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オランダ人の寛容さにのけぞる日。(オランダ美術館編)

美術館ボランティアでは勉強になることが多い。アートはもちろんなのだけど、今回は人についての話を中心に!

親子でギャラリー巡り

色々な同僚に会うためのウロウロ



美術館には13年くらい、週に一度、3時間ほどボランティアgastvrouw(ハスつフラウ)をやっているが、この日初めて金曜日の午前に働いた。
このハスツフラウ(カタカナでの発音はできないけどあえて書いた)日本語だと訳すのが難しいが、おもてなし役とセキュリティのガードを両方兼ね備えた役割だ。
この日は同僚の80%の人が外国人(わたしも含め)。
残りのオランダ国民は個性的な人が一人、やばい人が一人の構成だ。やばいという表現は悪すぎるけど、それに変わる日本語がなかなか思いつかない。(申し訳ない)

絶対に遅れてくると噂されてたオランダ人女性は始業時間に直前に駆け込んできた。ミーティングは出ない主義らしい 美術館のボランティアが着る赤いシャツをマフラーのように首に巻いている。オシャレというよりは変わってる? 遅刻魔として有名ではあるけどそれらを抜かすとこの方は普通。

かなりおかしな人の方……、どのくらいやばいかというと、よくみんな我慢してるなぁ、この風貌で美術館、と私にはほとほと感心のレベル。
オランダありありとも言えるのか? こういう人が普通に生きていられるのがオランダの良いところなのは確かなのであるけれどオランダ人ではない私にはかなり苦しい。きつかった。
(信じられないほど他の人のする変な行動にも忍耐強いのがオランダ!)

このやばい女性がお昼に12時に絶対休憩(食事である)と喚くのは通例らしく、他の同僚は違う時間にまとまって休憩して、みんなうまく彼女から逃げていた。(と思う)また、このグループは規則が15分であるべき休憩時にグループ全員が30分取っていたがそれもオランダ人ぽい、と言われればその通りかもしれない。規則はあってないのもオランダ的だ。横断歩道みんなで渡れば怖くない! オランダに規則が多いのは、適当な人が多すぎるからなのだ。

ところで、この中年をとうに過ぎた彼女のやばさについてであるが、これと決めた訪問客にもセキュリティたちにもまとわりついて離れない。そして初めて話すわたしには驚くほどしつこかった。(根掘り葉掘り)
ストーカー体質なのだろうか? それともアスペルガー症候群系? 結構一緒に仕事をやるのは難しかった。

つんのめる感じの歩き方から異常なので少し怖く、引きまくり、遠ざかるわたしが見えないのか、喋らないと、あなたはオランダ語を話すべきだ、とか始まり、うんざりした。

お喋りなわたしがペラペラ話さないのは、彼女がとんでもないひどい質問をどんどん投げかけてくるからなのだけど……。さすがに、ヨーロッパに30年近くも住んでいるのだから、そうそう誰にもなんでも答えないといけないと思うほど、お人よしではない。酷い目にあうからだ。少しは自分を守らないといけない。

ただ適当に交わそうとすると、目の前にぐんぐん大きい顔で迫ってきて追い詰められた。あ〜、やめて。何か、何か障害があるのだろうけど、実に苦手なタイプであった。

仕事をさせてほしい。🙏 とても訪問客が多く忙しい日なのだから、と心で呟く。いや〜、まいった。

オランダ語で話していると、またわたしに迫ってきそうなので、訪問客にもこの日はほぼ英語で対応。

ところが、このグループには素敵な人たちもいた。

ドイツ人と後で知る婦人は前から美しいと思っていた人で話してみた。
とても頭も良く、またご一緒してこの知的な喋り方を習いたいものだとさえ思った。ボランティアが終わったら、人に教えるレッスンがあると言いながら、颯爽と帰っていったが、歩き方から素敵な人である。体型も整えてるのが体付きからよくわかる。きちんとしたものを食べている感じである。見習いたい!

そして、インドネシア人のINFOの女性も感じの良い方であった。
一年のみだけど日本語を勉強したと言われ驚く。
オランダにいるインドネシア人は、基本日本人が大嫌い(注1)なのは知れたことだが、この人はインドネシアで生まれ育ったようだ。だからなのか日本人への嫌悪感も薄いのかも。日本人嫌いではない人でよかった。

(注1)オランダにいる多くのインドネシア人はオランダの植民地政策が日本により終わり、オランダ人が戦争後自国へ戻る時に、一緒にオランダへ渡ってきた人たちだ。この辺りの複雑さはここでは書ききれないので、とりあえず今回はここまで。オランダ側を(植民地側)を手伝った人たちは戦後


アフガニスタンの同僚もやってきたので、休憩中はインドネシア語と、アフガニスタンの「ありがとう」という言葉を習う。みんなはすでに「ありがとう」は知っていた。


モンドリアンがある部屋のデコレーション

Piet Ouborgの絵


訪問客がすごく多い日であったのだが、また声をかけてくる人も多かった。

その中の一人の女性が、あるオランダ人の画家さん、Piet Ouborgの絵を見て気づいたことを質問してきた。(同じ絵ではないですが、作家のリンクをクリック)

その絵の横にある英語タイトルと、オランダ語タイトルが合わない点がおかしいと文句を言ってこられた。英語の方のタイトルをなんとかするべきだという。

その絵は、おそらく、インドネシアかスリナムの女性の顔(頭)が描かれている。

英語タイトルには、lady's head、とある。ところが、オランダ語の方はdame hoofd ではないのだ。

何が書かれているかというと、dame kop(kopは動物の頭)。

おかしいと言い続けながら、あなたはオランダ人じゃないし、オランダ人は誰かいないかしらと私に聞く。(それ差別だってと心の中で思う!)

わたしは、わたしの同僚のあの人(例のやばい人)とかインフォや、ガイドに聞いてみたらと言いながら、絵を指して、「この人はオランダ人の画家ですよね、この外国人の女性のことを動物とみなして書いてるわけで、その英語訳が違うと言われても、……」

そこで彼女は、あっ、と気づく。納得?  

わたしもタイトルをきちんと見ていなかったから初めは気づかなかったが、そうか、勿論、そういうことなのだ。昔からいや今も一種の白人の方には見られる人種差別。この画家は、そういう人だったのだ。割と、好きな画家だったので、ある意味わたしはショック!

もしかしたら昔はそれが一般的に普通の感覚だったのかもしれない。黄色人種とか黒人は動物だと。(年配の日本人女性からそうだと、伺ったことがある)

奴隷とされていた植民地の女性の顔(頭)を描いたのだ。
(ちなみにインフォは、上にも書いたように今日はインドネシアの女性、絵の女性と少し似ていた)

流石にこの女性は、インフォにも、他のところにも聞きに行かず、その後何かと私に絵のことで、私はこう思うとか、なんやかんや話しかけてきた。

自分も差別主義者と思われたくなかったのかもしれないが、一番はおそらく彼女も私と同様、好きな画家が描いた絵のタイトル名に驚いたのだ。


TUE(大学)の入ったばかりの学生たち。学部によりTシャツの色が違う


世の中色々な人で成り立ってるんだなぁと、しみじみ。

最近は3週続けていつも行く固定された曜日に行かないので来週は行こうと思うが、曜日が違うと同じ業務を行うにしても、ルールは変わるし、同僚も違うので楽しい、あるいは、驚く。

そして訪問客もだいぶ違う。

この金曜日はオランダ語より英語のカタログを取る人が多かったので、まぁ外国人が多い日なのは確か。そして水曜日は、ラテン系(イタリアやフランス)の方々が、ラインエアを使って、ここアイントホーフェンに降り立つ日なのであろう。

夕食時に夫が、倒れてる難民風の人が道にいて、救急に電話した話をする。人助けをしたと言ってたけれど、どうやらIDがない人だったようだ。🥹🥲 

何かあったら難民救助に向かう彼だけど、救助したつもりが、この方を追い返す方になってしまったのではないかと思う。

人助けは難しい!

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