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連続短編(リライト)『時空整備士が天国に収容された二十四時間の記録④』


10.〈起床〉 実験開始十五時間経過

 私はなんの夢を見たのだろう。
 ゆるやかな河辺の、虹色に揺れる水面と底知れぬ流れのうねりを見つめていた。浅瀬にくるぶしまで浸かって佇むひとの後ろ姿。私は──おそらくその主体は私であった──そのひとを呼ぼうとした。
 呼んだ。そのひとは振り返った。

『兄さん』

 それは私が知らない私。
 それはあなたさえ知らないあなた。

 ……目が覚めてしばらく、ぼうっとあの河辺を思い返していたが、夢というものは覚醒後数分以内にその内容をほとんど忘れてしまうものらしい。思いを巡らせるだけ、ただ曖昧になってゆくばかりだ。
 それよりも、と静かに立ち上がって身支度をする。

 できれば鵯さんが自分のタイミングで起床するのを待ってあげたいところだが、過眠も固着人体への負担となる。約七、八時間の睡眠。寝苦しそうな様子もなかったので睡眠の質としても充分だろう。そう判断して声かけを行う。

「先輩、鵯先輩」
「……ん」

 何度目かの呼びかけで反応が返ってきた。コツは、耳元で小声から徐々に声をはっきり大きくしていき、ただしあくまで口調は荒げないこと。
 仕事の話題を囁けば一発で覚醒するのは分かっているのだが、今に限って言えばそういう起こし方は不適切だ。

 寝返りを打って仰向けにこちらを見上げる鵯さんが、何度も目をしばたたかせている。私は洗顔もスキンケアもヘアセットも服装も完璧に整えた姿で、にっこり微笑んだ。

「おはようございます。そろそろ起きませんか?」
「……あ゛?」
「あ、隈とれてるの久しぶりに見ましたよ。まじでぐっすりでしたね、先輩。酒入ってたのもあると思いますけど」

 鵯さんがのろのろと、きわめて気怠そうに上体を起こす。起き抜けのかれは、かなり低血圧で、しばらく立ち上がることができない。仕事となると気合いで素早く立ち歩くのだが、ふらつくことも多い。タイム・クレバスやドリーネの補修工事など、足場の不安定な現場へ急行する場合は特に危険だ。

「途中起こしちゃってすみません。よく寝れました?」
「……あー。ああ。うん」
「よかったです。俺もなんかすごい久しぶりに寝たって感じしますねー。夜更かししてゲームしてたら駄目ですねやっぱ。はいこれ、お水です」
「ありがとう」

 寝る前にあれだけ飲食して、なにもせずぐうたらしただけなのだから、空腹感はまるでない。おそらく鵯さんも同様だろうが、一応尋ねてみる。

「朝飯どうします?」
「ぜんぜん腹減ってない」
「あは、俺もです。まあもうちょい後でいいですよね。“チェックアウト”までかなり余裕ありますし」

 予想通りの答えだったので安心した。
 ふと、鵯さんの視線が私の頭から足元まで行ったり来たりしていることに気付く。

「……君影」
「何すか? まだボーッとします? 朝弱いのは知ってますけど」
「……じゃなくて、おまえ、なんか……何だ? 俺の気のせいか、寝る前と印象違うな」
「ん? 私服だから?」
「……ああ、そうか。待て、私服なんてどこにあったんだ」
「なんか自分の部屋のもの転送してもらえるらしくて、俺、私服のほうがくつろげるんで取り寄せちゃいました。もっと早く気付けばよかったなあ」
「はあー……至れり尽くせりだな。しかしシャツにジーンズって、かなりシンプルだな。ちょっと意外だ」
「前に先輩に付き合ってもらって服買いに行きましたもんね。あれお洒落着っていうんですよ。自分の部屋じゃあんなの着ません」
「え、部屋着ってことかよ」
「そうですよ。何でそんな驚くんですか」

 目が醒めたと言わんばかりに驚かれたのでこっちも驚く。寝癖をつけたままの鵯さんがなぜか神妙な顔つきになる。

「なあ君影、基本的に必要のないところじゃ人体を脱いでたって構わないんだぞ。〈本体〉に、本来の幽体に戻って良いんだ」
「勿論知ってます。でも、じゃあ先輩、自分の家では〈裸〉なんですか?」
「当然だろうが」
「……っ、え……!?」
「おい引くなよ、そんなあからさまに」

 引いたのではない。
 あの機能停止寸前の核(コア)で、どうやって身体脱着を行なっているのだろう。
 私は慎重に言葉を選ぶ。

「……大変じゃないです? 脱いだり着たり……」
「まあな。でも身体着たきりもさすがに気持ち悪いだろ。たまにはメンテナンスにも出さにゃならんし。なんとかやってるよ」

 あっけらかんと言われたので、そうですか、と返すしかなかった。「なんとかやってる」というのは、裏を返せば「もうじき駄目かもしれない」という意味だと、私は解釈する。


11.〈一服〉 実験開始十七時間経過

 鵯さんはヘビースモーカーである。
 今もキッチンの奥の換気孔の下で壁に背を預けて、すぱすぱやっている。私があまり幻想煙草を好まないことを知っているからだ。

 ほぼ毎日仕事があるので一日中吸い続けるほどの頻度ではないが、一度の消費量が多い。吸える機会があればここぞとばかりに三十本くらいは軽く吸ってしまう。その機会が一日三回あれば九十本。私にはそれが気がかりでしょうがない。

 この“部屋”に飛ばされてから今まで一度も吸っていなかったのは、同じ空間に居る私に気を遣っていたか、日常のペースに戻りつつあるかのどちらかだろう。たぶん後者が有力だ。

 幻想煙草はパラディグニティ(存在量/存在料)から生成される幻質を大量に消費する。つまり物質界の煙草と同じで経済的にも負担が大きく、自身の存在そのもの、精神生命体としての駆動力を容赦なく削る代物ということだ。
 その代わり、カラフルな“煙”に乗った蝶や魚、鳥や花、精霊やゴーストなどのフレーバー・ヴィジョンごとに覚醒・鎮静効果や、視覚的・聴覚的・嗅覚的娯楽性を得られる。

 これも睡眠薬と同じで依存性はあるが、吸っている間は身体的な苦痛が和らぐらしい。だからやめられないのだろう。できれば喫煙量を少しでも減らしてほしい思いはあるが、何と言って伝えればいいのか、悩ましいところだ。

 私自身に関して言えば、嗜む程度というか、鵯さんに付き合って一本拝借することがたまにあるくらいだ。ものによっては目眩がしたり気分が悪くなるし、有用性以上にリスクが高くて、幻想煙草にはほとんど個人的価値を見出せない。

 ただ、遠くで見ているぶんには、かれの周りを漂う発光性の蝶や花々は綺麗だし、魅了される者が多いことには納得がいく。それに、鵯さんが好きなものを嫌いにはなれない。否、無関心ではいられない。色々と知識は持っておかねば。かれの駆動不全にも関係するからだ。

「〈ILLUSION〉ですね。先輩、エレブ(正式銘柄:〈ELEMENT BLUE〉)じゃなかったですっけ?」
「うん。最近吸えりゃ何でもよくなった」

 それは知らなかった。
 〈ELEMENT BLUE〉は確かに“重い”。身体を包み込む深い瑠璃色のフレーバー・ヴィジョンが何人も踏み入ることのないひとときの陶酔と静寂をもたらしてくれるが、大量の幻質を消費する。
 〈ILLUSION〉は、幻想煙草のなかでも癖がなく吸いやすく、安価なので初心者向けとか定番と言われている。老舗の代表商品として改良が繰り返されており、フレーバーも決して安っぽくはない。喫煙という模倣駆動にまったく興味がなく吸わない者でも〈ILLUSION〉なら知っている、幻想煙草といえばこれ、というほどだ。
 ようやくかれも自身の体調に気を遣ってくれるようになったのか、それとも、“重い”煙草にもう耐えられないのか。

 鵯さんの喫煙中は、我々は一定の距離を保っている。私は離れたソファに腰掛け、大きなシアター画面で特に好きでも嫌いでもない適当なムービー(病んだ心の化身である黒犬が、ヒトの身に姿を変えて多次元世界を旅するパラレル・ロンギングもののダイジェストだ)を眺めている。

 「距離」を保つことは、存外重要なことだ。離れて初めて気付くこともある。
 近くに居過ぎるのはよくない。自他の境界が薄れてしまうから。もしも他者を自分、あるいは自分の一部だと完全に認識してしまったら、もう相手のことなど見えていない。相手のあの行動をこう変えたい、とか、思考をコントロールしたい、とか。それは自分の欲望だ。

 自分の一部とはつまり、腕(クレーン)を持ち上げようとすれば持ち上がるように、自分の思い通りに動いて当然だと捉えてしまうこと。
 他者を他者として尊重できなくなるという、恐怖すべき認識異変だ。

 私は君影成実で、あのひとは鵯覚。
 間違えてはいけない。この距離が、我々という二点を繋いでいる実線であることを。

(続)


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時空土木業を生業とする男性身体・本来性別無し人間模倣生命体による、テクノ・ファンタジーのバディもの。2017年の鵯覚と君影成実のダイアログ(https://privatter.net/p/2282338)に、地の文と幾つかのエピソードを加筆して連続短編としたものです。一部設定の変更等があります。初めて読まれる方にもなんとなく設定や人間関係が分かりやすいように書いたつもりです。

 ↓前回・次回はこちら。



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