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ひとつから、目の前から、触って、食べて、確かめる

 

つまること

自分は頭でっかちだ。人の意見を聞かないで自分の意見ばっかり絶対だと思い込んでる。だからプライドが高い。その意見は現実で何回も試していることではないので実現することが出来ないことを責任を持たないで言ってしまう。それで人々を困らせてしまうし、頭に来る人もいると思う。

I want to susumitai

 相手の意見を聴くようにするし、自分にも責任を持つ。で、出た意見を吟味する。しかし否定をしない。確かめたい。言い方を注意する。怒りは何もいいものを生まないと思う。緊張しすぎたり、不満や憤りが溜まりすぎると人に当たってしまったりする。そこからは相手も嫌なことを溜めてしまってそれをぶつけてしまって負の連鎖が始まる。良い流れもあるし、悪い流れもある。でも悪い流れは楽しやすいし、鍛錬を積まないと永遠にそれをしてしまうので悪い流れの方が多い。だから自分から変えていく。しかし怒りを堰き止めるやり方だけだとやっぱり自分に負担がかかるのでいつか自分が決壊して流れてしまう。まだこのことにどう向かえばいいのかは分からない。
 

無理に押し込み、すぐ壊れる模型

 けど少し楽になったこと、そして気付いた法則のようなものがある。「類は友を呼ぶ」とものがあるが自分の周りには自分が集まっていると感じた。人に対して憤りを感じることは多いと思う。けど、それを果たして自分はやっていないのか?実はよくよくよーく考えると自分はその憤りを感じることを他者に対してしている。なんで「お前の考えを押し付けてくるんだよ」と思ったりする。けどそれは自分もしていることだった。だから果たして言えることなのだろうか?でも自分がしているからと言って相手がしていいというわけではないじゃないかと思うこともあるだろう。しかしそれは傲慢だ。世界をとんでもなく狭くして微細に細かいものを蹴り飛ばしている。人を変えることは並大抵のことで出来ることではない。そんなことは多くの人が持つ共通認識と言っていいほど分かっていることだろう。人の世界を崩すより自分の世界を崩していく方が手が届きやすいに決まっている。明らかに触れる部分が違う。自分ももちろん深くまで入るには並大抵のことでは出来ないかもしれないが人を変えるなんて禁忌を犯すような行為はすぐに出来る訳がない。
 

触って感じたものが身になると現実になる。

 まずは自分から一番近いものから実験していこう。まずはあるものを確かめる。そしてそれが何をしたら変わるのか実験してみる。まずは直感でいいだろう。すべて確かめる。予想や思い込みはいらない。そして考察する。考察には自分だけでは足りないものがある。ここからは分からない。思い込んでいる領域があまりにも多すぎる。「なんか知っている」じゃ自分のものにならない。身体にはならない。
 

自分の世界が現実になっている。

他者、自分の周りにいる人は自分の中にいる複数の住人だと思った。この人はこのときの自分に近いかな?
だったり考えると見えてくるものがあるかもしれない。そうすると脳内の中にいる人たちが話しているようにみえる。そう見ると面白くなる。そんな機会滅多にないだろう。たまに自分の脳内にいない人が出てくる場合もあるかもしれない。そういうときは変わるチャンスだと思う。自分に新たな広がりが出てきたことでもあるのかもしれない。急には面白くはなれない。
 
 

宇宙にいきたい

 まずは近くからじっくりやっていくと意外と面白い。現実は実は自分に近い要素が集まっているんじゃないか?そう考えると開かれた人になるのならば自分の要素を広げる必要がある。まずは近いところから溶かしていかないとどこに行っても自分はいるよ。どんどん取り入れて面白くなっていってオープンな人になりたい。宇宙のようなとめどない広がりを

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