米国中間選挙はもうすぐ

11月6日火曜日、トランプが大統領に選ばれてから2年後の中間選挙はもうすぐだ。

選挙への影響が大きいとみられる最高裁判所裁判官候補の承認をめぐる議論というかゴタゴタでメディアとSNSはやたら賑わっている。筆者のFacebookアカウントでは米国現地人の「friends」が多いが、その大半は音楽シーンを通じて知り合ったからなのかどうかははっきりしないが革新的な意見を持つ人たちがほとんどだ。結果Facebookを開くと(Facebookはあまり好きではないのだが現在闘病中の友人が複数いて、彼らからのアップデートを読んだりサポートの言葉を送りたいがためにログインせざるを得ない状況なのだ)、トランプや彼のサポーターや共和党議員へ向けての批判コメントや記事の引用がずらずらーっと出てくる。ただの情報源だと思えば良いのだろうが、ずっと見ているとやっぱり気が重くなる。

彼らのうち数人とは特に気が合う仲なので、先日彼らにメッセージを送って進言した。「アメリカ市民権を持たない立場から言わせてもらうと、君たちが批判しているトランプやサポーターや取り巻きや共和党議員たちは何をどう批判したり詰ったりしても変わることは何もないだろう。むしろ名指しで強烈に批判すべきなのは君たちが票を投じた民主党や革新系の議員じゃないだろうか。彼らは全く無力に見えるし、結果も出していないし、いざという時に大勢に靡いたりもするし、そもそも彼らはわれわれ一般市民がどんな風に生活しているか、考えているかさえ把握したり理解したりしているわけではない。となると、彼らは君たちの貴重な一票を全く無駄にしていることになる。批判されるべきは君たちの票を受けながらも無力で、政敵をほそぼそと批判するだけの役立たずだ。必要とあらばそんな議員を選挙で落とすくらいの姿勢で臨まなければ君たちの意見はいつまで経っても反映されることはないよ。」

哲学も政治学も何も知らず分かっていない筆者が我ながら偉そうなことを言ったものだが、あれは実は日本の現状を見ていて感じたものなのだ。日本と米国の政界の現状はそれほどよく似ていると思う。ある意味、どちらかがもう片方のマネをしてるんだと思う。「あっちがああやってそれでも一応通用してるんだからウチも大丈夫」的な。

ただ一つ相違点がある。それは米国は選挙の結果いかんでその後の国内情勢が比較的短時間で市民の生活に何らかの変化を見せるのに対し、日本では市民の生活が選挙結果によって顕著な変化をみないことだ。日本という国も、日本人も外力が無ければ根本的な変化を遂げないことは歴史を見れば分かる。

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