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人生の厳しい試練は何のため

中学校へ転勤早々、部活動生徒の怪我対応で病院へ向かいました。

担任の先生から、生徒の保護者が学校や部活動に対してあまりいい印象を持たれていない方だということを聞かされていました。

保護者の方とはすぐに病院で合流することができました。

待合で、保護者の方から、「転勤早々すみません。」と話しかけてこられたので、以前は中学校に勤務していたことやバスケ部の顧問も持っていたことを話してみました。

すると、4つ上のお兄さんの話を聞かせてくれました。

・同じ学年の部員が7人しかいなかったのに、最後まで試合に出してもらえなかった。
・最後の試合は、7人中6人まで試合に出たのに、息子だけは1分も出してもらえなかった。
・応援にいっていたけれども、どうしてなんだろうと思う気持ちばかりがふくらんで、勝ち負けなんてどうでもよくなった。
・そのころのことを今でも腑に落ちていないのに、当の本人(兄)は、「ああいうことがあった方が、この先で役にたつんだよ」とわかったように言っているところも悔しい。
・そんな兄の姿があったのに、弟もバスケ部に入ってしまった。
・そして、同じように試合にも出られないのに、毎日練習や練習試合に行っている。
努力しても、誰にも認めてもらえない歯がゆさは今でももっている。

お話を聞かせてもらって、わたしは次のようにお母様に話をしました。

「わたしも部活動の顧問をしていたころ同じようなことをして、同じような気持ちを保護者の方に持たせてしまっていたと思います。」
「情けないことに、その時にそんな気持ちには気づけませんでした。」
「そして、自分が親となり、サッカーを頑張っている息子が、試合にだしてもらえない中で応援にいくという気持ちがどんなものなのか、よくわかりました。」

わたしの話を聞いて、お母様は学校の成績のつけ方のことについても話してくれました。

「何も報われない息子が、せめてこれだけはというところも認めてもらえなかったという気持ち…本当にやるせないです。」

学校や部活動不信の大きな原因の根底にあるものは、「承認感」だということに気づきました。

怪我をした部員は、鼻の形が少し変形してしまいっているように見えましたが、結局鼻骨骨折と診断されました。

保護者の方は、当然手術をすることを望まれていましたが、子どもは「したくない」と強く拒みました。

わたしは、麻酔を打つとは言え、そりゃあ怖いもんなあっと思い込んでいました。

学校に戻ってから、部活の顧問に、そのことを伝えると、次のように話してくれました。

「今まで、試合にでることもなかったんですが、春休み前くらいから、6番手くらいで試合の交代要員ででることが多くなってきたんです。」
「やっとつかんだチャンスなのに、ここで手術して、しばらくの間離脱してしまったら、また振り出しにもどる、もうチャンスはないかもしれないって感じているのかもしれません。」

単純に「怖いから」と決めつけていた自分の浅はかさを恥じました。

手術したくないと拒む気持ちの根底にあるのは、「認められたい」という気持ちでした。

後日、顧問が手術することを説得すると、大泣きしていたそうです。

自分の努力が報われない歯がゆさ
大切な家族の応援や期待に答えられない悔しさ
兄のことを知っているからこそ、今度こそ自分が母に喜んでもらいたかった


そんなことが涙の理由にあったのではないかと想像します。

わたしのサポーターの方のブログに、次のような言葉がありましたので、お借りします。

時として神様は人間に
本当に大切なものを教えるために
厳しい試練を課すことがあります。

彼のお兄さんが気づいたように、彼やお母さまが、そのことに気づける日がくることを願います。

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