一日中風の音を聞けば、君でもできるようになる。《夫婦世界一周紀 6日目》
母親の料理の中で、ポテトラトキスは特に好きだった。
スライサーで細く長く切ったポテトをフライパンに敷き詰め、バターで焼いてパンケーキにする。
ポテトラトキスと言うのよ、と母は言った。
中のじゃがいもはふかふかで美味しかったが、鉄製のフライパンで作るラトキスはよく焦げ付いた。
半分は真っ黒で食べられなかったが、ちょうどいい塩梅にこんがりとしたところをバターと一緒に食べるのが特に好きだった。
「このパンケーキ、全部があのこんがりしたところの味がする」
僕はフウロに熱意を持って話していた。
ゲルキャンプで夜を越え、僕たちは食堂で朝ごはんを摂っていた。
ポテトパンケーキとは、ポテトラトキスのことだったのだ。
外はまるで揚げ物のようにカリカリとして、中はじゃがいもがねっちりと一体化していた。最強の美味しさだ。
この世で一番うまいポテトラトキスだと思った。
これまでのあらすじ
夫婦世界一周六日目。妻フウロの人生最大の夢であり、日本人が年間100人しか訪れないと言われる超マイナー国トゥヴァでの滞在がスタート。ゲルキャンプでの宿泊を終え、最後のイベント「ホーメイの体験」へ。
大草原とのお別れ
朝食後、もう一度あたりを散歩することにした。
昨日の圧倒をもう一度味わっておきたかった。
丘の上から景色を眺め、振り向くと向こうの方に白い影がポツポツと見えた。
いつのまにいたのだろう。
羊の群だった。
ゆっくり近づくと、一頭が逃げるとあとを続くように全ての羊が走り去っていった。
走り去った先には、人影と馬がいた。
僕とフウロはそこで、放牧の光景を見ていることに気がついた。
ここは牧草地だったのだ。
気持ちを抑えきれず、遊牧民の方に挨拶をしに行った。
僕たちが知っているトゥヴァ語はエキー(こんにちは)しか無かったが、話しかけるとおじさんは優しかった。
特に言葉を紡げるわけでもない。
でも、一緒に写真を撮りたいということを伝えると、快く写ってくれた。
おじさんの顔に刻まれた彫りが、この場所で暮らしていく人たちの生活の過酷さを思わせた。
「ふふ、なんだか懐かしい気がする」
フウロは遠くを見つめてそう言った。
このゲルキャンプに来て何度フウロがそう言うのを聞いただろう。
モンゴル系の顔立ちをしていると言われるフウロにとって、ここは始まりの地だったのかもしれない。
細胞に残るトゥヴァの記憶。
それが今もう一度この地に立つことで、そわそわと思い出されているのかもしれなかった。
この地の空気は好きだったが、フウロの感じていた「懐かしさ」は僕にはなかった。
そんなフウロがすこし羨ましかった。
ホーメイを浴びて感じたこと
荷物を三菱デリカに乗せ、車を走らせた。
コンスタンティンが説明する。
「これからそのままホーメイのツアーに行くよ」
ホーメイとは高音と低音を同時に発する喉歌のこと。
トゥヴァが発祥と言われている。
舌の位置を微妙に調整する事で口の中で倍音を生み出し、口から発されているとは思えないような独特な音を作り出すのだ。
このホーメイを現地で聴くこと。
それが、フウロがトゥヴァにどうしても行きたかった一番の目的だった。
立派な建物の中に入り、集会所のような場所に通された。
待合室かなと思っていると、そこに続々と民族衣装を着た人が入ってくる。
どうやらここで始めるらしかった。
唐突に始まったホーメイは、予想を何倍も越えていた。
ホーメイの振動に、体が共鳴しているようなのだ。
耳だけでなく、頭からつま先までがその音を吸収しているかのようにじんじんと響いている。
呆気にとられて横をみると、フウロは涙を流していた。
「ホーメイには高音、中音、低音の3種類があります」
ホーメイ奏者が通訳を介さず英語で説明してくれた。
ホーメイは自然からのインスピレーションを受け、自然の音を再現して曲にするという。
風の音、動物の嗎、虫の気配や、雨の音。
自然に存在する音を再現することからホーメイは始まったのだという。
楽器はシンプルな2弦か4弦。
それに無限の声色を持つホーメイでこんなに豊かな音楽が生まれると思うと感慨深かった。
演奏を終えると、楽器を触らせてもらえた。
持ってみるとずしりと重たい。部品は木と動物の皮で作られているらしかった。
フウロが楽器を持つと、奏者が押さえる位置を教えてくれ、弾く音に合わせて歌を乗せてくれた。
僕にはホーメイの歌い方を教えてくれた。
「もっと力を入れて!喉を潰して!違う違う、もっと喉の奥から」
かなりのスパルタだった。全く出来なかった。
奏者の子達は笑いながら、最後に言った。
「もっと風の音を聞けば歌えるようになるよ」
言われてハッとした。
僕ができていいはずがない。
昨日あのゲルで感じた自然が持つ気配。あれを彼らは再現しているのだ。
長い時間をかけて自然と対話した先に、ホーメイという形になって音が生まれる。
きっと本気で取り組めば、真似事はできるかもしれない。
でもそれはきっとホーメイではない。
ここで生きているから出来ることだし、そうであって欲しいと思わずにはいられなかった。
18歳。甲子園球児の年齢にしてトゥヴァ随一の腕前を持つトゥヴァの奏者たちに改めて畏敬の念がわいた。
彼ら僕たちより、大地の先輩だ。
そして嬉しくなった。これがトゥヴァなのだ。
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「ものづくり夫婦世界一周旅行紀」は、一年前の今日世界を旅してきた僕たち夫婦の旅エッセイです。2018年8月19日から2019年12月9日までの114日間の記録をほぼ毎日連載します。一度購入して頂くと連載を全て読むことができます。マガジンはこちら
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ものづくり夫婦世界一周紀
2018年8月19日から12月9日までの114日間。 5大陸11カ国を巡る夫婦世界一周旅行。 その日、何を思っていたかを一年後に毎日連載し…
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