篠田一士「二十世紀の十大小説」

篠田一士は丸谷才一とも親交のあった評論家で、小説はもちろん、詩歌から批評に至る文学全般に広くて深い知識をもっていました。本書は1988年に刊行された長編評論で、質・量とも読み応えある一冊です。

世界文学のなかから10冊を選ぶという試みはモームの「世界の十大小説」が有名ですが、篠田のこの評論の主眼は、彼自らが生きた「二十世紀」の小説の独自性とはなにか、それまでの小説とはなにが異なるのかをつまびらかにして、その魅力を読者に伝えることにあります。その目的のために選ばれた作品は以下の通りです。

プルースト「失われた時を求めて」

ボルヘス「伝奇集」

カフカ「城」

茅盾「子夜」

ドス・パソス「U・S・A」

フォークナー「アブサロム、アブサロム!」

ガルシア=マルケス「百年の孤独」

ジョイス「ユリシーズ」

ムジール「特性のない男」

島崎藤村「夜明け前」

ボルヘス以外はヴォリュームのある長編がずらりと並ぶ壮観たるラインアップですが、特筆すべきポイントは、刊行の年代順ではなくプルーストに始まり島崎藤村で終わる作品の配列にあります。篠田は決して自分の趣味嗜好で作品にランキング付けを行っているのではありません。序論にあたる「多元化する世界文学のなかで」も含めた全11章を通して、ヨーロッパに端を発した近代小説が二十世紀になっていかに変容し、世界へ展開していったのかを描いていくのですが、それを論証するために考え抜かれた作品の選定と配列なのです(いうまでもなく篠田自身が深い感銘を受けた作品でもあるのですが)。この評論は単なる作品ガイドの寄せ集めではなく“長編”評論であることは心に留めておいた方がよいでしょう。もちろん、自分が興味をもった作品の章から読んでも面白いのですが、ひとつの有機的な作品として、それこそ長編小説を読むように、最初から順を追って読んだ方がより興味深く楽しめるのではないかと思います。

それぞれの章で語られていることを、本書の主題に即して、乱暴ではありますが私なりに要約していくならば、

1)レアリスムからの脱却

「失われた時を求めて」:風俗小説の面もあるが、「外界、あるいは、外的なもの、それ自体の記述や描写がまったく行われず、すべてフィクションの世界のなかでも、うつろというか、かりそめの反映としか生起していない」。究極の内面小説であり、ヨーロッパ文学の総決算。

「伝奇集」:「失われた時を求めて」の「世界」が「死」をむかえたところから出発した、恣意的記号である言語の現実描写の機能を信じない言語宇宙の構築。巨大な交響曲を生み出したマーラーに対する、点描音楽のヴェーベルンに近い関係。

「城」:近代ヨーロッパ文学が守ってきた空間と時間における遠近法の構図が排除された、「失われた全体」の形で世界の全体像を描いている。

ここまでの3作に共通しているのは、「反レアリスム」。いずれも優れた達成を示しながらも、外部(社会的現実)とのつながりが希薄なことといえるでしょう。では、いったん断ち切られた外部とのつながりを二十世紀小説はいかに結び直したのか。

2)新しいレアリスムの獲得

「子夜」:中国伝来の空間化の機能がヨーロッパ近代文学とは異なるかたちのレアリスムを実現。ノンフィクションを思わせるような面白さもある。

「U・S・A」:アメリカ文学という新しい潮流。「伝記」、「ニューズリール」、「カメラ・アイ」の手法により、ノンフィクション言語を小説言語化して、アメリカの全体を描かんとした野心作。

これまでヨーロッパ中心だった近代文学が中国、そしてアメリカへと広がり、現実と切り結びながら新たな潮流を生み出したことがこの2作を通して語られています。さらにノンフィクション言語を取り入れることで、新しいかたちのレアリスムを獲得したことも大きいでしょう。

3)歴史・語り・物語

「アブサロム 、アブサロム !」:「アメリカ文学」が地方性を乗り越えて、新しい文学の潮流であることを確立させた記念すべき達成。さらに語りによる時間の圧縮により「歴史」が二十世紀文学に加わった。

「百年の孤独」:民話の語法を基本としながら近代文学の遺産を縦横に活用。連続した歴史ではなく、無数のエピソードの積み重ねの中に物語を圧縮して、ラテンアメリカの「孤独」を浮き彫りにする。

二十世紀文学は新たなレアリスムとして「歴史」をどのように取り込んだのかが取り上げられています。さらに南米を含む「アメリカ」文学がヨーロッパ文学の亜流ではなく、完全に新たな文学として確立したこともここで明らかにされます。それを踏まえて、続く章では改めてヨーロッパに回帰します。

4)ヨーロッパ近代文学の終焉

「ユリシーズ」:ヨーロッパの伝統を踏まえているようにみえながら、「古代ギリシア以来の叙事と劇の詩的言語からみずからを解き放つ」新しい小説言語の創造。「音楽の状態」すなわち、内容と形式の一体化を実現した傑作。

「特性のない男」:近代ヨーロッパ文学の到着点であり「自己解体を行った臨床の書」最後の偉大なヨーロッパ小説。

ここにきてついに「ヨーロッパ近代文学」は完全に解体しました。ヨーロッパ文学中心の時代が終わり、世界に多くの潮流が湧き起こったのが二十世紀文学なのです。では、日本はどうだったのか?本書を締めくくるのはこの作品です。

5)近代日本文学の冒険と達成

島崎藤村「夜明け前」:近代ヨーロッパ文学とは無縁の文学風土の中から生み出された二十世紀文学の傑作。

多くのテーマがポリフォニックに述べられている本書の中から、特に重要と思われるテーマを抜き出してみましたが、少しでも本書の視点のスケールの大きさが伝わったらと思います。篠田がこれらの作品に出会ったときの衝撃や思い出なども語られていますが、それは小林秀雄流の「他人の作品をダシにして自己を語る」こととは程遠く、二十世紀という時代を生きた、同時代人の証言という意味合いが強いものです。また、現代思想や哲学に寄りかかることも本書ではなされていません。篠田はあくまで二十世紀文学の言語宇宙の豊かさ、面白さ、それらが因ってきたる所以を語りつくさんとしているのです。それぞれの章では作品の本文がふんだんに引用されており、良質なブックガイドとしても機能していることはいうまでもありません。

読者の文学に対する視点を拡げ、読書の快楽を教えてくれる骨太な文学評論です。

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