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短編小説 BGMに寄り添われて(1)


(4800字程度)

 田舎の友人から久方ぶりの連絡があり、急遽こちらで一緒に飲むことになった。彼とは、中学、高校と、感じやすい年頃の時期に、あちらこちらと一緒につるんで歩いていた。その上、彼も、私も、東京の大学へと進学することになったので、何かと理由をつけては、久しぶりに顔を合わせて飲んだり、互いの部屋を行き来したりしていた。

 彼の方は、こちらへ来てからも、田舎の顔ぶれとも変わらず仲良くしているようだった。このあいだ誰々と会ったということをしきりに話し、その度に、なんで帰らないの、と不思議そうな顔をしていた。私は、特に理由もなかったので、そのうち帰るつもりなんだけど、などと言ってはお茶を濁してばかりいた。

 こちらでの生活に慣れてくると、私は、故郷に対して関心を払わなくなっていった。次第に足も遠のいていった。そうなると、帰省した折にも、誰かに連絡をつけること自体が何だか照れ臭いことのように感じられてきた。何度か帰省を繰り返すうちに、億劫で億劫で、私は逆に、故郷の人々から遠ざかっていった。
 理由らしい理由はなかった。東京に染まったということなのだろう。
 そんな私にとって、彼は貴重な存在だった。彼のおかげで、私はかろうじて、田舎社会とのつながりを保っていられた。
 しかしそんな彼も、大学の卒業とともに、田舎へと帰っていった。地元企業への就職が決まったのだ。
 何かと気にかけてくれる彼のことを、私の方では、とてもありがたく思っていたのだが、就職となると仕方がない。
 大学でもなんでも、卒業するために入学する訳で、いつまでもそこに留まっていることもできない。彼と同じく、私の方でも都内の企業にすでに決まっていた。寂しくはあるが、来るべき時が順調にやって来たのだ。
 
 私は彼の就職を祝い、今後の田舎での活躍を願った。すると彼は、そんなこといいからお前も早く帰ってこい、どうせずっとここにいるつもりでもないんだろ、と返してきた。
 当時の私は、そんな彼の気遣いに、助けられてばかりだった。この時私は、あらためて、友の帰郷を実感した。一人になるのだ、という漠然とした思いが、ポンと浮かんだ。
 それでも私は、いつものごとく、そのうち帰るんじゃないかな、などと相変わらずお茶を濁しては、苦笑いでごまかしてばかりいた。

 その点で、私は、まだまだ若い、大学生でしかなかった。関係が気まずくなれば友情が薄れていくことは知っていた。しかし、就職、結婚と、放っておいてばかりでも、友情は薄れていくということまでは、まだ知らずにいた。
 そして彼は帰路につき、私はこちらに留まった。
 あれから幾年もの時が過ぎ、私は東京の人間となっていた。日々の食事がその人の体質を作っていくように、ゆっくりと長い時間をかけて、私は再び象り直されていった。
 東京という枠に合わせて、はみ出す部分を引っ込め、足りない部分は補い、そんなことを繰り返すうちに、結局のところ世界で一番落ち着くのは東京と、そう思う具合にまでになっていた。
 
 私はそういう自分を、善し悪しで判断する気にはなれなかった。むしろ、環境が人を作っていくのは自然なことのようにも思えるのだ。
 何しろ私は、十八で上京して、もう四十も半ばを過ぎた。その間、意識して東京の人間になろうとしてきたわけでもなく、気が付けば、今のこの私になっていた。
 どうすることもできない大きな力を前に、力まずにいなすことを覚えたまでだ。
 雨の日に傘をさす人を非難する人などいない。東京という場所が、たとえ私の爪の先にまで染み込んでいたとしても、それを非難することなど誰にもできないのだ。
 いいも悪いもない。いやむしろ、いいも悪いも含めて、私はここで生きてきた。
 そして彼の方でも同じ具合に、田舎での生活が待っていた。彼は田舎で生きてきた。
 結婚して、三人の子供に恵まれた。この間の電話だと、仕事の方もまずまずという話だった。声にも張りがあり、とても元気そうな様子だった。声音は優しいがハキハキと話すその喋り方に、いかにも子育て真っ最中の父親という印象を受けた。
 電話での話だと、驚くことに、上の子はもうすでに高校生になっていて、さらに言えば、今年、受験生ということらしい。十七、十八くらいの年齢ということになるわけだ。
 衝撃である。友人の子供が十七、八なら、私など、日帰りで鎌倉辺りまで遊びに行けば帰ってくる頃にはもう還暦だろか、と、下らないことまで考えていた。
 話を聞くと、友人の長男は、どうやら東京の大学への進学を希望しているらしい。
 すでにある程度絞り込めてはいるものの、同じレベルの大学いくつかのうち、まだ踏ん切りをつけかねているということらしく、それならばという話になり、オープンキャンパスに合わせて上京することに決めたということだった。
 
 久しぶりの上京には久しぶりの人間を、ということでもないのだろうが、彼からすれば、同じ東京でも現在の東京は初めましての感覚に近いのかもしれない。もしかしたら、多少の不安だって感じていないとも限らない。不案内な旅の合間に、古い友人との約束を挟みたいという気持ちも、なんとなくわかる。
 
 そこはやはり気の知れた仲だ。私だって、出来る範囲でなら人の役にも立ちたいし、これくらいのことなら大歓迎だ。頼まれさえすれば、軽くガイドするくらいのことは快く引き受けただろう。
 何にしても、とにかく楽しみだった。
 私たちはその場で時間と場所を決め、そのまま電話を切った。
 今回ばかりは、私の方が待つ側だった。
 遠くから、見覚えのある歩き方で、こちらへやって来るのが見えた。それがやけに懐かしく、私は思わず噴き出した。
 出迎えた店員に、二人、と告げると、奥のテーブル席に通された。
 時間の割に人の入りは悪くはなかったが、店内は落ち着いた雰囲気をつねに保っていた。
 四方から和を乱すことなく聞こえてくる話し声は、まるで均整の取れたコーラスのようで、他人の声を邪魔することなく自分の声を的確に届けてくるその声には、聞いてほしいという思いと無闇に聞かれたくないという思いと、矛盾した二つの感情が同時に込められていた。
「久しぶりだな、元気か」
「元気だよ、そっちは」
「みんな元気」
 とりあえず、と言って、彼はジョッキを差し出した。いやいやどうも、と言いながら、私もジョッキを差し出し、久しぶりの乾杯を交わした。
「このあたりも変わったね。もうどこがどこだか」
「変わったかな」
「変わったよ。駅前にばかでかいビルが立ってたろ。あんなの学生の頃はなかったよ。駅、間違えたかと思った」
「そうか、そういえば無かったな。でもあれ、できてから十五年くらい経つんだよ。卒業してからこの辺には来てないのか」
「全然。新宿や東京駅なら何度かあるけど、この辺に限らず、少し中に入った途端にキョロキョロしてばっかだよ」
 少しづつ、昔の記憶が蘇ってきた。この辺りは、当時通っていた大学から遠くはないが近くもない。大学のある駅まで二十分もかからず着くので、てっきり分かりやすい場所だとばかり考えていたが、母校まで一本で着くには少し遠くの地下鉄を使う必要があった。相手も、当然承知の上だと考えていたのだが、考えてみればそれは、東京に住んでいる人間の言い分でしかなかった。 
 私が言葉足らずだったことを素直に詫びると、
「初めから言えよ。こっちはもう、ただのお上りさんだぞ」
と言って、カラカラと彼は笑った。
 とてもあっけらかんとしたものだったが、努めてそういう風に振舞っているようにも見えた。 
 
 親友とはいえ、二人で飲むのはずいぶん久しぶりのことだ。楽しくくつろいだ時間ではあったが、時々偶然やって来る沈黙を前に、せっかく遠くからやって来たのだから少しはもてなしてやらなければ、という思いに駆られた。こうして会うことで初めて、これまでそれぞれ過ごしてきた時間の質の違いに、気が付いた。
「オープンキャンパスはどうだった」
「うん、キャンパスが綺麗で驚いた」
「迷わずに着いた?」
「なんとか」
少しニヤリとしてから、今のところは、と彼は付け足した。
「そういえば、息子くんは」
「ちゃっかり東京観光に出かけたよ。行きたいとこがあるって言うから、興味本位でどこって聞いたら、真面目な顔で、どこでもない、って。全く、いいお年頃だよ。どこでもないって、何だ」
 そう言うと、また彼はカラカラと笑った。ボリボリと頭を掻いて笑うその姿は、年季の入った父親の顔だった。
 いかにも軽い感じで、
「お前結婚は」
と彼は聞いた。その腫れ物に触れるような、どこか作り物のような聞き方が、何だか寂しかった。
 田舎に帰った折などに、親戚などから無遠慮にこの手の質問をされるのが、私は嫌でたまらなかった。だが、彼にはもっと気楽に聞いてほしかった。
 結婚する気がない訳ではないし、むしろ逆に結婚なんかいつでもできると考えている節さえあった。これまでにも、付き合っていた女性ならそれなりにいたし、女性のことで寂しい思いを抱いたことは、ほとんど経験がなかった。ただ、この歳まで一人でいると、一人の方が居心地が良いのは確かで、人と深い関わり合いになるのを避ける癖がついてしまっていることも、それもまた、認めざるを得ないことだった。
 私は、そういったこと全てを彼に訊ねてきてほしかった。そういったことを話す心積もりなら、すでにできた上でここに来ていた。
 私が、
「してないよ」
と答えると、彼は
「ふうん」
と言った。そして、その話はそれきりになった。
 理由もなく、ただその時の気分から、延々と真っすぐに伸びた田舎道を自転車でぶっ飛ばしていた私を、そういう私がいたことを、現在の私を取り巻く人たちに話すことのできる人間が、彼のほかにどれだけいるだろうか。
 汗をダラダラたらしながらも他に何もすることがなく、たまたまそこにあったカセットテープを繰り返しかけて、いつまでも同じ音楽ばかりを聴いていた私を、その時の私の覇気のない姿を、最近会った知人友人たちに話すことのできる人間が、彼のほかにどれだけいるだろうか。
 私は、私の過去と現在とのつながりを保証する、貴重な存在が更に遠ざかっていく気がしていた。
 私の過去はもはや断片的なものでしかなく、綴じ糸が外れてぶちまけられた過去の数々は、時と共に風化していくのを待つ以外にないかに思えた。
 
 こちらに来てからの過去はすべて繋がっている。上京して以降の時の連なりだけでも、十分生きていくことはできる。これから先、私は、十八以前の過去に一貫性を求めることもなく、前後の逆にも頓着せず、半分見ないふりをしながら、生きていくのかもしれない。
 ジョッキの取っ手を握りながら、彼は、メニューを眺めていた。眺めながら、次の話題を探している風だった。私は、どことも呼べない一点を見つめ、何に対してなのかもわからないまま、そうか~、と小さな声で呟いていた。
 その時、ふいに有線から聞き覚えのあるイントロが聞こえた。滴が落ちるような二つの音階が聞こえた途端、二人同時に、
「あ」
と、声を発していた。
 ピアノの音で幕が切られたその曲は、その後、シンセサイザーに似た電子音が、じんわりと音の拡がりを作っていった。底の方で響いては跳ね返ってくる電子音を通して、私たち二人は、この曲でしか味わうことのできない何かを、イントロの時点で、既に共有していた。
 二度と赴くことのできない、はるか遠くのどこかを、二人並んで眺めているような心持がしていた。
 いたずらそうな表情を浮かべながら、
「そういえば、お前も好きだったな」
と、彼が言った。
 自分の曲みたいに言うなよ、と、私は思わず吹き出した。
「俺が、好きだったんだよ。俺がお前に教えてやったんじゃないか」
私がそう言うと、彼はわざとらしく表情を作って見せてから、
「そうだったかな」
と言い、ふいに、
「お前の曲でもないだろ」
と、吹き出しながら、急いで付け足した。

(つづく)



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短編小説 BGMに寄り添われて(2)

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