園田寿

刑法研究者です。/YAHOO!ニュース「個人」に配信中(https://news.ya…

園田寿

刑法研究者です。/YAHOO!ニュース「個人」に配信中(https://news.yahoo.co.jp/byline/sonodahisashi/)/【座右の銘】法学は、物言わぬテミス(正義の女神)に言葉を与ふる作業なり。

マガジン

  • 毒にも薬にも

    薬物という概念は科学的概念ではなく、むしろ道徳的あるいは政治的評価に基づいて制定されたものであり、それ自体が規範と禁止の両方を持ち、説明や証明の可能性を許さない。(ジャック・デリダ)

  • 余滴 法学編

    余滴とは、ペン先に残ったインクのこと。むかし書いた法学に関する短文などをここにまとめようと思います。

  • マリファナのはなし

    マリファナは薬物である前に政治的、社会的概念である。マリファナ規制と罰則化の歴史は、マリファナという言葉、あるいは概念の構築と解体の歴史である。

  • 余滴 雑感編

    心に感じたこと、心に浮かんだことなどを書きためていきます。

  • 戦争と薬物

    疲労、飢餓、恐怖、睡眠不足、これらが戦争のもっとも基本的な要素である。薬物はこれらの問題を中和する手段である。個人の戦闘行動も、集団の戦闘行動も、すべてその当時の文化規範や道徳規範から評価されなければならない。

最近の記事

モルヒネのはなし

アヘンの元になるケシは、かつて農耕が始まったときに人間が最初に手にした薬草だといわれている。メソポタミア人はチグリス河やユーフラテス河でケシを栽培し、アッシリア人はケシに含まれるネバネバ成分を飲んでいた(それを固まらせたものが生アヘン)。ケシは「喜びの植物」という名前であった。 古代エジプト人もケシを薬物として栽培し、アヘンを使用していた。ギリシア人もそうだった。ホメーロスもアヘンについて言及している。 アヘンは人生の重荷や悲しみ、痛みに対する解毒剤であり、効果的な睡眠導

    • 「犯罪学の父」と呼ばれた男

      「犯罪学の父」と賞賛され、発表した論文には必ず編集者によって「偉大なるイタリアの学者」との謝辞が添えられていた-チェーザレ・ロンブローゾ(Cesare Lombroso、1835-1909)。生涯に数百本もの論文を生産し、1876年に刊行した『犯罪人論』(国立国会図書館デジタルコレクション)』は、世界中でもっとも多くの人びとに読まれた犯罪学のベストセラーとなった。 彼が生涯にわたって、おびただしい肉片、無数の骨片、多くの頭蓋骨、そしてそこから取り出した「犯罪者」の脳を整理し

      • 薬物所持に対する罰則は、薬物の使用そのものよりも個人に大きなダメージを与えるものであってはならない

        実は、1977年にジミー・カーターが大統領に当選したときに、アメリカでマリファナを一挙に合法化する動きが表面化したことがあった。かれは、就任1年目の8月2日に行われた米国議会での演説で、次の有名な言葉を述べた。 カーターは、1オンス(約28グラム)以下のマリファナ所持に対する連邦政府の罰則をすべて撤廃したいと考えていた。 カーターの薬物政策を担当したのは、イギリス生まれの精神科医、ピーター・G・ボーンだった。ボーンは、大統領の健康問題担当特別補佐官に任命され、連邦政府の薬

        • 大麻の喫煙はいつ頃から?

          食品としての大麻の歴史は古いが、大麻を燃やした煙を意識的に肺に入れることは、旧世界のさまざまな文化圏で古くから行われていた。香炉や香壺(こうご)から受動的に吸い込むことで多幸感を得られるという認識はかなり広まっていた。 しかし、16世紀末に新大陸からヨーロッパにタバコが伝わると、ヨーロッパから中近東にかけて瞬く間にパイプ(喫煙具)によるタバコの喫煙ブームが巻き起こった。それとともに、大麻も主にパイプを通して喫煙されるようになった。 大麻喫煙の習慣が一般化するにつれて、人び

        モルヒネのはなし

        • 「犯罪学の父」と呼ばれた男

        • 薬物所持に対する罰則は、薬物の使用そのものよりも個人に大きなダメージを与えるものであってはならない

        • 大麻の喫煙はいつ頃から?

        マガジン

        • 毒にも薬にも
          6本
        • 余滴 法学編
          12本
        • マリファナのはなし
          10本
        • 余滴 雑感編
          4本
        • 戦争と薬物
          27本

        記事

          太陽の島とマリファナのはなし

          ジャマイカに生まれ、1960年代から80年代にかけて世界的に流行したレゲエと呼ばれる音楽は、ジャズと同じくマリファナ(大麻)に魂を奪われた音楽である。4分の4拍子の2拍目と4拍目に弦のカッティングでアクセントをつけ、3拍目に強調されたベースを入れることによって、気持ちが後ろに引かれるような軽快なリズムが湧いている。レゲエとマリファナの関係も興味があるが、今から述べることはジャマイカ社会へのマリファナの浸透のことである。 マリファナがいつジャマイカに伝わったのかは定かではない

          太陽の島とマリファナのはなし

          機関車が走り出すときは明るい鐘の音が聞こえた

          1929年にウォール街で始まった経済の崩壊は、瞬く間にアメリカ全土に連鎖反応を引き起こした。 銀行が潰れ、会社が倒れ、工場は閉鎖されて、労働者は街に放り出された。雇用の選択肢のない中、仕事を求めてアメリカ中を渡り歩いた失業者たちは、「ホーボー」(Hobo)と呼ばれた。 ホーボーは、スープキッチン(炊き出し)に集まり、ドーナツの長い列に並んだ。ヒッチハイクもしたし、貨物列車に飛び乗ったりもした。このホームレスの放浪者たちは、要するに資本主義アメリカの廃棄物だった。 ホーボ

          機関車が走り出すときは明るい鐘の音が聞こえた

          天授の一石

          占いの道具であったともいわれている囲碁がいつ頃生まれたのかは定かではないが、論語にはすでに囲碁に関する記述があるので、少なくとも今から二千数百年前頃の中国では、囲碁は庶民の娯楽としてよく打たれていたのではないかと思われる。 日本には、遣唐留学生が囲碁を持ち帰り、平安貴族のたしなみとなったという。その後の、信長、秀吉、家康の碁好きは有名で、江戸時代に幕府が一部の碁打ちに俸禄を与えて保護したことから、囲碁の研究が飛躍的に深まり、進化した。 ところで、現在まで同じ碁はどれ一つと

          天授の一石

          碁会所の思い出

          囲碁を覚えたのは20歳前後のことで、夜中に天井に碁盤が浮かぶほどのめり込んだが、碁を打つ機会は、当時は今のようにネットで対局するネット碁もなく、いわゆる碁会所(ごかいしょ)で対局する以外にほとんどなかった。 碁好きはだれでも街を歩いていて不思議と「碁」という看板には目がいくものだけど、この碁会所が初心者にとっては結構敷居が高いのである。自分のような弱い者でも構わないのだろうか、屈辱的な扱いを受けはしないだろうか、周りの人に迷惑ではないのだろうかなど、初心者にとって碁会所は心

          碁会所の思い出

          推定無罪

          若き日のハリソン・フォードが好演した、映画「推定無罪」――ラスティ・サビッチ検事と不倫関係にあった同僚の女性検事補が、何者かに惨殺される。現場にあったグラスにラスティの指紋があったことから、ラスティ自身に嫌疑がかかる。しかし、無実を証明する決定的証拠はなく、逆に殺意を推測させる情況証拠もあり、裁判は彼にとって決定的に不利になる。 ところが、唯一の物証であったグラスが警察の保管室から消え、さらに検察側の証人として法廷に立った医師に対する反対尋問が功を奏し、弁護側は徐々にポイン

          推定無罪

          All of Me~♪

          開高健がどこかのエッセイでこんなことを書いていた。 恋のもつれの果てに起こった事件のことだ。新聞の三面記事を見ていると、だいたいこの法則が当てはまる。 ジャズのスタンダードナンバーである「All Of Me」は、「私の心を奪った以上は、私のすべてを奪ってよ」、と女性が男性に激しく迫る歌だ。へたをすると上のような結末になりかねない。だから、シンガーとしては、「All of me~ Why not take all of me」という出だしの部分の歌い方がとても難しいのだと思

          All of Me~♪

          マリファナ合法化運動はこうして始まった

          1964年8月16日、ヘイト・アシュベリーに住むローウェル・エッゲマイヤー(Lowell Eggemeier)は、サンフランシスコの警察署に足を踏み入れた。そこでかれは静かにジョイント(マリファナ)に火をつけ、大きく吸い込み、ゆっくりと息を吐いた。そして、近づいてきた警官にこう言った。 「逮捕してくれ」 警官は即座にかれを逮捕した。 これが、アメリカにおけるマリファナ合法化運動の始まりだった。それまで誰も吸っていなかった場所で大胆に吸うことで、マリファナを吸うことが政治

          マリファナ合法化運動はこうして始まった

          爆撃機のパイロットは眠くなると乳白色の錠剤を噛み始めた

          1940年、イギリスによって撃墜されるドイツ機の数が増えるにつれて、ドイツ空軍はロンドンへの空爆を夜間に行なうようになった。イギリスはこれを「ブリッツ」(稲妻)と呼んだ。 ドイツ空軍の出撃は夜の10時から11時に行なわれる。3~4時間かけて爆撃機はロンドン上空に到着した。眠気を催すと、パイロットたちは「ゲーリング錠」と呼んでいた「ペルビチン」(メタンフェタミン=覚醒剤)の錠剤を噛んだ。 軍服の膝のポケットには小さなハンカチがあり、そこに乳白色の錠剤が数個貼り付けてあった。

          爆撃機のパイロットは眠くなると乳白色の錠剤を噛み始めた

          刑罰についての考え方はこんな感じで変わってきた

          1.ローテンブルクの中世犯罪博物館ドイツを旅行する多くの日本人が訪れる場所のひとつに「ロマンチック街道」がある。旧西ドイツの中央、ヴュルツブルクからアウグスブルクを経て、ノイシュバンシュタイン城で名高いフュッセンまでを南下する全長約350キロほどの街道である。そのなかほどにローテンブルクという、中世の面影をそのまま残した小さな美しい街がある。毎年、多くの日本人観光客がこの街を訪れるが、そこに世界でも最大級の「中世犯罪博物館」(日本語のサイト=Mittelalterliches

          刑罰についての考え方はこんな感じで変わってきた

          覚醒剤が支えた電撃戦

          ドイツ軍が1939年9月に行なったポーランド侵攻は、戦争における速度の重要性を証明する戦いであった。この侵攻は、工業化された戦争の新しい形態であって、電撃戦と呼ばれた 。電撃戦は速度と奇襲性を重視し、パンツァー師団(第4装甲師団)やシュトゥーカ爆撃機などのドイツが誇る技術力を発揮する機械化された攻撃、そして前例のない速さで行われる進撃で敵の意表をつくものであった。 しかし、電撃作戦の唯一の弱点は、兵士が機械ではなく人間であったことだった。つまり兵士は、定期的に休息と睡眠を必

          覚醒剤が支えた電撃戦

          『5000年前の男』ー法学部新入生によく薦める本ー

          K.シュピンドラー著(畔上司訳)『5000年前の男』(文春文庫)である(絶版になっているようだが、古書として入手可能)。 マスコミでも当時大きく報道されたので、あるいはみなさんの記憶に残っているかもしれない。1991年9月19日、オーストリアとイタリアの国境近く、標高3200メートルのアルプス山中で、氷河に埋もれて自然凍結され、ミイラ状になった男の死体が発見される。死体はほぼ完全な形で残っており、当初は殺人事件かと警察が乗り出したが、調査の過程で、なんと死亡推定時期が紀元前

          『5000年前の男』ー法学部新入生によく薦める本ー

          孫四郎の犯罪

          1.殺生の快楽 「殺生の快楽は、酒色の快楽の比ではない。罪も報いも何でもない」。これは、柳田國男が『後狩詞記』(のちのかりことばのき)の序文に書いた言葉である。一言で猟奇的犯罪の本質をも鷲掴みにするような凄みがあるから、刑法を研究する者としては、最初に読んだときからこの言葉が頭に焼き付いている。  この書は、柳田が宮崎県日向の椎葉村に古くから伝わる狩りの作法をまとめたものである。猟犬の仕込み、獲物の射方、屠り方など、どこを開いても血の匂いがしてくるが、古人は狩りに厳格な作法

          孫四郎の犯罪