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じぶんのやりたいことをやっていく

 やりたいことは抽象的だけれど定まってきている。まずは自分の身体の中にあることを文章にしていこう!

まずは総体的に生きること、即ちそれに準ずる日常、生活がパフォーマンスとなって人々がいい方向に流れていくようなことがしたい。そのいい方向というのは何か、を考えていかなければならないしその流れるためには自由にならなければならないと思う。(もちろんこちらも続く)

 そのためには自分が自由な存在、開かれた存在になることを目指す。その目指す方法として開かれた表現をしていく。練習として、アウトプットとして、今書いている文章、詩、絵、音楽、会話、ダンスを作品の媒体として表現する。特に文章と詩は自分が安心するようなものな気がする。信頼しているような。みなみしまさんに問われて感じた。詩と文章は主にやっていきたい。そして哲学書や学術書などまあ本も読みたい。美術館やギャラリーや庭ヲ見たり行きたい観たいと思った場所にはいけるようにしたい。散歩もするし運動もする。やりたいことが多いので少し絞りながら計画表を作って日々やりたいことをする。

 前述したことは自分の中から出したいことだがその開かれの表現をしいって開かれた場も造りたい。まずは開かれの表現をする。自分を自由にさせていき、周りも渦のように巻きこんで自由に開放させていく。開かれの場を造りたい。それは自分が場となることなのかもしれない。その<場>に植物が必要になってくる。また開かれのヒントは植物に眠っていると思う。

 これは坂口恭平の開かれすぎた思考や動き、嫌なことじゃなく本当にやりたいこと安心することをして楽しく生きること、からきている。また星野源と若林正恭のLIGHT HOUSEのどんどん変化していく本当のノリじゃない会話からきている。毒毒しさ社会への外部への苦しみからきている。それを乗り越えていく生き方からも。

 多くの人が現実を見ていると思い込んでいるが自分が見ているものはフィクションだし現実に近づこうと完全に触れることはない。現代思想入門 著千葉雅也であったような気がする。フィクション、創造性が良くないもの、悪、現実じゃないから遠ざけようというのは、はたまた見当違いなことだ。すべて繋がっているしある意味でそれも現実的だ。

 開けれたいのならば、もっと普遍的にいうと楽しくいきたい!と思ったならまずは社会から離れる!その方法から距離をとる。そして失くす。外部と自分との違いが苦しさになる。だからまずは自分の世界を作ってみよう。そこから始まる。


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