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新聞売り【日刊ボンクラ東京1号】


 彼が話しかけてきたのは、僕が新聞を読み終えて、のり巻きみたいにした時だった。

「それ、読みました?」
「ああ、読んだよ」

 僕は少し戸惑いながら返事をした。
 声がやけに響き渡っているような気がする。ここは人でいっぱいの朝の通勤快速だ。

「よかったら200円でもらえませんか」

 彼は紫のビーニーキャップがよく似合う青年だった。僕と同じくらいの歳だろうか。

「金はいいよ。どうせ捨てるものだったし」

 僕はそう言って、彼に新聞を丸めたまま渡した。

「え、いいんすか。ありがとうございます!」

 彼はニカっと笑って、僕に右手を差しだす。

「縁ができましたね」

 僕は少し驚いたが、右手を出して彼と握手をした。

「お兄さん、読んだらいつも網棚に置いてるでしょ。ここに放るくらいなら僕に売ってください」

 彼がニヒルに笑う。僕は同じような顔をして、笑い返した。

「じゃあ明日もここに来てくれよ。新聞を買った日は君にやる」

 やがて彼は三鷹で、僕は新宿で降りた。

 僕は、あんなどうでもいい行動を、まっすぐ突っこまれたのが、なんか嬉しかった。
 新聞を捨てるのが、良いとか悪いとかじゃなくて、僕は彼に会えたのが嬉しかったのだ。

 明日は新聞を変えてみるか。彼はそれでも買うのだろうか。

 僕は、鼻歌を口ずさむ。会社まであとちょっとだ。


———


 今日からほぼ毎日更新の連載を始めようと思い立ち、すぐに書いてみました。


 新聞のコラムというのがあると思いますが、あれくらいのボリュームで私が好きな東京の温かい風景を描けたら、思っております。


 最近、新聞をながめている人を電車で見ることが少なくなりました。子供の頃は、新聞を工夫しながら折りたたみ、電車の中で読んでいる人をよく見たものです。あの紙のくしゃくしゃとした音が懐かしいな。かっこいい大人像のひとつです。

 それではまた。
 今号は、2024.3/7の夜配信のスクラップ・アパートメントでございます。
 東京が好きなあなたに、今日もおやすみなさい。


「東京スクラップ・アパートメント」2024.3/7号
 橋本そら


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