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感動は不意打ちで訪れて、あっというまに過ぎ去ってしまう。 《夫婦世界一周紀14日目》

友達の家に遊びに行く前日は寝れなかった。

ゲームソフトをありったけ詰めて友達の家へ。一人で電車に乗って、池袋SEIBUの地下入り口で待ち合わせる。母親が持たせてくれる自家製のゼリーは何味だろう。友達の家で出る昼食はなんだろう。小学生のころに、一年に数回訪れるあの日は、今の僕の感動を構成している大切なピースだと思う。

全身の毛穴がばっと開くような鮮烈な感覚は、しかし、経験の皮が分厚くなっていくごとに鈍感になっていく。大人の味わう感動のほとんどが、「なぞる感動」だと思う。子供の頃に感じ切った、混じり気なしの感動の記憶。それを掘り起こして感覚にドッキングし、嬉しさと寂しさと愛おしさが入り混じるちょっとビターな感動を堪能する。

0から生まれない感動。そんな感動の焼き増しみたいなことはしたくないと、がむしゃらに鮮烈な体験を求めて未知の世界に飛び込もうとしていた20代の前半。27歳になった僕は、世界一周旅行の醍醐味を未知との遭遇だけに頼らなくなった。ちょっとは苦味の楽しみ方が分かるようになったのかもしれない。

なあんて達観した気持ちでタイの水中市場を散策したら、いやはや、出会ってしまった。頭のてっぺんから足の裏まで鳥肌が立つような出会い。いがぐりのような鎧を纏ったその果物は「私の名前はサラ」と言った。まるで中二の僕が名付けた二次元の美人女性みたいな名前だ。実際にサラとは王女の名前らしい。

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