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残念ながら猫は飼えないのですよ

11月からこっちしばらく忙しい日々が続いている。
一番のトピックスは仕事で名古屋演劇界隈の方に再会したことだろう。
「まさかそんなことが」
という驚きと、これも何かの縁なのだろうな人生の奇妙さを感じずにはいられなかった。

Zippoを買った。
赤くて、鈍い色。明かりの加減で黒くも赤くも見える。
時代に逆行しているとは認識しながらも、自宅の100円ライターが無限増殖をしていくので、食い止めるために購入した。それに憧れ。喫煙者としてのアクセサリーとしてZippoはいつまでも憧れだし、一つのステータスに含まれているようにも思うのだ。
「あの人はいつも赤い帽子をかぶっている」
「あの人は目元にブルーのシャドウを乗せている」
「あの人は赤いZippoで煙草に火を点ける」
という具合に。
まだ手になじまないZippoの蓋をカチャンと開いて、カチンと閉じる。
何度も開けては閉じてを繰り返す。未だなじまない。ともすれば、ずっとなじまないのかもしれない。とはいえ、私は彼女の事が好きだし、彼女も私の事を好きであってくれたらいいと思う。
赤い彼女の体はとてもセクシーだと感じているからだ。


色々と計画を立てている。一個一個進めている。丁寧に組んでみたり、あるいは敢えて寝かせてみたり。

コミュニティを作っている。粛々と作っている。
・演劇未経験or初心者向けの演劇講座
・作家ではない方向けの展示会

同時に表現者としても活動を再開している。
・詩人
・演出家
・俳優
・絵描き

「こういう未来を迎えたいんだ!」
という強い気持ちが去年の今ぐらいにあって、その衝動に任せてこの一年は行動した。これまでの自分は「言うだけのチキン野郎」だったので、それなりに努力をした一年だったように思う。
動き出してしまったら、いろんな出会いがあり、いろんな場面があり、気が付けば知り合いも増え、つながりも増え、流れのようなものが出来ていた。
この一年で気が付いたことがある。
「やりたいことがあるなら、とりあえず口にしてみる」
ということである。
遅かれ早かれ、本当にやりたいのなら勝手に周りの出来事が整備されてやれる環境が整うし、ほっときゃやってる。
あと、言葉には気を付けるようにもなった。
これもシンプルなことだし、何をいまさら感があるが、
「○○したい」から「○○する」
ということ。
夢を見る年齢じゃない。希望を垂れ流したところでどうにもならない。
ただ、する。
それだけということが身に染みて理解できた一年だったように思う。
無論、苦労は絶えないだろうが、それはそれである。日々のトレーニングのお陰で非常に健康体であるし、なんだったら若返ってもいる。

さて、年内はまだやるべきこともある。
さしあたり、来年の大きな予定は5月ごろまで決まっている。ありがたいことだ。

リゾートバイトをやっていた時、全部を放り投げたことが心地よかった。
東京という街から離れ、山やら海やらを巡った。どこに行きつくのかわからない高速バスや、水平線の見える車窓にわくわくした。そこで何が起こるのかわからない、自分はどこに行くのだろうかという未知のものに突っ込んでいく高揚感。
最近、あの感覚に近いものがふと訪れる時がある。
未知のものは土地の特産品ではないのかもしれない。
未知のものは心の特産品でもあるのかもしれない。

どうでもいいが、やっぱり名古屋が好かん。
東京帰省をちょいちょい挟まないと、脳が死ぬ。
ごちゃまぜになった人の波に流れているとき、私は私が消える感覚を得る。
その感覚に流れ込んでくるのはたくさんの感情だ。
すれ違う人、
触れ合う人、
駆けていく人、
転ぶ人、
泣き声の人、
荷物の人、
コートの人、
女子高生の人、
おじさんの人、
アスファルトの人、
ビルの人、
街の中に突然現れる公園の人、
一緒くたに流れ込んでくる感情、人の顔、体の傾き。
多分、車が嫌いなんだろうな。
往来を歩くとき、人より車の方が多いことに気が付く。
車の表情が好かん。移動という手段を煮詰めた存在が気に入らない。移動という煩わしい行為の中に人が見える。ぎゅうぎゅうの電車に詰め込まれ、異動なんだか移送なんだかよくわからないことになっている人の顔がたまらなく好きだ。
扁平になっている人の顔が好かん。
あなたの顔をよく見せて。誰かの顔じゃない、あなたの顔を見せて。
あなたの顔はどうなっているの。
あなたの顔に私はなれるの?
どうしてあなたは私じゃないの?
私はあなたになれるのかもしれない。
私はあなたの感情を食いたいと思う。
あなたの感情を食った私はあなたになれるのでしょうか。
いいえ、絶対になれないでしょう。
しかし、食うことが共感と呼ばれるのなら、私は、
人の心を食って生きたい。あなたに共感するために。
あるいは、あなたになるために。
車が嫌いだ。
部屋が移動している感じが好きになれない。
外に出ているとき、自分のパーソナルスペースは自らの皮膚で仕切られているだけで十分ではなかろうか。
この、脆弱で力強い肉の体という部屋の中で、右往左往して無尽蔵に考えを巡らせている。その人の、愛らしさよ。
ああ、願わくば、唇というドアに片腕突っ込んで、人の心に触れてみたい。しかしながら、そのようにしてする私の手は指先から消えていくだろう。
あなたの胃液に消化されてしまう。そうして私はあなたの一部と化す。
街をいくあなたを見て、あなたの目玉という窓からあなたを見つめていたい。黒目と黒目が触れ合う時、見つめ合うを通り越して、理解を得るかもしれない。
拒絶なら、それもよし。
タガが外れた時にいつも感じる、偏執的なまでの同化欲求。
私はあなた。あなたは私。
20代の頃の創作の原点。
未だにその欲求が胸を打つのは、きっとこれが私の創作欲の起点だからなのだろう。

今週末、東京に出向く。
人の心に触れてくる。上っ面を剥いて、剥き出しのものに出会うためだ。
剥き出しのモノであってほしいという願望であるかもしれないが。
なかなか、昨今の世情、剥き出しのモノに出会うことも少ないのが悲しいところではある。

先日、大人のお店で相手をしてもらった不思議ちゃんな雰囲気なお姉さんから「お兄さん、猫飼わない?」と言われた。
あまりにも突拍子もない話とあまりにも「今聞く?」という状況だったので、全裸のまま30秒ぐらいフリーズした。
マジで混乱した。
思考と心の振り幅にパニックになるってのはああいうことなのだろう。

いろいろなことがある。
本当に世の中、いろんなことがあって面白い。

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