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「不登校」が増えているのは、子どもたちが発してくれている教育への警告

発達凸凹さんたちの園生活〜学校生活


最近「もうすぐ幼稚園の入園面接」「保育園決まった!」という話題を身近でちらほら耳にし、ふと、発達凸凹さんたちのことを考えました。

願うのは「園生活で楽しく実りの多い時間を過ごせますように」。

モンテッソーリ教育の「子どもの家」や保育園幼稚園では、一人一人個性や行動が違うのは当たり前という環境で、一人一人のやりたい事を尊重するので、特性に気づかれないことも少なくないようです。

就学前には環境にうまく適応し、気にとめなかった…むしろ、秀でている部分がある✨とポジティブに受け取っていたのに、
小学校入学を機に、教師に指摘され、もしくはお子さんの「行きたくない」「学校こわい」などのサインで、初めて発達凸凹に気づいた…というのは、しばしば聞くお話です。

「手がかかる子は、いつか大輪の花を咲かせる」


我が家の長男も発達凸凹くんで、得意なことと苦手なことに隔たりがあります。
幼児期は(もう言っちゃうけど)とても手がかかる子でした😆

児童精神科医の佐々木正美先生の言葉
『手がかかる子や、要求の多い子は蘭や菊の花なんですよ。手をかければ見事な大輪の花を咲かせます』
という言葉に出会い、
「私は手のかかる高い花を育てている。そのうち立派な花が咲く」と信じ、辛抱強く育ててきました(お陰で私、忍耐力だけは育ちました👍)

学童期は、勉強は不得意でしたが、好奇心が旺盛で良い友だちに恵まれ、変わり者は「個性」になりました。

今は手がかかる幼児時代を親子で乗り越えたのは私の勲章です🎖️

学校に適応しづらい発達凸凹さん


発達凸凹さんたちは、学校において理解がある先生とそうでない先生とで、過ごしやすさにかなりの差が出ると思います。

発達障がいなどについて知識のない先生でも、勘がいい先生はうまく関わってくれます。
そういう先生は、たいてい子どもと対等な関係を築こうと努力する先生で、子どもに敬意を表してくれるので、子どももまた、先生のことを尊敬し、心を開きやすいと思います。


学校生活…特に日本の義務教育中は、
指示されることが多く、
理不尽な規則も多く、
「皆と同じ」が善しとされる風潮が濃いなか、
子どもの中に「何のため?この規則が何の育ちに繋がっている?」という疑問がわくのも当然と思います。
私は、学校に対してそういう疑問を抱く子どもたちの方が正しいのではないかな?と最近感じています。

子どもが感じたその疑問に、応えられる学校で教師であってほしいと、思っています。

モンテッソーリ教育ではなぜ発達凸凹が目立たないのか?


モンテッソーリ教育のような環境で、発達凸凹が目立たないのは、人と比べるのではなく、子ども個々の成長に重きをおくからだと思います。

モンテッソーリ教育では、子どもが自分の課題に自ら関わっていくこと、そして「みんなちがってみんないい」の精神が根底にあるので、人との評価でなく、自分自身がどれだけ上達・進歩できるかに価値を置きます。

だから、人と多少足並みが揃わなくても「問題」とは思われないのです。

「学校に行きたくない」は子どもたちが発してくれた警告

「学校に行きたくない」の声を子どもたちから聞く機会が増えてきました。

保護者もまた「学校へ行かせなくてもいいのだろうか?」と悩んでいます。
「嫌だ、行きたくない!」と泣く子を無理やりにでも連れて行ったほうがいいのか、それとも行きたくない気持ちを汲んで、休ませた方がいいのか…でもその先は???

私たちの世代(ちなみに昭和56年生まれです)は「学校は行くもの」と疑わずに通っていた世代。
私は中学校時代辛くて行きたくない時期が長いことありましたが「行かなくてもいい」選択肢があったなんて、思いもしませんでした。

答えは簡単にはみつかりません。

ただ、ひとつ言えるのは、
今の学校教育のシステムでは、
子どもの「学びたい」気持ちを育てられないかもしれないこと。

「勉強嫌い」を作っているかもしれないということ。


「不登校」が増えているのは、子どもたちが発してくれた大きな警告⚠️
今、日本の学校教育のシステムは変わる時期に来ていると思います。

「学ぶことが楽しい❣️」と思える子どもたちを増やしたい。

そのために、自分のできることを模索していこうと思います。まずは、自分のお教室「にじぐみ」からできることを、ひとつずつ🌈

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