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やり方を見直す

ここまでnoteで思想書のようなものを書いていくつもりでやってきたがやり方を変える。現実で何も行動していないし、実感していないのに無理に思想書のようなものを書こうとしていると気づいた。現実を排除して、いいも悪いも何もない空虚な場所に辿り着いてしまった。概念も何もないところで何かをつくることは出来ないのに現実とフィクションをあらぬ方向にいかせてしまっていた。なのでもう少し日常に近づけ文章を書こうと思う。ちゃんと現実に降りるようにする。もっと人と関わっていく。やりたいことの計画を立てる。

 やりたいこと、好きなこと
・文章を書く
・庭の勉強
・絵を描く
・本を読む
・開かれた場をつくる
・開かれた表現をする
・いろんな人と会話する
・演劇や舞踏や身体表現をやりたい
・本や古本
・世界をいい流れに持っていきたい
・人を解してもっと開かれて面白い?方向にされるというのではなく流されるような感じでその人自身でやっていくような形が出来たらいいなとなんとなく思う。
なんとなく気づいたことがあるけど実感とつくることがリンクしていないと嘘を言っていることになっている。重力などの世界の絶対的にあるものを破壊しているとおかしな方向にいっていると感じた。途中からそういうことをしてしまっていたと思う。固定的に考えてしまっていて、常に考えていくことを放棄していたように思う。どんな人でも積み重ねて少しずつ形にしていくような感じでいくのに無理に成功したい!と思ってしまったので考えていくことを諦めない。まずは具体的にやりたいことが出ているものの師匠を探して電話したり声をかけてみることにしようと思う。本を読むと抽象的にいったけど今出ている問題にあってたりするようなものだといいけど狙うとよくないのででも調べたいことは調べる。そこんところは曖昧でいいかも。自分のやりたいことが多すぎて仕事や学校に行っていたら出来ないのでそこに入らずにどうやるか?を考える必要があるかもしれない。今は本でホームレスの話を読んでいるが凄いと思った。ほんとうに考えて暮らす、生きるってことはこれなのかもしれない。ホームレスの人にも会って話してみたいと思った。なんか成長の仕方?みたいなものがわかった気がする。文章は自分を客観的に見れて距離を取れる方法だからどんどん変わっていっているよな、、?感じはする。実感があることを書かないと本当に何もないところこら嘘を言っているのでよくないと感じた。現実に降りたことを文章にする。まずは庭のことを教わりたい人を見つける。イサム・ノグチの庭を作った人や杉本博司の庭を作った人を調べてみる。本はネットで調べるように詳しいことを調べられるのでおすすめです。ネットだと多くの人が見る検索結果しか出てこないので新しい情報が調べられないような気がする。まずは本で調べてネットで定まったものを調べるのがいいかもしれない。ネットは何もないところから調べるのに向いていないと思う。Xは新しい発見は偶然的に発見出来ると思うよ。



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