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【科学者#069】「予言者」と言われた物理学の天才【南部陽一郎】

日本人のノーベル物理学賞としては第47回目で紹介した湯川秀樹さんや、第48回目で紹介した朝永振一郎がいます。

実はこの他にも、日本の物理学の発展に欠かすことのできない科学者がいます。

その人は、朝永さんの研究グループに参加し、そして途中からアメリカに帰化したのですが、日本にも研究室を持ち日本の物理学に影響を与えました。

今回は、「予言者」と言われた物理学の天才である南部陽一郎さんを紹介します。


南部陽一郎

名前:南部陽一郎
出身:日本
職業:理論物理学者
生誕:1921年1月18日
没年:2015年7月5日(94歳)


業績について

南部さんは2008年にノーベル物理学賞を受賞したのですが、その時の研究は『自発的対称性の破れの発見』になります。

この自発的対称性の破れとは、物性物理学や素粒子物理学で用いられる概念で、ある対称性を持ったものはエネルギー的に安定な真空に落ち着くことで、より低い対称性へと移る現象やその過程を指します。

南部さんは、この自発的対称性の破れの分野において先駆的な研究を行いました。

さらに、カラーチャージの提唱や弦理論を提唱することにより素粒子物理学において多大な貢献をしました。

この他にも、南部さんは様々な賞を受賞しており、

1970年にはハイネマン賞
1977年にはオッペンハイマー賞
1982年 にはアメリカ国家科学賞
1985年にはマックス・プランク・メダル
1986年にはディラック・メダル
1994年にはJ・J・サクライ賞ウルフ賞
2005年にはベンジャミン・フランクリン・メダルオスカル・クラインメダル
2008年にはノーベル物理学賞

を受賞しています。


生涯について

南部さんの父親は福井県出身で、母親は福島県の出身でした。

2歳の時に関東大震災に遭遇し、福井県福井市に転居し、父親はそこで高校の英語教師として働いていました。

少年時代は、自分の手で鉱石ラジオを作成し、野球中継を聴くことができたことに感動します。

その後、東京の第一高等学校に補欠合格します。

高校時代は物理が特に苦手でエントロピーを理解できず、熱力学の単位を落としてしまいます。

3年生の時には、湯川秀樹さんの評判に刺激されて理論物理学の研究を志します。

湯川秀樹

その後は、東京帝国大学に進学し、2年半で繰り上げ卒業をします。

ちなみに、4年生の時に湯川秀樹さんと朝永振一郎さんに素粒子の勉強をしたいと言ったところ「素粒子については天才でないと理解できない」といわれてしまいます。

1942年には、東京帝国大の助手になるのですが、陸軍で1年間通常兵役として宝塚市のレーダー研究所に配属されます。

朝永振一郎

この頃に、朝永さんによるレーダー理論の海軍機密文章を盗み出すように陸軍から命ぜられるのですが、南部さんは朝永さん本人に頼むことにより入手することが出来ます。

さらにこの時期に、宝塚のゴルフクラブで知り合った飛田智恵子(ひだ ちえこ)さんと結婚します。

1945年には、東京帝国大学の理学部物理学教室に復帰します。

そこでは、木庭二郎(こば じろう)さんらと共に朝永さんの研究室に参加し、武谷三男(たけたに みつお)さんから影響を受けることになります。

武谷三男

1950年には、朝永さんの推薦で早川幸男(はやかわ さちお)さん、山口嘉男(やまぐち よしお)さん、西島和彦(にしじま かずひこ)さん、中野菫夫(なかの ただお)さんらと共に大阪市立大学理工学部理論物理学のグループを立ち上げます。

ここには年長の教授がいなかったことと、学生が少なかったので、講義の負担も少なく自由を満喫しました。

西島和彦

1952年には、朝永さんの推薦を受けて木下東一郎(きのした とういちろう)さんと共にプリンストン高等研究所に赴任します。

この時の所長は、第38回目で紹介したロバート・オッペッンハイマーで、ここでアルバート・アインシュタインに出会います。

アルバート・アインシュタイン

そして、アインシュタインに2回目会ったときに、アインシュタインは南部さんに量子力学が信用できないことを説明しようとしました。

1954年には、マービン・レオナード・ゴールドバーガーの誘いを受けてシカゴ大学の核物理研究所に就任し、1970年にはアメリカに帰化します。

1991年には、シカゴ大学エンリコ・フェルミ研究所名誉教授になります。

1994年には、立命館大学客員教授および立命館アジア太平洋大学アカデミック・アドバイザーに就任します。

その後1996年には大阪大学の第一号名誉博士になり、2006年には大阪大学招聘(しょうへい)教授に就任し、2011年には大阪市立大学特別栄誉教授、大阪大学特別栄誉教授になります。

2008年にはノーベル物理学賞を受賞するのですが、2015年7月5日には急性心筋梗塞により亡くなってしまいます。


南部陽一郎という科学者

南部陽一郎さんの性格は、穏やかで謙虚だったといわれています。

プリンストン高等研究所のエドワード・ウィッテンは「南部は人よりもずっと先を見ているから、人は彼の言うことを理解できない」と言っていました。

エドワード・ウィッテン

そんな南部さんは、周囲の人からは「予言者」と呼ばれていて、「10年先を知りたいなら南部に聞け」と言われていました。

高校生の頃は物理学に苦手意識があったりもしましたが、湯川さんや朝永さんなどに影響を受け、理論物理学の道を進んでいきます。

そして、他の人とは違った視点をもち周りの人からは予言者と呼ばれており、2008年にはノーベル物理学賞を受賞しました。

今回は、「予言者」と言われた物理学の天才である南部陽一郎さんを紹介しました。

この記事で南部さんについて興味を持っていただけると嬉しく思います。

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