、まさに大きな売上をかせぐ部門に移られたことになりますね。 普通は経済部長を終えると、“交番”の編集局次長などになるケースが多いんだけど、畑違いの広告局に行け―というのでビックリしましたね。広告局というのは編集局の裏と表み

        • ある新聞記者の歩み 第31回 深夜飛び込んできた美空ひばり死去の報 朝までひばりの歌を大合唱

          元毎日新聞記者の佐々木宏人さんのオーラルヒストリー。今回は1991 (平成3)年4月から2年間の経済部長時代の後編です。前編の終わりの方に出てきた「交番会議」を軸に、そこで毎日毎夜繰り広げられる、個性あふれる記者という人間の織りなす場は、見たことも光景なのに懐かしい昭和の新聞社の匂いがしてきます。(聞き手=メディア研究者・校條諭) ◆突発事件で血湧き肉躍る Q.交番会議は、座ったままのイメージですか?    一応、編集局次長は座っているんだけど、あとはみんな立ってます

        ある新聞記者の歩み 34 世の中は騒然、冠婚葬祭代はかさむ 楽しむしかない! (広告局の巻第3回)

        マガジン

        • ある新聞記者の歩み
          35本
        • 気になるいろいろ
          1本

        記事

          ある新聞記者の歩み 30 経済部長の仕事は日々飲むことだ?!

          元毎日新聞記者の佐々木宏人さんのオーラルヒストリーもなんと30回目に達しました。聞き手として私が特に意識しているのは、佐々木さんら記者のいる現場や行動を具体的に思い出してもらうことです。それで、たとえば甲府支局のときは、支局フロアの平面図を再現してもらいました。今回は経済部長になった佐々木さんが、日々どう動いていたのか、どういう人たちとかかわっていたのかなどをお聞きしました。その中で「交番会議」などというおもしろい言葉も出てきました。(聞き手=メディア研究者・校條諭) ◆経

          ある新聞記者の歩み 30 経済部長の仕事は日々飲むことだ?!

          ある新聞記者の歩み 29 未完の「新聞革命」悔い無し ブルーの題字誕生秘話

          元毎日新聞記者佐々木宏人さんのオーラルヒストリー第29回です。今回は、前回の経営企画室での取り組みの続きです。いわゆるCIプロジェクト(後述の注・参照)に関与しました。具体的には、「新聞革命」というスローガンを掲げ、題字変更や紙面デザインの改革を行いました。通常の記者の仕事では出会うことのなかった、たいへんおもしろく有益な経験だったと振り返っています。(聞き手-校條諭・メディア研究者) ◆ブルーの題字のCI計画始動 Q.経営企画室って日常はどんな仕事をやっているんですか?

          ある新聞記者の歩み 29 未完の「新聞革命」悔い無し ブルーの題字誕生秘話

          ある新聞記者の歩み 28 記者から不動産業へ?! 大阪本社ビル建設計画に取り組みながら、大阪の食文化を堪能

          元毎日新聞記者佐々木宏人さんのオーラルヒストリー第28回です。今回は、佐々木さんが47歳のときの1989(平成元)年に、記者職を離れ編集局とは異質な経営中枢の経営企画室に配属になります。かつて2年ほど組合委員長を務めたことがあるので、2度目の記者以外の職です。そこでは、大阪本社ビルなどの建設計画を担当、また「新聞革命」をめざした、題字変更、紙面デザインの改革を行うCI(コーポレートアイデンティティ)プロジェクトに取り組みました。記者稼業からの“寄り道”は思ったよりおもしろかっ

          ある新聞記者の歩み 28 記者から不動産業へ?! 大阪本社ビル建設計画に取り組みながら、大阪の食文化を堪能

          ある新聞記者の歩み 27 リクルート事件で週刊誌に追い回された“親分”・・瞬間湯沸かし器と言われた激しさの背景に壮絶な秘話が

          元毎日新聞記者佐々木宏人さんのオーラルヒストリー第27回です。今回は、佐々木さんが親しく仕えた上司・歌川令三さんのことを軸にお聞きしました。リクルート事件とバブルが当時の世相を表すキーワードです。(聞き手-校條諭・メディア研究者) ◆皇居の敷地でカルフォルニア州が買える? Q.甲府支局長時代(1986(昭和61)年1月~88年4月)は、無事終わって、本社の経済部副部長に転勤になりますね。時あたかも“バブル経済”の真っ最中、経済部デスクとしては大変な時期だったのではない

          ある新聞記者の歩み 27 リクルート事件で週刊誌に追い回された“親分”・・瞬間湯沸かし器と言われた激しさの背景に壮絶な秘話が

          ある新聞記者の歩み 26 支局のもうひとりの若手、のちのオウム事件での激烈な取材の原点?!

          元毎日新聞記者佐々木宏人さんのオーラルヒストリー第26回は、甲府支局時代の若手3人のお話の3人目です。クマちゃんの愛称で呼ばれる隈元浩彦さんは難しい取材にも積極果敢に当たっていく人でした。それでいて、特ダネをモノにしても自慢したりしない隈元さんは、今も生涯一記者としての道を歩んでいます。 三者三様の若手にのびのびと仕事をさせた佐々木さんにとって、甲府支局長時代は、新聞記者人生の中でも格別の思い出として残りました。(聞き手=メディア研究者 校條諭) ◇難しいことでも「やりまし

          ある新聞記者の歩み 26 支局のもうひとりの若手、のちのオウム事件での激烈な取材の原点?!

          ある新聞記者の歩み 25 支局の若手の一人は未来の社長!

          元毎日新聞記者佐々木宏人さんからの聞き書き第25回です。前回は、佐々木さんが甲府支局長時代に面倒を見た若手3人組のうち、現在、社会部専門編集委員として終活などをテーマに活躍している滝野隆浩さんに焦点を当てました。今回は、松木健さんをメインに取り上げます。松木さんは、今年(2022年)、毎日新聞社の社長に就任されました。新聞記者たるもの、まさか、新人時代から社長をめざしていたなんてことはないと思いますが、どんな新人だったのでしょう。なお、佐々木さんが支局長時代を振り返るときに忘

          ある新聞記者の歩み 25 支局の若手の一人は未来の社長!

          ある新聞記者の歩み 24 「日本一の支局!?」を支えた若手3人

          元毎日新聞記者佐々木宏人さんからの聞き書き第24回です。今回は、甲府支局長時代の2回目として、当時の若手記者の中の3人についてのお話です。 いちばん先輩は1983(昭和58)年入社の滝野隆浩さんで、防衛大学校出身の異色の記者。最近は社会部専門編集委員として防衛問題に加えて、人生最終盤のケア、葬儀、墓問題など「周死期」の終活問題を柱に健筆を振るっています。毎週日曜日の朝刊に連載しているコラム「掃苔記(そうたいき)」は私も愛読しています。85年入社の松木健さんは、経済部長や編集編

          ある新聞記者の歩み 24 「日本一の支局!?」を支えた若手3人

          ある新聞記者の歩み 23  甲府支局長に赴任。家族6人そろって転居、地域とつながる。

          元毎日新聞記者佐々木宏人さんは、44歳の春、山梨県の甲府市局長として赴任しました。中央から行く支局長はたいてい単身赴任でしたが、佐々木さんが異色だったのは、家族(妻と子供4人)もいっしょに引っ越して家まで買ってしまったことです。支局では、地元に明るく指導力あるデスクや、成長途上ながら優秀な若手といった人材に恵まれました。おもに経済部で官庁や大企業取材してきた佐々木さんにとって、新人で配属された水戸支局時代以後は、中央での取材に明け暮れていたので、地方での仕事は実におもしろく有

          ある新聞記者の歩み 23  甲府支局長に赴任。家族6人そろって転居、地域とつながる。

          ある新聞記者の歩み 22 記者から労組委員長へ 2年間の得がたい経験

          元毎日新聞記者佐々木宏人さんは、勤続18年、42歳のときに、いったん記者生活を離れて労働組合の委員長になります。目をかけてくれていた2人の先輩から背中を押されてのことです。夜討ち朝駆けにも行かなくなり、生活は一変しました。それまで接触のなかった現業の人たちと付き合いができたり、地方を回ったり、スピーチの草稿を練ったりといった貴重な2年間だったと言います。(聞き手=メディア研究者校條諭) ◇記者がなりたがらない労組委員長に就任 Q.前回は、佐々木さんが経済部所属で大蔵省記

          ある新聞記者の歩み 22 記者から労組委員長へ 2年間の得がたい経験

          ある新聞記者の歩み 21 牙を抜かれる前の誇り高き時代の大蔵省こぼれ話 地下に霊安室?!

          元毎日新聞記者佐々木宏人さんの経済部大蔵省担当完結編(3回目)は、官庁の中の官庁と言われたエリート官庁大蔵省(現財務省)での見聞記です。どんな人がいて、他の官庁とはどんな関係で、銀行・証券・生損保などの関連業界とはどうだったのかなど具体的エピソードを伺っています。そのあと、大蔵省にとって大きな分岐点だったこの当時のことを振り返って、佐々木さんが今あらためて思うことを語っています。(聞き手=メディア研究者 校條諭) ◇官官接待の日々、たくみに誘う民間金融業界 Q.佐々木さ

          ある新聞記者の歩み 21 牙を抜かれる前の誇り高き時代の大蔵省こぼれ話 地下に霊安室?!

          ある新聞記者の歩み 20 禁断の木の実を食べたらどうなるかと案ずる人たち

          うーん、100周年の時は1972(昭和47)年でしょう。僕は水戸支局から経済部に上がって2年目。130周年の際に出された『毎日の三世紀 新聞が見つめた激流130年』を見ると「2月21日に各本社で『百年記念式典』を挙行」とあります。でも、全然覚えてないなあ。その頃、経団連クラブで電機メーカー担当で飛び回っていたころですね。式典にも行っていないと思います。 むしろその2ヶ月後に表面化して大騒ぎになった、外務省沖縄密約機密漏洩事件で祝賀ムードは吹っ飛んじゃったことを思い出します。

          ある新聞記者の歩み 20 禁断の木の実を食べたらどうなるかと案ずる人たち

          ある新聞記者の歩み 19 数字相手の仕事ながら、ハチャメチャな先輩やら少年自衛官出身の型破りな後輩やらに囲まれて

          ◇政治部にいても先は明るくないよと言われ・・・ 違和感はなかったなあ。古巣に戻ってホッとしたというのが、正直な感想かな。どうしても政治部では“外様”という感じがあったのは否めません。 まあ、それに経済部長がその時、東京の新聞業界の経済部関係では有名だった歌川令三さん、とくに兜町関係では野村證券の社長、会長をやった田淵節也さんなんかにはすごく食い込んでいました。社内外のウワサではいずれ、社長になるとも言われていました。その後、編集局長にもなり取締役だった時、色々あって当時

          ある新聞記者の歩み 19 数字相手の仕事ながら、ハチャメチャな先輩やら少年自衛官出身の型破りな後輩やらに囲まれて