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〜味覚過敏の子どもたちがいることについて、保育士や幼稚園の先生に知ってもらいたいこと〜味覚過敏の理解と配慮、そして私の反省。




感覚過敏の子どもたちへの配慮は「これで充分」と思っているうちは、まだ充分ではないと思う。

今回は、私の保育園保育士時代の反省を聞いてもらおうと思う。

保育園で担任を持っていた子のエピソードである。(保護者の方の許可をもらいました)

※比較的長文なので、お急ぎの方はまず太字だけ読んで、お時間ある時に読み返していただいても😊

味覚過敏のEくんとの出会い


担任を受け持ったクラスに、苦手な食べ物が多いEくんがいた。特定の食べ物が苦手で、特に柑橘系などの酸味のある果物が苦手だった。酢の物も苦手だったと記憶している。

ミカンなどの、子どもたち皆が喜ぶデザートをEくんは食べなかった。

頑張ってぺろっと舐めてみようとした時もあったが、とても険しい顔で本当に嫌そうな顔で食べた後べーっとするので、これは、ただの好き嫌いではなく「味覚過敏」があるのだろうと、感じていた。

味覚過敏の人たちの中には、酸味のあるものが私たちには想像できないくらいピリピリして感じたり、痛かったり、とても嫌な感覚に感じたりすることがあると、知識として頭にあった。

また、給食の際のEくんの様子からも「好き嫌い」の範疇ではない深刻さを感じていたため、「味覚過敏かもしれない」という認識に繋がっていった。


「好き嫌い」の子どもは、いかにも子どもが苦手そうなピーマンとか青物野菜とか、噛み切りにくい肉とか、そういうものを苦手とするのに対して、Eくんが苦手なものは、子どもたちが通常好きなものなので「きっと、感じ方が違うのだな。味覚過敏があるのかもしれない」と気づけたのだ。

食育「味覚を知ろう」


ある時、「味覚を知ろう」という活動を食育でおこなうこととなった。

塩味
甘味
酸味
にが味
うま味

五味と呼ばれる上記の味覚をそれぞれ味わってみるという活動であった。

普段の食事の中では、複数の味が混ざっていることが多いので、ひとつひとつの味を単独で味わうことはなかなか難しい。

特に、日本食特有の味覚である「うま味」を子どもたちに味わってもらったことは、貴重な体験だと感じたので、他の保育士とも「いいね!やってみよう」とすぐに計画から実践に至った。

「うま味」は、その日のお給食でみそ汁に使うかつおぶしとこんぶから取った「だし」を、味噌を入れる前に調理の先生にいただいた。


Eくんは、多分「酸味(酢)」が苦手だろうと分かっていたので「酸味はEくん苦手だと思うから、無理しなくていいよ」と予め声をかけていたが、Eくんは、少しぺろっと舐めていたような記憶がある。

食育が終わった後、Eくんは水道で口をすすいでいたような、、、私の記憶違いか、いや、きっとそうだったのだと思う。



数年後に再会する


Eくんは保育園を卒園していった。
卒園してから「どうしているかなぁ」とずっと気にかけていたが、世の中はコロナ禍になり、運動会や授業参観にも訪れることは叶わず、時が過ぎていった。

ふとした偶然で、
別の卒園児の保護者を通じて、再びEくんに会う機会に恵まれた。
縁あって、私がひらいている「モンテッソーリのちいさなお教室にじぐみ」に通ってくれることになったEくん。

何度目かのレッスンのこと。

リトマス試験紙で酸性とアルカリ性を調べる活動で、お酢をつかうことになった。

例の「味覚を知ろう」とは全く別の活動だが、小皿にいくつかの液体が入っていて、お酢の香りが漂う光景に
「うわ、保育園で味覚の活動した時のこと思い出した。」とEくんが言ったのだ。

「覚えていてくれたんだね〜」と私は懐かしく思ったが、Eくんの「思い出」とはギャップがあったようだ。

Eくんはこう続けた「味と味同士が混ざって、すごく気持ち悪くて、吐きそうになった」と教えてくれた。
多少フラッシュバックのような感じになり、語る表情は苦々しかった。

「無理しなくていいよと言ったけど、苦手な味も味見したんだね」と話すと

「皆んながやってるのに、自分だけやらないのはいけないと思って、無理して味わった」

「終わった後に仲がいいKくんにだけ、吐きそうになったと打ち明けた」
と話してくれた。

そうだったのか…

ショックであると同時に「配慮が足りなかった」と反省の念が湧いてきたのだった。

あの時
「Eくんはきっと味覚過敏で、酸味が苦手だろう」と分かってはいたのに、これほどまでに、嫌な思い出になっていたとは知らず、申し訳ないと思った。

同調圧力とまではいかないが、
子どもは子どもなりに
大人が思っている以上に
「みんなと同じにしなくちゃ」と思うのだ、ということをEくんが教えてくれた。

同時に「配慮は、してもしたり無い」ということも。

「味覚しらべ」自体は、子どもたちに学びを与えてくれる活動だったと思っている。
ただ、味覚過敏のあるEくんに対しての配慮はもっと考えるべきだったと、私は保育士として深く反省した。

「無理しなくてもいいよ」という声かけだけでは、Eくんのように「でも、みんなやってるから…」と無理してしまう子どもがいるので、それは「配慮」にはならないのだということを学んだ。

もっと子どもの立場にたつのならば、
例えば
☀︎予め保護者に内容を話しておき、保護者経由で「やるか、やらないか」を決めたり、苦手な味は味わってみなくてもいい」と保護者から保育士へ話してもらっておけば、本人ももう少し気が楽に「この味は、苦手そうだから、試さない」と言えたかもしれない。

それか

☀︎味覚過敏の子がいる年には、最初から最後までその子がすべて参加できる活動にする。

という選択もできる。

「あれもこれもできない」と考えるのではなくて、保育士同士で知恵を絞って、保護者も巻き込み、アイデアを出し合ったり、調べたり、研修を受けたりして、「感覚が過敏なこの子」もできる活動を考えることで、保育士としての引き出しがたくさん増えるだろうと思う。

「感覚が過敏なこの子」が可能な活動を考えているうちに、いつの間にか、活動の幅が広がっていくだろうと思う。

できない活動があることを「制限」と考えず、今までやったことのない活動、新しい活動に挑戦する「契機(チャンス)」と捉えればいいのだと思う。

保育士さん幼稚園の先生へ


感覚過敏のひとつ「味覚過敏」の子どもたちがいることについて、徐々に認識が広まってきたとはいえ、まだまだ現場で「味覚過敏」の子どもに気づく大人は少ないと思う。

保護者であっても、「好き嫌いの多い子」「わがまま」と誤解している場合がある。

私たち幼児教育に携わる大人は、多くの子どもたちを見てきている。「この子、もしかしてそうかな?」といった違和感は、大事にしてほしいと思う。

その「違和感」をそこで終わらせず、「支援」につなげていくために知識を持ってほしいと思う。

わがままじゃない。
Eくんのように、後々まで「嫌な記憶」として残らないように、これを読んだ先生たちには子どもの味方であってほしいと思う。




最後まで読んでいただきありがとうございました。

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