見出し画像

「SONO的、余生の歩き方」

人生の後半、50歳に手がとどく今、SONOが思う5つのこと

1. やりたいことは、やりたい時に

50歳を目の前にして、上の息子たちはおかげさまで成人、末っ子は4月から中学生に。すっかり手が離れて、おそらくもうある程度の役目は終わるんだなあって感じがしてる。最近は、ゆっくり話を聞いたり一緒にお菓子を作ったり、ボーナストラック的な時間を過ごしてる。でね、子どもが小さかった頃をたまに思い出すんだけどね。そのほとんどが可愛かったなあとか楽しい時間だったなあとかで、思い出って良いことしか思い浮かばないって不思議よね。でも敢えて嫌なことを思い出してみると、完全母乳だったから3時間毎の授乳と夜泣きで夜もちゃんと寝れなかったこと、なのに早起きして夫の朝ごはんとお弁当作ることが本当にしんどかった。2年後に2人目ができてからは更に大変で前に抱っこ後ろにおんぶで家事育児。仕事はしていたけど自分のやりたいことができなくて、毎日イライラしてはグズグズ言う小さな長男に怒って泣いて反省を繰り返す、変わり映えしないグレーな日常に押し潰されてた。今みたいに子育てに父親が参加する時代じゃなかったから基本ワンオペで不満とストレスしかなかったなあ。その当時、高校生の頃からお世話になってた陶芸家で、あたしの心のお師匠さんから言われた言葉で唯一、あたしが拒んだ言葉。それは「いつか必ず自分のしたいことができる時がくるから、今は子どものことをいちばんに考えなさい」だった。

確かに、いつか手が放れる日が来るのはわかる。でもこの年齢の自分は今しかいない。「今しかできない」こと、「今しか感じられない」ことがある。大切したいのは今この瞬間だ。それが、あたしの出した答えだった。この辺りから自分の人生と子どもの人生を分けて考えるようになったし、よくよく考えたらそれは当然の成り行きだったと思う。だって子どもはひとりの人格と人生を携えた人間なんだもの。そこから人生の舵取りが大きく変わった。母親である自分も子どもたちも、明日その命が終わるかもしれないからね、「あたしが突然いなくなっても生きていけるように構えてなさい」が口癖だったけど、今思うと保育園や小学校低学年にはなかなかハードな言葉だよね 笑。

離婚を意識だしたのは40歳。結婚して8年くらい経った頃かな。家の外に居場所がほしくて友人のお店にずっと居続けたりして、40歳の誕生日を機に誕生日は家で過ごさないことを決意した。その頃、音楽活動もしてたから余計に家を空けることが多くなってた。とにかく外へ出るための段取りだよね。仕事、子どもお迎え、夕飯の支度の段取りに次ぐ段取りの日々。ライブで沖縄に行ったりし出したのもこの頃。そこからは、やりたいことをやる。食べたいものを食べて行きたいところには行く。好きな人には好きだと言うし会いたい人には必ず会いに行く。そういう欲求に対して、自ら素直に寄り添っていくスタイルをライフワークとしてやると決心してからは家庭内でするべきことの最優先を決めた。食事に関しては絶対的にサボらない、ちゃんと作る、これだけをやってきた感じ。泊まりで旅行に行く時は、お弁当、夕飯は日数分タッパーかラップで冷凍、掃除や洗濯なんかは息子たちにお願いして、できることはやってもらうように細かい指示書を書いて渡してた。おかげで息子たちもある程度は家事もできるようになって一石二鳥だったね。

でもね、離婚を意識したものの、少しの希望が見えたこともあって3人目が生まれて(その子があたしのお守り的存在になっていくんだけど)、また初めからの子育てスタート。でも1回経験してるから随分と気楽だったし完全母乳の期間を過ぎたら赤子を連れて飲み屋に通い出してて。行けば誰かが相手をしてくれて子どもから解放される時間が得られたことは大きかったし縁のある人たちにも多く出会えた。末っ子は幼い頃から大人とばかり接していたから今でもちょっと感覚が大人っぽいんだよね。良い教育だったなあと今も思ってる。でも、そんな影響があることなんて想像もしないから、幼子を連れ毎週末出かける妻を夫は良く思わず。とうとう飲み屋まで迎えにきちゃって、そこから離婚に向けてのカウントダウン開始(その辺りの細かいことはまたどこかで書こうかな)。

2年間かけての円満離婚を迎えたのが2017年3月、末っ子が保育園を卒園する年。もうちょっと子どもが大きくなってからって意見が大多数の中、職場に来ていた外注さんの一言が大きなきっかけ。「家族内で両親の違和感を感じさせるより、お母さんが毎日笑って楽しそうにしてる方が子どもは嬉しいと思うけど?」その言葉にかなり救われたし、実際のところ日常イライラして子どもに寄り添う気持ちの余裕もなかったしね。それからどうしたら離婚に応じてもらえるかを考えつつ、その先の生活に必要な手続きとかを片っ端から調べ倒してた。なかなか進まなかったのは、当初なんとか離婚したいっていう感情が先にあったからだと思う。それが段々と「新しい家族のカタチを作ること」にシフトしてきて、別に一緒にいなくても家族は家族でしょっていう感覚になってから早かった。子どもたちには未だに離婚したって言葉は言ってなくて、当時は仕事の都合でお父さんは別の家に住む的な説明をしていたし、それこそ彼の職場はうちの隣でもあるからしょっちゅう顔は合わせることもあったのと、基本ワンオペ育児のおかげで生活は全く変わらず。あれ?お父さん、家にいないだけ?って感じだった 笑。

そんな感じでシングル生活が6年経ち、長男も次男も成人して、あたしには自分のためだけの自由な時間ができて、行きたい場所へいつでも行けるし、好きな人にも会いに行ける。あんなに嫌いだったのに家にもいる時間も増えた。離婚して良かった最大のことは自由に子育てができること。もちろん元夫の協力は不可欠だし今も仲良しで感謝もしてる。離れたからこそ分かることがあった。きっと今は夫婦や家族の在り方ってもっと自由度が上がってるよね。ただ、それってホントにそれぞれで正解なんてないってこと。大事なことは、こう在りたいってことを相手ときちんと向き合って建設的に話ができるかどうか。自分の意思の持ちようでなんとでも新構築・再構築できるってこと。

2. 気持ちに素直になること

基本的に、ざっくり強盗と人殺し以外は何をやってもいいんじゃないかって思っている 笑。大体のルールや秩序、規則とか校則も然り、おなじどっかの人間が作ったものでしかない。しかも大抵は強い者を守るための、もしくは特定の人間や企業の経済発展のためにあると、あたしは思っている(あくまで個人の意見)。高校生の頃、途中からピアス禁止令が出て、その理由が分からなかったから校長先生に直接聞きに行ったことがある。「なぜ急にピアスが禁止されるのか理由を知りたいです」って言ったら、「なんだ、そんなことか!」と、当時の校長はガハハと笑って即時ピアス禁止は解禁された。約30年以上前の話。髪の色もスカートの丈もピアスも学ぶスタンスと関係ないと思っていた上、当時のクラスメイトたちは頭脳明晰、本当に頭の良い子が多くて、ちょっと頑張れば付属の大学にも行けたのに有名校に進学、海外に留学って子たちが多かった。ピアスであろうが金髪であろうが皆んな成績優秀だったからね。やることはやる、嫌なことは嫌な理由とともに担任や教科の先生に直談判なんてごく普通のことだった。

そういう思春期を過ごしたおかげもあって、理不尽を感じたり納得がいかないことに関しては必ずその相手や事象と向き合う、話し合うことが当たり前になってたから、それが今の思考や行動に多大な影響を与えてるって思う。離婚の話し合いもおなじことだったもんね。「こうでなければならない」を突きつけられた時になぜ?って違和感を感じたら、そこは自分の中にある「こうありたい」と違ってる可能性があるから、一旦立ち止まって違和感の出所を探すことが大事だよね。

人生80年として、桜の花があと何回見れるかなって考えた時、あと30回しか見れない!って思ってハッとしたよね。もうほんと数えられるほどの時間しかないんだなって思って。そうしたら余計にね「今すべきこと」も大事だけど「今したいこと」の方がずっと大事だなって感じたのね。こんな瞬く間の人生の中で、誰かの設定したルールに疑問も持たずに沿って生きるなんてもったいなくてできない、もっと自分に素直にシンプルに生きれば良いじゃない!って思った。だからまだ下の子は保育園児だったけど何の躊躇もなく離婚もしたし(2年かかったけど)、8年間やってた仕事も思い切って辞めちゃった。本当に自分が望むことをやらないと、せっかくこの人生に、あたしとして生きてる意味がないんじゃないかと思ったし大抵は事が動けば何とでもなっていくもので、自分じゃなくてもいい世界には居なくていいって思った。大切な今を最大限に大切にしたい。残りの30年で見れるであろう桜を、本当に好きな人と素直に生きる人生の中で見たい、そう思ったんだよね。桜は苦手だったのにね 笑。

3. なんにもしないも大事

人間、ただ生きてるだけでもすごいなって最近思ってて、たとえば親の期待に沿って生きてきた身としては「ずっと何かを成さないといけない」みたいな気持ちだったから、何者でもない自分であることが恐怖なわけ。認めてもらえない、評価されない自分にものすごく劣等感を感じたり、自己肯定ができなかったり。あれがしたいけど評価されなかったらどうしよう、とか、こんなこと言ったらどう思われちゃうか、とかね。実際、自分としては100ではないけど、その時の最大でやったことを否定されてしまうと、そこからまた動けなくなったりして。そういう強迫観念みたいな世界で長いこと生きてきたってこともあって年齢を重ねてもここからなかなか抜け出れなかった。

2022年の12月に人生初めて左手首を骨折して、とにかく通常の生活がままならなくて。毎日やってるどうでもいいような洗濯バサミに洗濯物を挟むって行為ができない、包丁で何かを切るってこともできなくて滅入ってしまって。もうホントになんにもできないわけ。寝る時もギブスが邪魔で寝にくいし出てる部分が寒いし、着替えるのもお風呂に入るのも大変で、外出もままならなくて。骨折の理由もあって多分人生の中で結構な底を体験、しかもそれはまだ序章だったのね。1月末にギブスが取れても寒さもあって痛みや動きはなかなか戻らず、数ヶ月ギブスで固定されてきた腕を普通に伸ばせるようになるまでまた数ヶ月。それでなくても落ち込む要素しかない寒い時期の2月の頭には、当時仲良くしていた彼に新しいパートナーができたこと知らされる。とにかく底も底、真っ暗闇の海底にいるような気持ちだった。

底辺を彷徨ったその辺りから「自分を生きる」ってことを今までよりずっと深いところからから考えだして、自分がどう生きたいのか、どうありたいのか。そんなことをノートに書いたり日記に書いたりし続けてた。仕事を辞めたのもこの時期。少しずつ春の兆しが見える中で自分に起きたことを受け止めて、そこからどうしたいのかを見つめる作業。所謂、内観ってやつです。まあまあキツかったけどね、でも、それがあったからこその今があるって言える。当時、話を聞いてくれる方や支えてくれる友人がいてくれたことも本当に有り難かった。ただ、こういう経験、人生のもうちょっと早くで済ませたかったよねって思った 笑。

話を戻すと、何にもできない期間を過ごして、何にもしないって意味があるんだなって思った。手が不自由だと、できることは限りなく少なくなるし、何もできない上、精神的にも落ち込んじゃって働けない、ということはお金も発生しない。そんな時にできることって、自分と向き合うしかなくて。家にいても寝てるだけで、あたしって何で生きてるんだろうって否応なしに考えさせられた。でも徹底的にそこと向き合ったおかげもあって、まあ底辺に行き着いてしまうと浮き上がるしかなくなるしで、少しずつ上向きなるんだよね。家庭では子どもたちとの日常の生活があるし、辞めちゃた仕事の失業保険の手続きとか現実的なこともしなくちゃいけなくて。でね、ちょうどその続きで、13年いてくれた猫ちゃんが亡くなったりして、この上ないくらい結構な辛い時期だったと思う。

とにかく辛くて悲しいことばっかりが身の上に降りかかってきてくるもんだから、とにかくこれは何か意味があるに違いないって自分の状況と気持ちに反することなく徹底的に向き合って、悲しい時は悲しい、泣きたい時は泣く、何もしたくなければ寝て過ごす。そういう期間を5ヶ月くらい過ごしたかな。でもね、その時期に人生を変えるような出会いがあったんだよね。失うと入る手放すと開く。これってやっぱり宇宙的法則なんだよね。どんなに順調に進んでいても、どこかの時点で崩れたり失ったりするけど、無くしたら必ず新しい風が吹いて新しい景色が目の前に広がる。そういう経験の積み重ねが確実に今に繋がっていて、人生は捨てたもんじゃないってことを強く思わされたし、人生は出会いの連続なんだなと思ったのも事実。だから、嬉しいとか幸せだなって時は去ることながら、辛い苦しい時こそ、その気持ちに素直に自ら寄り添って向き合うことは大事だなって思う。明けない夜はないのよね。

4. 感覚をもっと信じる

思い返せば、人生これでもかっていう暗雲の中を彷徨ってきた。大学時代に関してはあまりに酷い精神状態で記憶がほとんどないくらい。母親の不貞を保育所の先生から囁かれる幼少期、あり得ないくらい複雑すぎる家庭環境、小中学の激しいイジメ、理想を押し付ける母親、4歳の頃に離婚してた会ったこともない父親の死、ワンオペ育児な上やりたいことを奪われた(と感じてた)結婚生活。こういうの、いつまで続くの?って思ってたもんね。数年前に僧侶の友人に占ってもらったら「よくここまで生きてこれましたね」って言われて、やっぱりまあまあ酷い人生歩んできたのねと理解した。一般的でない日常は人間の成長を確実に促す。そのおかげで生きる力は身につけたかもしれないけれど、自己肯定感が低すぎて、幸せなんて自分には無関係なものだと思い込んでたことも事実。

でもね、そんな過去を経て、50歳に手がとどきそうな今、あり得ないと思っていた「幸せ」って感覚が自分に訪れてる事がもう奇跡なんだよね。そう思える理由のひとつは、おそらくレリジエンス(精神的回復能力)の高さ。高校の同級生にも「SONOは逆境に強い」って言われていたしね。実はこれ自身の特殊能力だと思っているんだけど、明らかに困難な出来事が目の前に現れた時、完全にその闇の中に入り込んで暗さを味わうってことを無意識にしていて。闇は光があるからこその闇、必ず光に転化するってことをどこかで認識してるのね。実際、その真っ暗な内側にいると必ずどこからか希望が見え隠れし始めて、その小さな希望の光みたいなものを一生懸命たぐり寄せてきたのかもしれない。それはある意味で感覚的な世界だと思ってて、目の前にある現象とは全く別の次元からの答あわせみたいな感じ。常識や慣習みたいなものに囚われない感覚。今ある現状の常識やルールって未来には絶対に変わるよねっていう根拠のない確信みたいなものがあって。だから人生においての耐久力とか再起能力が高いんじゃないかな。

感覚で導かれることは人生でずっと結構あって、過去どの道を選択するかの分岐点では明らかにこっちだと明確に答えを出してきた。その都度、出会う人たちとの関係性を構築しては新しい景色を見てきた。ずっと変わらない関係性も勿論あるけど大体は必要なくなったら人間関係も場所も即座に変わる。いわゆるステージが変わるということ。それを本当に何度も繰り返して人生が物語のように綴られてるって最近は思う。「感覚」って個人が持ってる「最大の武器」で、己が感じるものでしかない上に自分でしか使いこなせない。ある意味、気づいた者勝ち、人生という海を自由に航海する大きな舟への乗車券みたいなものかな。検索したり調べたりするどんな物質的なデータベースよりもAIよりも自分にとって確実かつ正確で人生に最も影響を与えるものだと、あたしは思ってる。

5. 人生には必ず終わりが来る

あたりまえだけど人はいつか必ず死を迎える。それが明日なのか来年なのか10年後なのか。それは宇宙にしか分からないから、いつ何時その時がやってきても、この人生に後悔はありません、楽しい時間をありがとうございましたって言える自分でいたいよね。生まれた瞬間から死に向かって進んでいるって言っても過言ではないもんね。だからこそ、その生の行く先が、いつか迎える死を愛られる、お祝いできるくらいの気分で生きていたいって思ってる。特別な宗教観はないけど、死=終わりではないってことは何となく気づいていて、それは子どもの頃から今も見続けてる不思議な夢(ここもすごくおもしろいからまたどこかの機会で)だったり、なぜか訪れる奇跡的な出会いやお手配的な出来事を経験してきたからかもしれない。お手配って言葉は、友人の占い師から初めて聞いた言葉で、なんかすごく心に来たんだよね。確かに導かれる道があることを確信させられる出来事はあって予定がないのに行かされる場所、呼ばれる場所。思い起こせば結局はそういうことの連続で人生は成り立ってきちゃってることをもう否定できない時が今なんだなってこと。

日常的に「生きる」を意識することって、ものすごく大事なことで。眠りに就いて目が覚めて、でも身体は頼まなくたって24時間フル稼働してくれて自動的に呼吸してくれてる。眠れば朝には目が覚めて、勝手にお腹は減るし、ウイルスが侵入したら熱を出して体の外へ出そうとしてくれる。あたしは目が弱くて、目に不具合を起こしたとき朝に目が覚めて目を開いた瞬間に見えるって事がものすごい奇跡だって思ったのね。例えば、あれ?雨降りそうねとか、あの人今ちょっと機嫌悪そうねとか、なんとなく分かったりもする事があるよね。よくよく考えてみたら、それもめっちゃ不思議。雰囲気でなんとなく感じること、何気なしになんとなく行動してること、無意識になんとなく生きてること。その「なんとなく」を深掘りしてみると気づくことがあるのよね。なんとなく感じること、なんとなくしたいこと。あたしはそれをもっと忠実に現象化したいって思う。

生きる」ことを意識することは、ひとつひとつの行動を丁寧にすることって言い換えられるのかもしれない。何かのスイッチを入れる時、今からスイッチを押しますよって意識する(実際これで一回使えなくなったドライヤーが復活した)。子どもの話を聞く時、彼らが本当に言いたい事は何だろうって考えてながら耳を傾ける。イライラした時、イライラしてる自分を客観的に観察する。野菜や肉を切る時、彼らの出生や部位や色形と対峙してみる。自分なりの「意識する」ポイントを作ってみるとたくさんの発見があるんだよね。無意識を意識するって、使ってない部分を刺激することになるからね。今まで全く考えもしなかったこととか、思いもしなかったこと、導き出せなかった答えに辿り着いたりするのよね。

生きる=死に向かう。絶対死ぬんだから、じゃあ何する?どう生きる?って、ものすごく意味のある命題だよね(本来、死は悲しむことでもなければ終わりでもないけど、それはまた別のところで)。突然の死の宣告も不慮の事故も、その気持ちを持ってるか否かでは瞬間の感覚は違うと思うんだよね。だって、いつ死んでもいいようにって毎日考えてたら生きることに真剣になるはずだから。人生は必ず終わる。それはこの世界で唯一の絶対的なこと。人間としての生はどこの時点かも判らぬまま、必ず終わりを迎えるから、悔いなんて残したくないし、やれることはやっておきたい。言いたいことは言っておきたいし、叶えられることは叶えたい。だって、この顔と声、この身体で、この世界を生きるのは今回だけなんだから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?