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「オバマ熱」5年後の広島は

5年前の昨日、2016年5月27日は、広島にとって「歴史的な1日」だった。バラク・オバマ氏が、現職のアメリカの大統領として初めて被爆地・広島を訪れた日。私も取材班の一員としてあの日、夕暮れ時の平和公園にいた。あれから5年、打って変わって静まりかえった平和公園。静かなのはコロナのせいだけなのだろうか。5年前にお会いしたとき、来訪に興奮した広島を「オバマ熱」と切って捨てた、元新聞記者で元広島市長の平岡敬さん(93)に、5月27日その日に聞いてみた。結局、オバマ氏の訪問は広島にとって何の意味があったのですか。それによって、浮き彫りになったものは何ですか――。

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ひらおか・たかし 1927年、大阪市生まれ。広島と朝鮮半島で育つ。終戦時は、京城(現在のソウル)にいた。52年、中国新聞社に入社。編集委員、編集局長などを経て、中国放送(RCC)社長に。91年から2期8年、広島市長を務めた。著書に「偏見と差別」(未来社)、「希望のヒロシマ」(岩波新書)など。


米軍基地から平和公園へ

――2016年5月27日はどこで、どういう風に過ごしていましたか。

家の2階からちょうど広島西飛行場が見える。オスプレイがどんどん飛んでくるのをみた。西飛行場って、ちょっと思いがあるんですよ。市長在任時、廃港にすることになっているのを、広島市の都市空港として残そうとして。そのときに運輸省の航空担当の人に「一県一空港と決まっている」って言われ、だめになった。その空港にオバマが来た。使ってるじゃないか。オバマは来た時に岩国から来た。これがだいたいけしからん。確か、入国のときもあれは横田基地に来たんじゃないですか。羽田空港じゃなくて。大統領が、表玄関から来ず横田に来た。やっぱり日本は占領下にあるんだなと。普通は国に入るときは検疫を受けて入国審査を受けるんだけど。

――あのときの広島は、路面電車は運休になり、市民の憩いの場である平和公園からも市民は締め出された。修学旅行生もたくさんいる時期ですが。

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ぼくは最初からね、反対論をいっていた。何しに来るのかと。ものすごく違和感があったんですよ。(原爆投下について)謝らんでいいって岸田さん(当時の外相)も、湯崎さん(広島県知事)も言ったでしょ。謝らなくてもいいから来てくれと。それで怒った。だれの許しを得てそういうことを言えるのか。死者、殺された人間はどう思っているか。今のうのうと生きている人間が、謝らなくてもいいとは何事かと。僕は謝るべきだと思っている。

原爆投下は間違いだったと、アメリカに認めさせなければならない。過ちを認めてまず謝罪する、そして補償する、そして再発防止を誓う、というのが和解の3原則。謝らなくてもいいって、なんでそんなことを言ったのか。ただ来てもらいたいだけでしょう。なんのために来てもらいたいのか。謝らずに来て、死者が許すだろうか。だからとにかく僕は反対だった。

平和もオバマ頼みか

――あのとき色んな被爆者の方に話を聞いた。それぞれに思いはあるが、来てくれたらそれだけで大きな一歩だという声が多かったように思いますが?

オバマに対する過剰な期待でしょう。他人頼みというかオバマ頼み。日本人にはたえずある。自分の力で現実を変えていこうとせず、他人の力を借りる。オバマの力を借りて、平和をもたらそうという。

2009年にプラハでの「核なき世界を」という演説を聴いて僕は感動した。で、みんなが万歳した。特に広島は舞い上がった。

僕は、オバマがどういう政策をとるか、予算をみなきゃいけないと思った。みたら、核兵器の予算が、前大統領のときより10%増えている。これはインチキじゃないかと。あれだけ核兵器をなくそうといったのに開発予算を増やしている。それが彼の人間性に対する不信感。その後、オサマ・ビンラディンを急襲作戦で殺害したときの中継を見ていたら、オバマが手を叩いていた。これはいかんな、と。どんな犯罪人であっても捕まえて裁判にかけるなりしないといけないのに、殺して手を叩くなんて、けしからん。彼の言う「正義」というのは眉唾だなと。

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