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え!?演劇好きのクセに今まで一度も見たことなかったの!?って言われそうな劇団四季ライオンキング初見感想

タイトルの通りである。
なんと今年25周年を迎える超ロングランだそうだ。

見に行ってみたいな……と思いたってからもう10年以上たったことになる。
まぁ間にコロナとかもあったし……言い訳だが。
もはや演劇好きじゃない人でさえ、さすがに観たことありそうだ。

ていうかそもそも「劇団四季」自体が初体験だった。
「演劇好き」を自称する資格ないかも😂
初体験としては、とても良かった。
さっそく四季の別の公演のチケットを手配しながら帰ったくらいには。
そしてなぜか終始「嫉妬」のような感情を感じた。
それはなぜか?自己分析しながら感想を書いていこうと思いますのでお時間ある方はどうぞ

チケットの手配から専用劇場まで、洗練された四季の導線


年度末にありがちな光景だが、
有給休暇の使用期限が切れそうになっていた。
そのためあわてて有給休暇を取得することにしたのだった。
そんな理由で直前に申請した有給もまぁ許可してくれた弊社には感謝している。
そんな訳で突然できた休暇に、
観劇に行きたい気分が高まっていたのもあって
「あッ!ライオンキング行ってみたいって思ってたんだった!」と思い出したのだった。

さっそく検索してみてびっくりしたのだが、
なんと公式サイトで直近の公演をすぐに予約できる。
いや、例えば私が普段行ってる人気俳優の出る2.5次元の舞台となると満席、瞬殺、落選……人を◯しでもしないとチケットが手に入らないという感じだが、
25年のロングラン作品ともなるとさすがに人気もこなれているのか、概ね埋まってはいるものの、一席ならいい席でもポツポツと空席があった。
急に休みになった日に「なんか面白いもの観たい」というワガママに応えてくれるのだ。

しかも……
演劇オタクとしてつい愚痴っぽくなってしまうが、他の公演ではS席のエリアがでかすぎる問題がよく指摘されているが、
四季の場合、けっこう細かく座席のランクと値段が割り振られている。
しかも映画館みたいに自分で座席を選択できる。
これなら値段と座席のグレードに事前に納得してから購入することができる。
なんとありがたいシステム……。
そういうわけで2週間前というけっこう直前にも関わらず、まぁまぁの良席を抑えることができた。

また公式サイトにはチケットの取り方から初心者向けアドバイスみたいな四コママンガも添えられており、まさに至れり尽くせりといった感じだ。
何度も文句言って申し訳ないが、
2.5次元などは税務調査官くらい細心の注意をもってどんな情報をも見逃さないぞという心構えでいないと抽選にさえ申し込めないのでエラい違いだ……
ここまで敷居を下げていれば、新規も参入しやすいというものだ。

これまで2.5次元で厳しく鍛えられていたため、
チケットの手配の場面だけで、はやくも四季のエンタメとしての成熟を見せつけられて驚いた。

そして当日、
りんかい線国際展示場駅といえばオタクにとっておなじみのビッグサイトとは逆方向に向かって歩いたのは初めてだった。
遠いとはきいていたが、確かにまあまあ歩いた。

演劇が好きで、作品とハコの関係性にも一家言ある者としては、金と人気にモノを言わせたような「専用劇場」などという鼻持ちならない建造物が果たしてどんなもんか見てやろうという挑戦的な気持ちであった。

入った感想はなんかディズニーランドみたいというか。
東京ディズニーシーのビッグバンドビートをやる劇場に似ているかもと思った。

こぢんまりとしているし、
帝国劇場や日生劇場や歌舞伎座や明治座のような、絵画の豪華な額縁みたいなデコラティブ感があるわけではない。
どちらかというとIHIステージアラウンド東京みたいなプレハブ感に近いかもしれない。

とはいえ、座席の背もたれの木目とか、一応絨毯がしいてあることとか、「高級感」や「非日常感」に配慮がされていると感じた。

「専用劇場」なだけあって、
「ライオンキング」という演目に向いている規模だし、この演目をやる限りはおそらくドブ席もほぼなくて、どの席からでもこの作品を楽しめるのだと感じた。
この専用劇場の様子があまりに良くて、ぶっちゃけ嫉妬してしまった……

ネルケプランニングもいよいよ2.5次元専用劇場を構える局面に来ているのではないか?
いや、なんと2.5次元専用劇場は調べたら神戸にあるらしい。
なんで神戸なんだよッ
いつまでもTDCや立川、品川でやるのはもうやめてくれ……。
イカン、ついつい愚痴っぽくなってしまう。

ともかく「専用劇場」も非常に良かった。
こんないい劇場を、2.5も使わせてもらえたらいいのに……

アフリカ先住民族の儀式に放り込まれたみたいな臨場感


ディズニーアニメ映画の「ライオンキング」を見たことがあるだろうか。

あのアニメの冒頭の「サークル・オブ・ライフ」の流れるシーンが、
この舞台でも冒頭のシーンとなっているのだがこの冒頭の場面がとにかくスゴい!のだ!!

え、もうみんなとっくに見たことあるって……?
私は初めてだったので、
この時受けた感動の話をさせてくださいよ……

私は舞台も大好きだが、動物も大好きなのだ。
だから「人間」なんだけど、直感で「あッ動物だ!」と思わせる衣装というかパペットというか、半着ぐるみというかの、この「ライオンキング」という舞台作品の大きな特徴である芸術的な格好の「動物たち」が、舞台にわらわらと集まってくるところで高まり過ぎて叫ぶかと思った。

私は下手の通路側だったのだが、
背後に明らかに客席に登場していいサイズではない巨大な「象」のパペットがどーんとあらわれた時は思わず「おわぁ!」と声が出た。
開演前にスタッフの女性が座席からハミ出したコートや手荷物を丁寧に座席下にしまわせており、
客席を通る演出があるのだろうな、くらいに思っていたのだが、
後方からあらわれた「象」は客席をかすめて、
というよりも客に若干ぶつかりながら舞台へと直進していってド肝を抜かれた。
いくらなんでもデカ過ぎる(褒めてる)

原作のアニメ映画でサークルオブライフが流れる冒頭のシーンといえば、
シンバの戴冠式(?)に集うサバンナの多様な生命のみずみずしさが描かれるシーンでもある。

このシーンを舞台作品として再現することになったら、
あなただったらどうするだろうか?

25年前からこの演出だったのかはわからないが、
舞台版ライオンキングの演出家は、
動物に扮したキャストを「客席から」舞台上へおびただしい人数で向かわせることで、
原作アニメの複雑なカット・カメラワーク(サークルオブライフの歌詞に合わせた「生命の躍動」を表現しているのだと思う)を再現しつつ、
観客にアフリカ先住民族の儀式に迷い込ませたような没入感を与えつつ、
舞台冒頭にふさわしい、むしろやりすぎくらいの「ツカミ」をやりつつ、
ムファサが王であるサバンナの「動物王国」での戴冠式のようすを見せることで世界観を説明し、今後のストーリーのあらすじも示す、
ということを冒頭のシーンだけで一度にやってのけていた。
シンプルにすごい

嫉妬の理由


こんなすごい公演を25年もずっと見逃していた
ということに対する疎外感で、
「すごい!」「楽しい!」という感情の底の方に何かドス黒いものが湧くのを感じた。
カンパニーも客層も非常に感じが良く、誠実な様子であったゆえに、完全な逆恨みである。

そりゃこんだけ「あっぱれ」な公演やってれば、
25年のロングランにもなるだろうし、
行く末には「専用劇場」の話も出るだろう。

いや……
「演劇の公演」とは人間活動である以上、
順調じゃなかった時もあったはずだ。
25年もやっていたらなおさらだ。
そういう、部外者には想像も及ばないような大変な場面をすっ飛ばして嫉妬するなんてバカのやることだぞ、と自分に言い聞かせ、納得させたが……

また1部のラストで、青年となったシンバが
「心配ないさ!」と歌いながら飛び出して来たところ。ここが大変に良かった。
この、シンバの「心配ないさ!」といえば、
お笑い芸人の「大西ライオン」である。

ファンというほどではまったくないのだが、
私はなぜか昔から大西ライオンが好きだ。
なんかあの芸風からは、
「四季のライオンキングが大好き」
という単純かつ純粋なエネルギーだけが感じられ、
その素朴さに好感を持っていた。

しかしこの時初めて大西ライオンの元ネタである、
本物のシンバによる「心配ないさ」を浴び、
なぜか大西ライオンに嫉妬を覚えた。なぜか?

大西ライオンの芸歴は意外と長い。
だがいつ見ても、段ボールで作った四季風のお面を頭にかぶり、元気いっぱいに「心配ないさー!」と歌いながら登場する。
この、「初期衝動が続いている」姿に言いようのない嫉妬を覚えたのだった。

私だって、今、生まれて初めての「四季のライオンキング」で、シンバの「心配ないさ!」を浴びて、それで感動してるのに、
その感動を大西ライオンにすでに取られている気がした。
これも完全な逆恨みである。

大西ライオンにとっての「ライオンキング」のように、
私にとっても「これだ!」と思えるものに出会いたい。
人生を変えるような、そんなステキな出会いがしたい!
と強く思った。

まぁ、大西ライオンもビジネスでオタクしぐさをしているのかもしれないが……

プライドランドのセクシー担当


ところで本当に恥ずかしいのだが、スカーが刺さり過ぎて辛かった……
こんな……こんな伯父さんおったらおかしくなるやろ!

アニメ映画の公開当時は小学生だったのでよくわからなかったが、
腐女子の間では当時からムファスカはメジャーカプだったらしい。
さらにどうでもいい話だが、ツイステッドワンダーランドにおいてもレオナおじさんにこのセクシーさが引き継がれている。
プライドランドのセクシー担当の名はまさに古今東西に響き渡ってきたのだ。

まぁ癖に刺さったという話はさておいても、
ヴィランとはいえ「諸悪の根源」「絶対悪」と断罪するにはかなり酌量の余地がある生い立ちがあるのも特徴だ。

王位簒奪を図り、ムファサを手にかけ、幼いシンバを追放したことは罪であろうが、ならばスカーはどう生きればよかったのだろう?
謀反など企てず、
ムファサとシンバにへつらい、慰み者として尊厳を踏みにじられた一生を終えれば良かったのか……
そんな一部の腐女子が喜びそうな結末にスカーの幸福がないのは明白だ。
ならばスカーの幸福とは、スカーの自己実現とはいったいどこにあったのか……
好きになってしまったこともありそんなことも考えた。

もはや別作品。いい意味で


昨今の「原作にどれだけ忠実か」を競い合うような原作のある作品のメディア展開とは一線を画し、
もしかしてこれを演出した人は「ライオンキング」のあらすじしか聞いたことなくて、アニメ映画は見たことない、のか!?とかいうあり得ない空想が頭をかすめるほど、大胆に舞台作品として再構築されていた。

特に印象的だったのが、
スカーによってムファサが崖から落とされるシーンだ。

子供の頃に見た映画なのにまだ覚えているほど、
暴走するヌーの激流の中に墜落するムファサを「真下」と「上空から」捉えたシーンは目に焼き付いている。
なんと四季のライオンキングはこのシーンを「横から」見せたのだ。

また、このシーンの直前のヌーの群れの絶望を感じさせるほどの暴走も、
「横から」ではなく、舞台の「前後」を使って表現する。

このへんは「観客に緊張感を伝える」ことと「セリフを使わず観客に物語の展開を理解させるわかりやすさ」と「大道具の移動の限界」の兼ね合わせの中で監督などが頭をひねるシーンだと思うのだが、
よく知られたシーンだけに「そうきたか!」という驚きがあった。

そうした驚きの中、見ているうちに圧死させられそうなヌーの群れの迫力が客席まで迫ってきて、
その上で、スカーによってムファサが破滅させられる、物語の重要なシーンが再現されていた。
私だったら、このムファサの墜落のシーンを原作のアニメの通りに「上から」見せることにこだわってしまいそうだ。
ここは大胆にも、「横から」にして大正解だった。
こりゃ、スゴい!とやっぱり膝を打ったのだった。

演技はこれでいいの?


もともとはディズニー映画が原作ということもあって、
オーバーめな演技はあえてなのだろうか。

個人的に言うと、
声色はもちろん、呼吸数、まばたきの回数、体温まで舞台上でコントロールするような方向に繊細な演技が伝わりやすいタイプなので、
少し物足りなく感じた。
とはいえ発声や運動神経には飛び抜けたものがあった。

それと、ティモンとブンバァのエピソードも何か足りない感じがした。
演者の方の技術の話ではなく、
ティモンとブンバァとシンバの関係性において、語るべき何かが足りてない、というか……
この3人の「気の合う連中感」以上の、「かけがえのない絆」という関係性が今ひとつ感じられなかった。
子ライオンだったシンバが青年シンバに成長するまでのシーンが簡潔過ぎたのだと思う。
ティモンとブンバァとはただの「友達」ではなく、一時期はシンバの「親」にもなった重大な存在だ。
それもムファサという偉大な父を自身の過失で(と本人は思い込んでいる)失ったシンバにとっての「親がわり」であり、
あの悲劇的な事件の後でさえ、シンバが狂気に堕ちず正気でいられたのは「ハクナ・マタタ」というポリシーを持ったティモンとブンバァがいたからこそだ。
そういった彼らの重要な関係性はあまり深めずに簡潔に進行していったように思い、そこは残念に思った。

まとめる〜


帰ってからも心はサバンナにあるみたいで、
エルトン・ジョンの偉大な劇伴がずっと頭で流れている。 

それとともに、
「ライオンキング」の物語がいかに傑作であるかも再認識した。
これだけコンテンツにあふれた世の中になっても、
今見てもシンプルに「面白い」。

最前列に蝶ネクタイをしたオタク然とした青年が一人で座っていたのが目についたが(カーテンコールでも誰よりも早くスタンディングオベーションしていた)、
いつしか私も彼みたいな四季オタクになれたらカッコいいな、とか思った。

この作品を見に行ったおかげで、最高の休日が過ごせた!
また行きたい!!


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