自由主義について


自由主義は元々はキリスト教のfreedomから生まれたという考え方がある。freedomの伝統が無い日本で自由主義を唱えても、anomy(アノミー/無連帯)に陥るだけで、長い目で見ると社会が崩壊していくというような考え方がある。そこで三島由紀夫や小室直樹のような碩学たちは「神道の復活」ということに期待した。というのも、キリスト教と神道は、宗教として似ている部分があり、特に明治維新以来は、キリスト教に積極的に寄せに行ったところがある。神道という宗教にはそういう所があり、仏教全盛のころは、神社は「本地垂迹説」という形で、自ら仏教に寄せて生き残りを図ったところがある。神道には明確な教義というものが無いので、かなり融通無碍に解釈できるところがあるのだろうと思う。哲学的にいかえれば、すべての現象の根底にある自然(ピュシス/存在)を崇拝するような宗教なので、表層的などんなデザインも受け入れてしまえる受容力があるのかもしれない。

ところで、戦後は神道の力が弱まったために、仏教の考え方が社会を支配していると論じる論者もいる。(市川隆久氏ブログ参照)
私は、日本の大乗仏教というのは、神道への先祖帰り運動ではないかという気がしているので、必ずしも氏の意見に同意するものではない、しかし、「日本に置ける自由主義」や「自由とは何なのか」「仏教と神道」「西洋哲学と仏教思想」などの問題については、一度しっかりと考えておく必要はあるのではないかと思っている。


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