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心と身体②

保育園探し

 息子も1歳になれば、時短勤務も終わり通常通りの勤務になりレセプト業務で月末、月初めは残業もある。主人がお迎えに来てくれるにしても院内託児所では遠すぎる。自宅の近くで保育園を探さないと・・・。

 今でこそ、合併して『市』となったが、当時私の住んでいるところは『村』でした。『村』・・・。
7時には預けられて、夜もなんとか7時頃まで預けられる保育園・・・。
そんなもの村にはない。市内のビルでやってる狭い託児所しかないのか・・・?
料金すごく高い・・・。

 絶望を感じていた頃、検診の時に会った、近所のお友達ママが、隣町にあるよっと教えてくれました。しかも利用している高速インターの近く!主人の通勤経路も近い!直ぐにお話を聞きに行きました。
とても優しい先生方で4月からの入園ではなく、途中入園で2月から登園出来ることになりました。
途中入園でしたが4月には、皆と一緒に入園式にも参加させていただけました。1歳の子供はさすがに少なかったです。

 慣れるまでは、メソメソ泣くことが多かったようで、保育ノートには今日も背中(先生におんぶ)でした。という日が続きました。
園での様子は毎日保育ノートに細かく記入してくださり、多少のお熱なら大丈夫と預かっていただけたり、飲み薬や塗り薬も嫌な顔せずに対応していただけました。
こちらが、不安定になったり、心配事が起こっても、『大丈夫よ』と笑顔で受け止めていただき、子供だけでなく母親まで抱きしめていただけました。
尊いお仕事。子供はもちろん、私も先生方が大好きでした。

仕事との調整


 朝7時には一緒に家を出て、帰りは18時30分を目標に迎えに行きました。
私たち夫婦は家を拠点にお互い反対方向に勤め先があり、保育園が互いの勤務先からの中間地点でした。どうしても遅れそうなときは、主人に連絡し、お迎えを頼みました。

 以前の院内託児所の時は、病院での診察時、検診や予防接種の時などは勤務中に託児所にお迎えに行き受けさせることができました。これは本当にありがたかった。病院勤務でなかったら、休みを取ったり、遅刻や早退をして、時間を捻出して行かなくてはならない。検診なんかは絶対平日だ。

 それでも、毎月の月末、月初めは私は必ず残業、月によっては、レセプトのために土・日出勤もあったし、数か月ごとに救急窓口の当直もまわってきた。
 主人は平日休みで土日は月に2回ほどしかなく、年末年始も、GWも、お盆休みもない。お互いの休みを照らし合わせて、可能・不可能を出し、計画をたっぷり練って月の予定を組んだ。これはこの先何年も続いた。主人が平日休みだったお蔭で、定期検診や予防接種はほぼ主人が連れて行ってくれた。
 毎回主人が保健センターにもいくので、私より主人のほうがママたちをよく知っていたし、主人も子煩悩なパパとして知られていった。

 お盆は毎年困った。夫婦ともに勤め先にはお盆休みはなかった。
地方から出てきている人たちはお盆は里帰りしたいということで、お盆に有休を入れてくる。もちろん私もそういった方々に休んで欲しい。
でも、保育園も休みなんだよ。そして、お盆は主人の週一の休みすらなくなった。書き入れ時ってやつです。
 そんな時はどうしたかというと。普段は商売で忙しい実家に私と子どもで泊まりに行き、そこから出勤していました。おもちゃも服もおむつも・・・生活に必要なものを衣装ケースに詰め込んで実家に乗り込みました。
両親には感謝です。連れてこいと言ってくれました。
 しかし、実家にいる祖母は息子である私の父が、私が仕事に行くために、孫(祖母にとってはひ孫)の面倒を見ているのがとても不愉快であったようで、いつも嫌味を言ってきました。

 朝、お弁当を作ることもなくなり、園では毎日お野菜たっぷりのおじやがよく出ていました。園庭も広くのびのびと遊ぶことができます。年齢の違う沢山の子供たち。運動会も発表会もありました。マンモス保育園なので運動会は別のグランドで行われましたし。発表会は入替制でした。

 保育園では夕方になると、お残り保育ということで様々な年齢の子供たちも一つの部屋に集められます。別料金になります。
お兄ちゃんやお姉ちゃんたち、担任以外の様々な先生とも関わることで、子供はあっという間に園にも慣れ、皆に愛され、とても可愛がっていただけました。お迎えが遅くなると、最後の一人になっていないかと焦る気持ちで迎えに行くこともありましたが、大好きな先生を独占してご満悦の様子だったな。
先生、ありがとうございました。

 こうして思い出してみると、やはり共働きは大変です。怒涛だった。
わかってる。働いてなくとも子育てはすごく大変なこと。

どんなに計画立てても、子供は突然熱を出すし、思い通りの時間にすべて進むとは限らない。夜から発熱しだすと明日どうしようと何度も熱を測ってみたり、どちらが休めるかで変な空気の話し合いが続くし、職場の迷惑をかけるであろう人々の顔が浮かんで申し訳なくなる。そんな思いを何回も何回も繰り返し、日々は過ぎていきました。
それでも私たちは、2人目がそろそろ欲しいねということで計画を立てるのでした。
そして、更に更に大変な日々に自ら突っ込んでいきました。



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