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連続短編(リライト)『時空整備士が天国に収容された二十四時間の記録⑤』


12.〈閑話〉 実験開始二十時間経過

 そろそろ“休暇”の残り時間も僅かになってきた。
 きっかり二十四時間経った途端、この空間は消失し、我々は今度こそ時走車に乗って仕事に向かうことになるだろう。
 強制的に始まって強制的に終わる“休暇”。身勝手なものだ。上層部の考えていることはわからない。

 仕事用のスーツと作業用遮時外套は、寝る前にクリーニングに出しておいた。いますぐにも着られる状態で吊り下げられている。
 鵯さんは手洗い洗顔ののち、水と手櫛でなんとなく髪型を整えてから、そのままワイシャツとスーツを身につける……かと思ったが、まだ寝巻きのままで、ソファに腰掛けてぼうっとしている。こんな姿を目にするのはいつぶりだろう。

 業務開始前にそろそろ食事を摂っておくか、という話になったとき、鵯さんが思いもよらぬ発言をした。

「久しぶりに作るか」

 珍しく穏やかな、情緒のある声色と抑揚で呟いたかれの、その横顔に浮かんだ微笑を、数秒間、凝視してしまった。理性が言動を抑制する間もなく自分の舌が勝手に動いて、気付けば普段なら言うはずもないことを口走っていた。

「あの、……じゃあ俺、先輩の作ったパンケーキが食べたいなー、なんて。もちろん手伝いますから」
「懐かしいな。おまえが訓練生になるまでの間とか……いや、もっと前か、味覚が発達するまでの頃とか、大昔によく作ったっけ」
「あー、そうでしたねえ」
「おまえあれ好きだったもんな」

 よく〈トゥア・ロー〉は、時代も民族も関係なく、「親」から遠い思い出を掘り返された「子」が気恥ずかしい思いをした、という似たり寄ったりな話をしがちだが、その気持ちが分かった気がする。
 顔から火が吹き出そうだけれども、鵯さんの口調に揶揄うような響きはなかった。

 自動調理機は使わず、通常の調理器具を棚から取り出す。食品冷蔵庫や保管庫にも必要なものは揃っていた。本当にこの“部屋”にはなんでもある。

 私はフライパンの上で熱される油とベーコンと卵の加減をみる。パンケーキを焼く時間も控えているので目玉焼きはターンオーバーにする。皿に盛ったらペーパータオルで一度油を拭きとってから、パンケーキ用のバターを用意しておく。ここまでが私の役割だ。
 傍らでは鵯さんがパンケーキの生地を撹拌していた。なつかしい光景だ。かれは溶かしたバターをフライパン全体に行き渡らせると、生地を垂らし薄く伸ばしていく。片面が焼けると、久々だというのに手こずる様子もなく器用に裏返しにする。

 鵯さんがサラダを作ってくれているので、その間に飲み物を用意する。せっかくの機会なのでインスタントコーヒーはやめておく。
 備え付けのコーヒーメーカーやコーヒー豆各種のなかから、小型のパーコレータと良質な深煎りの豆を選び、少量のブラックコーヒーを淹れた。
 たしか焙煎後のコーヒー豆は、スプーン一杯分の同量で比較すると、浅煎りよりも深煎りのほうがわずかながらカフェインの含有量が少ないはずだ。このインスタンスが、物質界のそれと同じ機序ならば。

 鵯さんは喫煙や不眠を始めとした生活全般の乱れの影響もあって胃が弱いので、苦味や酸味の強い飲料は控えてもらっている。普段、私がかれに淹れるコーヒーはカフェインレスのものである。
 かれ自身、コーヒーは好きだが特にこだわりはないらしいので、少量の深煎りコーヒーに多めのミルクを入れてカフェオレにした。以前、これなら飲みやすいと言っていたのを憶えている。

 室内を出れば真っ白な無限が広がっているだけの不自然な空間において、現時刻を朝とするか夜とするかは不明だが、とりあえず“朝食”ということにして、我々は食卓に着いた。“夕食”の時と同じように席は対面する形だ。

「いただきます」
「いただきます」

 あえて、我々の管轄時域である食文化の様式に倣って両手を合わせた。この模倣駆動はなかなかユニークで面白い。

 カフェオレを一口飲んだ鵯さんが「美味い」と言う。私の前では基本的に仏頂面(職場では皆に気を遣ってよく笑うが、本来はこれが素だ)のかれだが、この十数時間、表情がいつもより柔らかい。

 ほどよくこんがり焼かれた薄めのパンケーキが二枚ずつ。甘さを控えて少量の塩を足したものだ。バターがひと欠片添えてある。目玉焼きとベーコンとサラダ。それらをパンケーキに挟んでもいいし、別々にしてナイフとフォークで食べてもいい。

「美味しい。先輩の味って感じがする」
「大袈裟だよ。でも今の表現は上手い、よく人間特有の言い回しを勉強してるな」
「本心で言ってるんですよ?」

 昔はもっとふわふわと分厚いパンケーキを二段重ねにして、シロップをかけて甘くしたものを食べさせてもらっていた。でも、もう私はそれを喜ぶ「子ども」ではない。そういう扱いはされたくない。鵯さんもそれを分かっていて、今の私に見合うものを作ってくれたのだろう。

 ……いや、昔と同じものを食べても、それはそれで嬉しいのかもしれないが。要するに鵯さんの手料理ならなんでもいい。これが「郷愁」と呼ばれる感情であることを私は識っている。


13.〈対話〉 実験開始二十二時間経過

 カトラリーの鳴る音が時折小さく響く。
 予感したタイミングで、鵯さんが食事の手を止め、まっすぐにこちらを見つめた。

「君影成実」
「はい」

 私もかれの目を見た。着装身体の個体名をフルネームで呼ぶ時は、大事な話があるというサインだ。やや伏し目がちになって、かれはゆっくり言葉を繋ぐ。

「寝る前に言ったと思うが……この機会にもし伝えておきたいことや、吐き出したいことがあったら、なんでも聴くよ。無理にとは言わんが、話せるなら言ってみ」

 想定していた通りの内容だ。だが、しかし、どう対応したものか。鵯さんの穏やかな語り口と温かな食事のおかげで深刻なムードでもないが、笑いはぐらかせる雰囲気でもない。
 逆に鵯さんはどうなんですか、と返す手もあるが、おまえの返答が先だと言われるに違いない。
 ……言ってしまおうか。
 言ってしまえよ。言ってしまえば。

「あの、ですね。じつは」
「うん」
「……。鵯先輩、最近特に、就寝合図なしに独りで寝落ちしてること多いです。お疲れなのは本当分かるんですけど、万が一の駆動不全に備えて、あなたの服薬・入眠まで誰かが見届けるってことになってますよね。規定の服薬量も守ってください。なにかあってからじゃ遅いので、これだけは冗談抜きでお願いします」

 沈黙が流れる。
 鵯さんの目が一瞬わずかに眇められる。それが本当におまえの言いたいことか? と。疑っているわけではないが、それでいいんだな? と確認するように、そう問いかける眼だ。
 私はただ静かにかれを見つめた。ややあって、かれは頷いた。

「わかった。おまえに……だけじゃなくて、皆に心配かけてる自覚はある。いつも悪い。サインはきちんと送るよ」
「はい、そうしてもらえると有難いです。……で、今度はこちらの番ですけど、先輩俺に対してなにかあります?」
「業務中に他課の職員を口説くな。以上だ」
「……うっす。気をつけます」

 食事を終えると、再びインスタンスの物性解除をする。空になった食器の類がなんの余韻も残さず消滅する。何もないテーブルに私は突っ伏した。私の様子がよほど満足げに見えたのか、鵯さんがふっと微笑む。

「鵯さんの手料理、久しぶりだったなあ。ご馳走さまでした」
「お粗末さま。意外と腕は鈍ってなかっただろ」

 つい、昔のように「鵯さん」と呼んでしまったが、かれは特に何も言わなかった。というより、本来はそう呼ぶべきなのだ。

 私はかれのことを呼ぶとき、社内では「鵯先輩」で通している。
 我が〈摂理の膝元〉の社内間におけるリレーションシップの方針として、役職名などではなく、できるだけ対等な呼称を用いることが推奨されている。
 なので、会議中やオフィスでの公の会話では、鵯さんも私のことを「君影さん」と呼ぶ。入社以来もうとっくに慣れている、至極当たり前のことではあるのだが、ツーマンセルでの行動中や現地任務中は「君影」という呼び捨てに戻るので、多少むずがゆい感じはある。

 そう考えると「先輩」呼びは禁句というほどではないが、社の基本方針からやや逸してはいる。ただ、〈OPENER〉の唯一無二の相棒に対する相応の思いを込めた敬称であるので、上層部にもギリギリ許容されているといったところだろう、と勝手に考えている。

 どれだけパーソナリティ・シートに反した言動をしても、私は注意も罰則も受けたことがない。 
 なぜ私だけ? ……そう、それが最初の疑念だった。

 パーソナリティ・シート。〈OPENER〉の研修生となった者らにまず与えられる固有人格の基底情報だ。時に〈トゥア・ロー〉の時流へ降り立ち、〈人間〉として振る舞うことを必要とされる我々に支給される。

 私が“軟派でおちゃらけた後輩”を演じる意味もそこにある。
 私は、パーソナリティ・シートなどという仮説構成指示体を〈自我〉と呼ぶつもりなどない。鵯覚をはじめ、〈OPENER〉全員がそれに従うことを疑うことなく当然としていても、受け容れるつもりはない。
 パーソナリティ・シートは、上層部の適正人格策定担当者と当人にのみ開示されている。だから誰も、〈私〉がどういう人格であるべきと定められているか知らない。評価に差し支えるかどうかはどうでもいい。

 適正人格策定担当者は査定期間中にすら、ろくに各個体の挙動など見ていないに違いない。もしちゃんと見ているのなら、私はとっくに最低の評価を下されているはずだ。
 シートのなかに記されている〈私〉の人格は、もっと繊細で、抵抗力に欠け従順で、先進力に乏しく、悲観的で、臆病で、生々しく自己を卑下し、内側に閉じこもる傾向にある。

 己の〈意識〉に「気付いて」から、私は意図的に外交的で軟派なお気楽者を演じ、都会的で自立心のある、そして自意識過剰で生意気な後輩であることに努めた。私はそういう〈自分〉を「選んだ」のだ。素直に従っているのは、『チョコレートが好物』と『受けた恩は忘れない』という項目くらいだ。
 だから分かる。いや、信じている。
 私には〈私〉という自我があると。

 ……でも、それじゃあ〈私〉以外の皆は?
 皆はこう言うのだ、「パーソナリティ・シートが修正されたので明日からお酒弱くなります」。「指導されちゃってさ、もう少し神経質になるからよろしくね」。

「君影。有難う」
「なんですか急に」
「いや、日頃の感謝というかだな……特にこの一日、おまえのおかげでだいぶ楽になった。助かったよ」
「何を仰います。これしきのこと当然ですよ」

 ごめんなさい。
 私は胸中で謝罪する。
 この懊悩は、不安は、疑念は、空虚は、君影成実と鵯覚の二者間で完結するスケールの問題ではなく、もしかすると〈OPENER〉や〈摂理の膝元〉の存在そのものへの懐疑に繋がる可能性がある。
 不確定要素だらけで、まだ実際的な問題として他者と共有するには、その証拠となるためのピースが足りない。

 違う。勇気がないのだ。
 現状を変えたくない。真実を知りたくない。
 淡々と続いていく日常に縋りたい。

 だから訊けない。訊いたって意味がない。
 「〈あなた〉のなかに、あなたの〈意識(クオリア)〉は存在しますか?」なんて。

 あなたは、何を言っているんだ、と怪訝な顔をして、あるいは可笑しげに笑って、こう答えるだろう。

「在るに決まってるだろ。パーソナリティ・シートがあるんだから」と。


(続)


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時空土木業を生業とする男性身体・本来性別無し人間模倣生命体による、テクノ・ファンタジーのバディもの。2017年の鵯覚と君影成実のダイアログ(https://privatter.net/p/2282338)に、地の文と幾つかのエピソードを加筆して連続短編としたものです。一部設定の変更等があります。初めて読まれる方にもなんとなく設定や人間関係が分かりやすいように書いたつもりです。


 ↓前回はこちら。


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