sougen888

作家、詩人、園芸専門造園

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じぶんのやりたいことをやっていく

 やりたいことは抽象的だけれど定まってきている。まずは自分の身体の中にあることを文章にしていこう! まずは総体的に生きること、即ちそれに準ずる日常、生活がパフォーマンスとなって人々がいい方向に流れていくようなことがしたい。そのいい方向というのは何か、を考えていかなければならないしその流れるためには自由にならなければならないと思う。(もちろんこちらも続く)  そのためには自分が自由な存在、開かれた存在になることを目指す。その目指す方法として開かれた表現をしていく。練習として

      • ひとつから、目の前から、触って、食べて、確かめる

          つまること 自分は頭でっかちだ。人の意見を聞かないで自分の意見ばっかり絶対だと思い込んでる。だからプライドが高い。その意見は現実で何回も試していることではないので実現することが出来ないことを責任を持たないで言ってしまう。それで人々を困らせてしまうし、頭に来る人もいると思う。 I want to susumitai  相手の意見を聴くようにするし、自分にも責任を持つ。で、出た意見を吟味する。しかし否定をしない。確かめたい。言い方を注意する。怒りは何もいいものを生まな

        • やりたいことのやりたいことのやりたいこと

           幸せな気分、頭がすっきりして最高に気分がよくなる。というのを感じるのは久々だ。花火を観た。 火がとびちって、大きな音が鳴って河川敷の 大草原にシートを敷いて、座って草の味を感じる。 多くの人たちの高まる期待感と興奮の煙が、暗い空に白くもわっと広がる。そこに包まれる。 予想なんか、言葉なんか、を超えた.  楽しいことの素は夢中になるってことなんだと思う。私は今までつくること、例えば絵を描くことや文章を書くことや音楽をつくること、だったりクリエイティブなつくることが楽しいこと

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        じぶんのやりたいことをやっていく

          やり方を見直す

          ここまでnoteで思想書のようなものを書いていくつもりでやってきたがやり方を変える。現実で何も行動していないし、実感していないのに無理に思想書のようなものを書こうとしていると気づいた。現実を排除して、いいも悪いも何もない空虚な場所に辿り着いてしまった。概念も何もないところで何かをつくることは出来ないのに現実とフィクションをあらぬ方向にいかせてしまっていた。なのでもう少し日常に近づけ文章を書こうと思う。ちゃんと現実に降りるようにする。もっと人と関わっていく。やりたいことの計画を

          やり方を見直す

          素直な楽しい

           ゆらゆら揺れながら少しずつ気づかないところで変わっている。それが何なのか気づき始める。酔ってていいんだ。まっさらな世界では酔っているなんてことはないんだから。遠くにいって近づくと島についていることがある。「小説があって詩があって本があっていいね」「人間が作ったんだって。」「何でここに変な記号がかいてあるの?」「そのままそれを自分の中でつくり始めればいいんだよ。」「外枠はいらないんだね。」「まっすぐ線が通っているでしょ。その線をじっと。」「観てるよ。簡単で複雑な線の工作だよ。

          素直な楽しい

          フィクションで、リアルな、現実になる。

          現実を観る  自分の目から見えている世界って果たして事実なのか?今これを書いている部屋の中にある。椅子や机をじっと、じーーーーーと観ると面白い形をしていると思えてこない?自分が中学生の頃、授業中にぼぉーとしているとき、段々と世界が異世界のように見えてきた。そうすると、「この椅子の形はなんなんだ。」と思えてきたり、人間の顔や形が「きもちわるっ!なんだこの宇宙人!」っと異質なものに見えてくる。もしかしたらその感覚が現実を観るってことなんじゃないか?勉強の哲学(著・千葉雅也)で、

          フィクションで、リアルな、現実になる。

          朝、つくる

           いつもなにかをつくるときは夜だった。でも、夜つくったものは見返すとどこか現実離れしているような気がする。いや、そういうにしては最近書いたNoteの文章を読み返したら案外いいぞとも思ったりするときもある。ここ3週間ぐらいに文章を書くことを始めた。始められたのが嬉しいのかもしれない。夜は溜まったものを我慢できなくなってどうしようもないから出していると思う。朝はどこか建設的なのかもしれない。今は考えている。だから断定したくない。  これから庭師になるのか?そうはならない。抽象的

          朝、つくる

          小さなだけど大きな、だけどなんとでもないこと。

          何か作ろうと思う時、その形がどういう位置にあるかによってそれは変わるだろ。例えば石が1つあるとする。その石を4つのマスがあるどこかに置くとする。1のマス、2のマス、3のマス、4のマスとそれぞれ名付ける。 1のマスに置くのと2のマスに置くのとでは全然違うことだ。それが分からない人がいる。起きていることが違う。事実としては1のマスに置くのと、2のマスに置く。それを遠くから観ると1のマスに石を置いたときは「1のマスに置いてあるなあ」と言葉で表現出来る。2のマスに石を置いたときは「2

          小さなだけど大きな、だけどなんとでもないこと。

          いい流れが来てるんよね。

           やったーなんか頭がすっきりする。思考が自由になってきてる。軽くなってきてる。友達とか家族に気軽に電話して話してる。電話がすごく軽くなった。電話をかけている相手はある程度関係性を築いた相手だけれども今まで電話をすることはほとんど無かったのが、最近は1週間に一度は誰かしらにはかけている。  電話をするのはやっぱり人と話がしたいからだ。人が好きだ。異質だし、なんだかわからなくていい。会話をすると人の色が浮き出てくる。それを引き出せた瞬間を感じるようになってきた。要するに「音楽」

          いい流れが来てるんよね。

          会話、話すこととは魔法

          話すこと会話することとは星の粒を練り上げてそれをぶつけ合うことだ。当たった後にどうなるかはその人が意味するものとは遠い川のむこうにある。私は変化したい!会話することによってみるみる色をかえていきたい。鍋を食べたときに内側から四方八方に身体の芯から温まりたい。それがあまりにも面白い。  この世界はあまりにも面白くない会話が流通しすぎている。学校の授業だったり、お店の店員とだったり、学校、会社、店、とにかくあらゆる日常で表面的な意味しかないものだったり、意味とかではない流行のよう

          会話、話すこととは魔法

          苦しさ 表現 悩み 憤り

           苦しい、死にたいわけではないけど、つっかえている「何か」がある。「何か」それを気持ちよく表現したい。現実に召喚させたい。積み上げないと出来ない。少し自分の思う方向に近い光が見え始めるのは、大体積み上げ始めて20年なような気がしている。それはいろんな表現者を観ていて気付いたことだ。  このような感情をしっかり知覚したのは、ここ2週間ぐらいだ。それまではもっと漠然とした虚無感のようなものがあった。小学生のときからいや、生まれたときから表現したがっている。そしてみんな世界を変えた

          苦しさ 表現 悩み 憤り