素石

20代会社員。趣味は哲学や思想の本を読むこと。東浩紀の『訂正可能性の哲学』に触発されて…

素石

20代会社員。趣味は哲学や思想の本を読むこと。東浩紀の『訂正可能性の哲学』に触発されてこのブログを始めました。組織の不正や再発防止、社会におけるコミュニケーションや倫理に関心があります。

最近の記事

林大地『世界への信頼と希望、そして愛』を読んで

明けましておめでとうございます。今年もたくさん本を読み、感想を書き連ねていきたいと思います。よろしくお願いいたします。 今回は、林大地『世界への信頼と希望、そして愛 アーレント『活動的生』から考える』(みすず書房、2023年)を読みました。 昨年の上半期に『人間の条件』の新訳(講談社学術文庫)を読み、下半期に『ハンナ・アーレント、三つの逃亡』(みすず書房)を読んで、アーレントの思想や生き方に感銘を受けたので、『世界への信頼と希望、そして愛』は2023年を締めくくるのにぴっ

    • 『ハンナ・アーレント、三つの逃亡』を読んで

      今回は、ケン・クリムスティーン著、百木漠訳、『ハンナ・アーレント、三つの逃亡』(みすず書房、2023年)を読みました。 これまでアーレント本人の著作や日本の研究者による解説書を何冊か読んだことはありましたが、恥ずかしながらアーレント自身の人生についてはあまり知らなかったので、勉強になりました。 また、活字ではなく漫画形式で、同時代の著名人との交流が(空想も含めて)たくさん描かれていて、ハンナという一人の女性の生涯をよりリアリティをもって想像することができる、面白い読書体験

      • 佐藤俊樹『社会学の新地平』を読んで

        今回は、佐藤俊樹『社会学の新地平-ウェーバーからルーマンへ』(岩波新書、2023年)を読みました。 佐藤俊樹の著作は数冊ほど読んだことがありますが、語り口は平易なのに、なぜか言っている中身を一度では理解できない、という苦い思い出があります。 同書も決して内容は簡単とは言えませんが、新書ということもあり平易にまとまっていて、ウェーバーが始めた社会学の原点に立ち返って固定観念を刷新する、画期的な著作だと思います。 同書を読んで感動したポイントを以下の3つにまとめました。

        • 『井筒俊彦 世界と対話する哲学』を読んで

          今回は、小野純一『井筒俊彦 世界と対話する哲学』(慶応義塾大学出版会、2023年)を読みました。 1.言語化される前の豊饒な意味世界 自分のなかに生まれた感情をうまく言語化できない、というこれまでに何度も経験してきた、けれども忘れてしまっていた意味世界の豊饒さを思い返しました。 この気持ちは言い換えると、子供のときはみな知っていたけれども、大人になると忘れてしまう心の空間。陸上生物がかつて陸に上がる前の海のことを思い出して涙するような経験、といってもいいのかもしれません

        林大地『世界への信頼と希望、そして愛』を読んで

          宇野重規『実験の民主主義』を読んで

          「新しい時代には、新しい政治学が必要である」 宇野重規の『実験の民主主義』(中公新書)の冒頭は、トクヴィルのこの言葉の引用から始まります。今、読み終えてみて同書は確かにその言葉通り、新しい時代の新しい政治学となっているのではないかと、新鮮な感動に浸っています。 「トクヴィルの思想からデジタル、ファンダムへ」という副題からも分かる通り、同書の射程はトクヴィルの思想を紹介するにとどまらず、新しいアソシエーションとしてのファンダムの可能性にまで広がっています。 同書のなかで聞

          宇野重規『実験の民主主義』を読んで

          東浩紀『訂正する力』を読んで

          東浩紀の『訂正する力』(朝日新書)を読みました。ついこの前、同氏の『訂正可能性の哲学』を読んだばかりだったので、正直同じような内容かなと思っていたのですが、結構な変化球に驚かされました。 とても分かりやすい文章であっという間に読めてしまううえに、東氏自身の同時代的な経験に裏打ちされているため深くて刺さるという魅力あふれる本書ですが、私がここで取り上げたい感動ポイントは、①リベラル批判と②丸山眞男論の2つです。 1.「ぶれない」リベラルへの批判 個人的に一番刺さったのは、

          東浩紀『訂正する力』を読んで

          宇野重規『日本の保守とリベラル』を読んで

          前回、『〈悪の凡庸さ〉を問い直す』を読んだ際に、さらに考えを深めたいと思ったことがある。それは、「主体」とは何か、という問いである。 こと日本の文脈において主体をテーマに論じた者として、丸山眞男を外すことはできない。近代日本における無責任の体系を強く批判し、来るべき近代社会の担い手としての主体を訴えた、戦後民主主義を代表する思想家である。 さて今回は、宇野重規の『日本の保守とリベラル』(中央公論新社)を読んだ感想を述べていく。 同書は、「保守」と「リベラル」という2つの

          宇野重規『日本の保守とリベラル』を読んで

          『〈悪の凡庸さ〉を問い直す』を読んで

          「私もアイヒマンになりうるかもしれない」 学生時代にアーレントの〈悪の凡庸さ〉という概念に触れて、そのような危惧の念に襲われたのを覚えている。 当時は、主にジグムント・バウマンによる官僚制批判の文脈で見かけた印象が強く、私の理解は今思えば適切ではなかったのかもしれない。ただ、ホロコーストという歴史的な出来事と私とが接続しうるという衝撃は、自分自身の批判的思考を育むうえで重要なプロセスだったと思う。 さて今回は、田野大輔・小野寺拓也編『〈悪の凡庸さ〉を問い直す』(大月書店

          『〈悪の凡庸さ〉を問い直す』を読んで

          東浩紀『訂正可能性の哲学』を読んで

          感動した。大学に入る前の春休みに、現代文の先生に勧められて初めて東浩紀の『弱いつながり』を読んだときの感動がよみがえってきた。。。 さて、ここでは、自分なりにポイントを要約したうえで、まだ腑に落ちていない点をいくつか整理したいと思う。 1.人間の「してしまう」性 人間は正しさを追い求める存在であると同時に、過ちを犯してしまう存在でもある。だからこそ訂正可能性が重要だ、という東の主張は、人間が生きていくうえで避けることのできない「~してしまう」という性質を肯定してくれるも

          東浩紀『訂正可能性の哲学』を読んで