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ギャラリーオーナーの本棚 #3 世界は単一の舞台ではない 『なぜ世界は存在しないのか』

重なり合うもろもろの世界

2回続けてマルクス・ガブリエルを紹介しますが、特段、彼を熱心に信奉しているわけではありません。たまにすごくホットなトピックでインタビューに答えているときに、ちょっとウケ狙いし過ぎだなと思うこともあります。しかしながら、前回の記事にも書いたように、彼の世界の見方は「まっとう」で、自己陶酔的にならずに、現代社会における哲学者の使命を果たそうとしているように思います。

前回の記事でご紹介した『「私」は脳ではない』の前作で、マルクス・ガブリエルを一躍有名にした著作が『なぜ世界は存在しないのか』です。ちなみに、いきなり冷水を浴びせるようですが、このタイトルはいささかミスリードで、本作の中で言わんとしているのは「全てを包摂するたった一つの世界などというものは存在しない」ということです。

たったひとつの世界なるものなど存在せず、むしろ無限に数多くのもろもろの世界だけが存在している。そして、それらもろもろの世界は、いかなる観点でも部分的には互いに独立しているし、また部分的には重なりあうこともある。

『なぜ世界は存在しないのか』(マルクス・ガブリエル著 / 講談社)

これは、生物学者ユクスキュルが提唱した「環世界」の考え方を哲学の見地から追試したようなもので、それ自体新しいものとは思わないのですが、ガブリエルの場合は、現代社会にひたひたと広がっている「全体主義」に抵抗するためにこの考え方を持ち出しています。

21世紀の全体主義への抵抗

全体主義は、かつては日本の帝国主義やナチス・ドイツの独裁体制など、国があるひとつの思想で民衆を支配することに象徴されていましたが、21世紀のいま、テクノロジー信奉や自然科学偏重が新しい全体主義であり、しかも私たち民衆が自らそれに従っていると、彼は警鐘を鳴らしています。テクノロジーや科学の有用性を認めたからと言って、それがすべてを説明できるわけではない、非科学的だと言われる宗教も、芸術も、それぞれの領域で真実を説明しているのだと彼は言います。これは、このブログ#1でご紹介した「WHAT IS LIFE?」の著者ポール・ナースも同じようなことを言っています。

(たったひとつの)世界は存在しないという洞察は、わたしたちが再び現実に近づくのを助け、わたしたちが他ならぬ人間であることを認識させてくれます。そして人間は、ともかくも精神のなかを生きています。精神を無視して宇宙だけを考察すれば、いっさいの人間的な意味が消失してしまうのは自明なことです。

世界の多面性に気づかせてくれるアート

ところで、本書の中で、ガブリエルは芸術の意味に一章を割いています。
世界は単一の舞台ではなく、統一的な秩序の上に成り立っているわけでもなく、無数の秩序や意味が重なり合う集合であることを、芸術が気づかせてくれるからです。
彼が言うところの芸術は、単に神経に刺激を与える娯楽ではなく、受動的でいては見過ごしてしまうことを取り出し、そこに光をあて、その意味に直面させ、その意味の多面性に気づかせてくれる装置なのです。

彼の芸術に対する見方は、私が「現代アートギャラリーは社会に対して何ができるか?」を考え、おぼろげにそれを掴みかけていた時に、とても心強い助言となって響きました。
アートというと、とかく「癒し」と「非日常」に置き換えられがちです。でも私はギャラリーをやるうちに、「アートは非日常的な夢の世界に逃げ込むためのリトリート」というイメージを「アートは現実の私たちの世界を色んな切り口でみせてくれる媒体」という認識に変えていきたいと思ったのです。そんなわけで、私のギャラリーでは、みんなと同じところを見ていない、あるいは、みんなと同じことを別の考え方で見ているアーティストの作品を取り上げるようになっていきました。

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