だいたい真実(戯曲)

【これは、劇団「かんから館」が2017年6月に上演した演劇の台本です】

   
   〈登場人物〉

    ナナ
    康夫


  マンションの居間。
  ソファにナナが座っている。
  テーブルに雑誌と紅茶。
  自撮り写真。いろいろポーズなんかを作って、何枚か撮っている。
  猫の鳴く声。

ナナ  あ。

  ナナ立ち上がり、ベランダの外を覗く。
  手を振ったり、スマホで写真を撮ったりする。
  しばらくして、ソファに戻って来る。
  撮った写真を眺めている。

ナナ  一週間ほど前の夜でした。ベッドの頭の方、そこが窓になってるんですけど、猫の鳴く声がしたんです。それもかなり近くで。たぶん、野良猫がさかりでもついてるだろなと思ってました。‥‥しばらく鳴いててうるさかったんですけど、やがて鳴きやんだので、そのまま寝ました。
それで、朝になって、洗濯物を干しにベランダに出たら‥‥いたんですよね、猫が。茶トラの猫で、たぶん雑種。‥‥それが、私が近づいても、逃げようとしないんです。じっとこっちを見ているだけで。‥‥野良にしてしては、変な猫だなあと思いながら、かまわないで洗濯物を干してました。すると、ミャアミャアと声がするんです。振り返って見たら、その茶トラじゃないんです。あれっ?っと思って、声のする方を探したら、ベランダの端っこに、何かの段ボール箱が置いてあったんですけど、そこなんですよね。‥‥で、恐る恐る覗いてみたら、ちっちゃいのがいたんです。三匹。ちょうど握り拳ぐらい大きさのが、モゾモゾと動いてました。まだ、眼も開いてない感じで、生まれたてみたいでした。それで、それをしばらく見てて、ふと振り返ったら、すぐ後ろに茶トラが来ていて、こっちをじっと見てるんです。ちっちゃいのを見てるのか、私を見てるのか。‥‥ちょっと考えて‥‥ああ、この子の子供なんだなって。‥‥この子の子供って何かややこしいですね。この子が子猫なのか?親猫なのか? ‥‥だから、その茶トラが母親なんですね。たぶん。
で、どうしようかなあって思って。‥‥うちのマンション、ペット禁止なんですよね。いや、別に飼おうって思ったわけじゃないんですけどね。‥‥とにかく、あんまり鳴かれたら困るじゃないですか。それで、どうしようかなあって。‥‥でも、しばらく見てても、モゾモゾしてるだけで、そんなに鳴く様子でもないし、茶トラもおとなしくしてるし‥‥で、まあ、別に私が拾ってきたわけでもないんだし、いわば交通事故みたいなもんなんだから、とか。こっちが被害者なんだから、とか。‥‥とにかく、何か考えるのがめんどくさくなっちゃって、そそくさと洗濯物を干して、部屋に戻りました。
‥‥ありがたいことに、ほんとおとなしいんですよ。子猫も茶トラも。ほとんど鳴いたりしません。‥‥食事はどうやってるのかわからないんだけど、とにかく親子とも元気そうです。‥‥子猫って、成長が早いですよね。最近では、段ボールから出てきて、ベランダの中をうろうろ歩き回ってます。そういうのを見てると‥‥ほら、情が移るって言うじゃないですか。やっぱりかわいいんですよね。‥‥めちゃくちゃかわいいです。‥‥私、元々、猫が苦手な方でもないし‥‥。でも、まだ、どうしようかなあって考え中で‥‥できれば、このままの状態でずーっといられたらいいなあとか思ったりして。‥‥ほら、別に飼ってるわけでもないんだし、勝手に住み着いてるだけなんだから。こっちには責任とかないわけだから‥‥。人間ってほんとずるいですよね。でも、本音を言えば、誰でもやっぱり、自分がかわいいわけで‥‥やっぱり、面倒なことにはできれば関わりたくないわけで‥‥。そういうもんじゃありません? 違います?

  康夫が出て来る。

康夫  おはよう。
ナナ  おはよう。
康夫  もう、めし食ったんか?
ナナ  今、何時やと思てんの?
康夫  何時?
ナナ  (時計を指さして)ほれ、もう十一時前。もうすぐお昼やで。
康夫  はー。さよか。
ナナ  うん。
康夫  時間聞いたら、ちょっと腹減ってきたな。‥‥何かないん?
ナナ  食パンやったらあるけど。
康夫  食パンかあ‥‥。食パンなあ‥‥。食パンですかあ‥‥。そや。ちょっと、そこの猫でも焼いてくれへんか?
ナナ  何言うてんの。
康夫  ちっこいの、柔らかそうやんか。
ナナ  あほ言いな。
康夫  あれやったら、刺身でも行けるんちゃうか? 三枚に開いて、ちょちょっと醤油をかけてやな‥‥。ワサビ、いや、肉にはやっぱりショウガかな?
ナナ  あほ。しまいに怒るで。
康夫  わかった。わかった。食パン食べますがな。おいしい食パンをね。‥‥食パン、食パン、食パンマン。バイバイキーン。

  康夫、去る。
  ナナ、康夫の去った方を見ている。

ナナ  あーあ。

  ナナ、紅茶を飲みながら、雑誌を眺める。

  康夫が戻ってくる。口に食パンをくわえている。

ナナ  何してんの? トーストぐらいしたらええやん。
康夫  これがええの。(くわえているのでよく聞き取れない)
ナナ  え?
康夫  (食パンをはずして)これがええの。
ナナ  え? 何で? 何がええの?
康夫  ちょっと見とりや。

  康夫、ソファにすわる。

ナナ  ?
康夫  こうしてやな‥‥。

  康夫、食パンにバターを載せ、団子のように丸める。

康夫  こうしてやな‥‥。
ナナ  ‥‥‥。

  康夫、丸めた食パンをかじる。

康夫  こうなる。‥‥どや?
ナナ  ‥‥それで?
康夫  え?
ナナ  ‥‥そんなんがええの?
康夫  え? うまいで。
ナナ  全然そういう風には見えへんけど。
康夫  うまいって。‥‥やったことないの?
ナナ  え?
康夫  こういうの。
ナナ  ええー。
康夫  普通やるやろ。小学校の時とか。
ナナ  やらへんて。
康夫  えー。変なヤツやな。
ナナ  どっちが。
康夫  お前、変な小学生やったんやな。
ナナ  何ゆーてんの。だから、ふつーの小学生は、そんなことしませんて。
康夫  するって。
ナナ  せーへんよ。
康夫  するって。ふつーの小学生は、絶対やる。
ナナ  どんなふつーの小学生やねん。‥‥それって、もしかして大昔のふつーの小学生ちゃう? 弥生時代ぐらいの。
康夫  あほ。弥生時代に食パンがあるかいな。
ナナ  そんなんわかってるって。ちょっとオーバーに言うただけやん。
康夫  お前らはな、すぐにそうやって世代の違いにしたがるけどな、これはそういう問題やないぞ。これはな、人類の普遍的なテーマやぞ。普遍的な小学生のテーゼや。
ナナ  普遍的な小学生って何よ?
康夫  はるかな時代を超えて、いつの世にも変わることなく受け継がれつつある、ゆかしき小学生の伝統や。
ナナ  もう。あほくさ。勝手に言うとき。
康夫  ああ、勝手に言うとくわ。

  ナナ、紅茶を飲み、雑誌を眺める。

康夫  ♪こうちゃのおいしいーきっさてんー。なんたらかんたらグッバイバイバイ。それからなんたらー。
ナナ  何それ?
康夫  歌。
ナナ  なんなん? その変な歌。
康夫  え、知らんの? 有名な歌やん。
ナナ  そんな変な歌、知らんわ。
康夫  ほれ、なんたらかんたらゆー子のうとてた歌やん。なんちゃらかんちゃらちゅー歌やん。
ナナ  ハハハハ。なんたらかんたらて、さっぱりわからんやん。それ。
康夫  うっさいな。

  康夫、ナナのカップに手を伸ばす。

ナナ  あ。

  康夫、紅茶を一口飲む。

ナナ  ああー。
康夫  え? ええやん。一口ぐらい。‥‥パン食ったらのどかわくやん。
ナナ  あーあ。もうそんなん飲まれへんわ。
康夫  何で。飲んだらええやん。
ナナ  そんなおっさんのバイ菌のついた紅茶はのめませーん。
康夫  バイ菌ってなんやねん。
ナナ  オッサン菌。
康夫  そんなんあるか!
ナナ  あるし。
康夫  ひょっとして、お前、あれか? 電車のつり革とか持つのに手袋とかする女か?
ナナ  何それ?
康夫  そういうのがおんねん。公衆便所に入れへんやつとか。
ナナ  だから、何なん、それ?
康夫  そやから、あれやん。なんとか恐怖症とかゆーやつ。
ナナ  ハハハハ。
康夫  何やねん?
ナナ  さっきからなんたらとかなんちゃらとかばっかしやん。
康夫  ‥‥うっさいな。
ナナ  もうぼけが始まってるんちゃうん?
康夫  うっさいな。ぼけ。だまっとれ。
ナナ  ハハハハ。
康夫  だまれ。
ナナ  ハハハ。トシは取りたくないもんですなあ。
康夫  トシのせいちゃうし。誰かてこういうのはある。お前かてあるはずや。
ナナ  ないない。
康夫  いや、あるで。
ナナ  ないない。
康夫  いや、ある。人間はコンピューターとちゃうさかいな。
ナナ  何ゆーてんの?
康夫  まあ、それが、また、人間のええとこでもあるんやな。何でも完璧にやってたら、おもろもくそもない。時々忘れたりすんのが人間らしさ、ヒューマニズムちゅうもんやな。
ナナ  何がヒューマニズムやねん。
康夫  そーゆー塩梅がわからんやつが、クレーマーになったり、ファブリーズを撒きまくったりするんや。
ナナ  え? 何の話?
康夫  そやからな。‥‥飲め。
ナナ  え?
康夫  紅茶。
ナナ  いややて。もう、全部飲んで。
康夫  お前、オレの話聞いてたんか?
ナナ  はあ?
康夫  そやから、これを飲まんと、お前もファブリーズ女になってまうねんぞ。
ナナ  ファブリーズ女って‥‥何?
康夫  だから、人の話はちゃんと聞け! もう言わん。お前には二度と言わんからな。
ナナ  何ゆーてんの? このおじさん。‥‥ほんま、醒めるし、全部飲んでよ。
康夫  いや‥‥どうもな‥‥。
ナナ  どうも‥‥何?
康夫  どうも合わん。食パンに紅茶は合わんわ。
ナナ  そんなことはないでしょ?
康夫  いや、もひとつやな。
ナナ  そうかな?
康夫  ああ。
ナナ  ふーん。
康夫  ‥‥試してみる?
ナナ  え? 何?
康夫  食パンと紅茶。
ナナ  ええわ。別に。
康夫  そっか。
ナナ  うん。
康夫  ほんまにええか? 試さんで。
ナナ  ええって。‥‥それより、飲んでよ。全部。
康夫  ‥‥ああ。

  康夫、紅茶を飲む。
  ナナ、雑誌を読む。
  しばしの間。

康夫  ♪こうちゃのおいしーきっさてん‥‥。

  間。

康夫  ‥‥ほれ、ポップアートのなんとかって画家がいたやんか。知らん? 有名なやつ。アメリカ人の。
ナナ  え?
康夫  ほら、マリリンモンローをいっぱい並べたポスター描いてたやつ。
ナナ  何、それ?
康夫  えーっとな。ここまで出てるんやけどな。
ナナ  えー、また、なんちゃらかんちゃら?
康夫  うるさい。今しゃべんな。忘れてまうやろ。
ナナ  ‥‥‥。
康夫  あー。あー。あー。あー。
ナナ  どしたん?
康夫  だから、しゃべんな。アイウエオ順で確認するんやから。
ナナ  ハハハ。何それ?
康夫  ああ‥‥あい‥‥あう‥‥あえ‥‥あお‥‥
ナナ  そんなんしてたら日が暮れるって。
康夫  だから、しゃべんな。あー。あー。あー。‥‥あ、わかった!
ナナ  え?
康夫  アンディや。アンディ・ウォーホルや!
ナナ  アンディ?
康夫  そや、アンディや。アンディゆーてもアナウンサーちゃうで。
ナナ  しょーもな。
康夫  そやから、アンディー・ウォーホルやて。
ナナ  ああ。‥‥で、そのアンディさんがどうかしたの?
康夫  何や。アンディー・ウォーホルも知らんのか。
ナナ  何ゆーてんの。自分かて今思い出したくせに。
康夫  もうイマドキの若いもんはこれやから。
ナナ  だから、その人がどないしたん?
康夫  そやから、そのマリリンモンローを並べるやつの前に、何か缶詰をいっぱい並べるやつを作ってて、確か、それで有名になったんや。
ナナ  何それ? ゆーてることがわからん。
康夫  何の缶詰やったっけ? ええっと、何か、スープやわ。確か。
ナナ  え、スープの缶詰?
康夫  ええっと、ここまで出てるんやけどなあ。
ナナ  えー、また?
康夫  ほれ、ほれ。‥‥あれやん。
ナナ  なんたらかんたら?
康夫  黙れ! えーっと。‥‥あ、そうそう、クランベリースープ!
ナナ  え?
康夫  クランベリースープ。ああ、すっきりした。
ナナ  クランベリーって果物ちゃうん? 果物をスープにすんの?
康夫  え?
ナナ  それ、ジュースとちゃうん?
康夫  え?
ナナ  ジュースの間違いちゃう?
康夫  いや、絶対スープやで。スープの缶詰。アンディー・ウォーホルのクランベリースープってゆーたら有名やし。
ナナ  いや、いや、いや。やっぱり、それ変やし。
康夫  そんなことないて。
ナナ  そんなことあるし。
康夫  ない。
ナナ  ある。
康夫  ‥‥だいたいクランベリーって何や?
ナナ  え、知らんの? そんなんも知らんでゆーてんの?
康夫  ‥‥‥。
ナナ  クランベリージュースってあるやん。クランベリーソーダもあるし。
康夫  名前は聞いたことあるけど‥‥。
ナナ  赤いジュースで、見た目めっちゃ甘そうなんやけど、これがめっちゃ酸っぱいねん。
康夫  ふーん。果物?
ナナ  だから、そやってゆーてるやん。
康夫  ‥‥ほーか。‥‥酸っぱい果物か。‥‥ちょっとイメージちゃうな。
ナナ  何のイメージ?
康夫  いやな、その、スープとかの方が、食パンに合うかなあって思てな。
ナナ  はあ?
康夫  紅茶よりやっぱりスープやろ? 食パンには。
ナナ  もしかして、それを言おうと思って、そのアンディさんの話とかしてたわけ?
康夫  まあ‥‥な。
ナナ  めんどくさ。あんた、ほんまにめんどくさいおっさんやな。
康夫  ええやん。
ナナ  そんなんゆーてたら女にもてへんで。
康夫  うるさい。これでも昔はけっこうもてたんやで。
ナナ  出た。オッサンの、わしは昔はもてた自慢。
康夫  そんなんせーへんて。
ナナ  やってもええよ。どうせひまやし。
康夫  せーへんて。
ナナ  どーぞー。
康夫  うっさいな。‥‥スマホ貸して。
ナナ  え? 何すんの?
康夫  調べてみる。アンディー・ウォーホルのクランベリースープ。
ナナ  え、その話、もう終わったやん。
康夫  何か気色悪い。
ナナ  ふーん。はい。(スマホを渡す)
康夫  気になったことはその場ですぐに確認する。これが大事やねん。
ナナ  何、それ?
康夫  お勉強のコツ。知識人のたしなみやな。

  康夫、スマホをいじってる。
  ナナは眺めている。

ナナ  あった?
康夫  ちょいまち。‥‥あ、あったで、クランベリースープ。やっぱりあるやん。‥‥あれ。何かちゃうな、これ。
ナナ  何て書いてあるん?
康夫  女子力アップやて。「女性は膀胱炎にかかりやすいので、クランベリースープは女性の体にやさしい、ほんのり甘味がするおしゃれなスープです。」‥‥なんか、ちゃうな。これ、ちゃうわ。
ナナ  へー、そーなん。それ、ええやん。一遍試してみようかなあ。レシピとか書いてあるん?
康夫  ‥‥‥。(スマホをいじってる)
ナナ  なあ。
康夫  もう消した。
ナナ  えー。
康夫  あ。
ナナ  何?
康夫  ‥‥‥。
ナナ  だから、何?
康夫  ‥‥‥。ありがとう。(スマホを返す)
ナナ  え? え? どうしたん?
康夫  ‥‥‥。
ナナ  何かあったん?
康夫  はあー。(ため息)
ナナ  なあ、どないしたん? 何か書いてあったん?
康夫  まあ、人生ちゅうのはえてしてこういうもんやな。
ナナ  だから何? ゆーてーな。
康夫  まあ、よくあることや。ちょっとしたボタンのかけ違い。人生にはそういうことがしばしば起きる。いわば、神の与えたもうた試練やな。
ナナ  え? 何ゆーてんの?
康夫  あるいは、神の気まぐれな采配と言うべきか。
ナナ  だから、何なん?
康夫  ‥‥ええねん。もう終わったことや。
ナナ  もったいぶらんと、さっさと言ーな。
康夫  ‥‥子供には関係ない。
ナナ  誰が子供やねん! ごまかすな!
康夫  ‥‥‥。
ナナ  なあ!
康夫  ‥‥キャンベルスープ。
ナナ  え?
康夫  クランベリースープとちごた。キャンベルスープやった。うわあ、もう死にたい!(頭を抱える)
ナナ  え? 何それ?
康夫  うわあー。
ナナ  アハハハハハ。
康夫  うわあー。
ナナ  アハハハハハ。

  猫の鳴き声。
  音楽。
  照明、変わる。

ナナ  雨が降ります。雨が降る。遊びにゆきたし、傘はなし。
私、雨はわりと好きなんです。雨が降ると鬱陶しいとか言う人が多いですけど、そうなんですかね? 天気がいいとか悪いとか言うけれど、晴れてたら良い天気で、雨だと悪い天気だなんて誰が決めたんでしょう?
日曜日の朝、カーテン越しに外を見る。雨がシトシト降っている。ああよかったって思うんです。今日は、一日中引きこもってやるゾって思って、何だかワクワクしたりして。そんな日はテレビは見ません。スマホも見ません。音楽も聴きません。とにかく何にもしないんです。ひたすらボケーッとしてるんです。頭も体も思いっきりダラーッと脱力させるんです。それが一番の贅沢。それで、お茶を飲んだり、お菓子を食べたり、時々窓の外を眺めたり。
傘をさして人が歩いて行く。自動車のタイヤがシャーっと水を切りながら走って行く。雨をよけながらスズメがバタバタと飛んで行く。そんなのを、飽きもせずじーっと見つめていたりしていて。
全てがゆっくりと過ぎていきます。ゆっくりととてもゆっくりと。
今何時? 朝のような、昼のような、夕方のようでもあり。自分がどこにいるのかもわかんなくなってきて、現実と錯覚が溶け合うまどろみの岸辺に身をゆだねて。もう自分が誰なのかさえわかんなってきて。
ザザー。サザー。ザザー。
ほんと、そんなのどうでもいいから。今は話しかけないで。申し訳ないけど、とっても気持ちがいいんだから。

康夫  ♪都会では自殺する若者が増えている。誰かが新聞の片隅に書いていた。だけども問題は今日の雨、傘がない。

ナナ  友達とカラオケに行きました。最近は、みんなボカロを歌うんですよね。もちろんJポップも歌うけど、やっぱりボカロで盛り上がるのが多いと思う。それで、みんな声を合わせて歌って盛り上がったりするんだけど、ほら、カラオケだから、歌詞が画面に出るじゃないですか? 私、よくあれを眺めてるんですよ。するとね、すっごく暗い。何かもう絶望的な歌詞ばっかりで笑えてきたりする。だってそうでしょう?破滅とか偽善とか狂気とか虚無とかカオスとかそんな言葉がいっぱい転がってて、すぐに死んじゃったり、殺しちゃったり。それをアップテンポのメロディーで、みんなで明るく楽しく元気に歌ってるって、やっぱりなんだかなーって思うけど。
「お前らみんな病んでるよなー」ってヤッチンが言ってたけど、そう言われればそうなのかもしれない。
みんな生き急いでるのかなあ。ほら、学校の教師とかが「夢を持ちなさい」とか「キミたちには無限の可能性がある」とか言うじゃないですか? あんなの誰も信じてないし、まあ、言ってる教師も信じてないのかもしれないけど、何か、前を向いて歩いて行くのがおっくうっていうか、どうせ先は見えてるっていうか。
みんな臆病でナーバスなんだよね。たぶん。どうせ先行きそんなにいいことなんかないんだから、そんなこととっくの昔から知ってますよ、とか、明るい未来なんて信じるほどウブじゃありませんからとか。傷つきたくないから、傷つく前に傷ついちゃうっていうか、絶望する前に希望なんか持たないとか、そうやって自分を守ってるような気がしたりもする。
さあ狂ったように踊りましょう。どうせ百年後の今頃には、みんな死んじゃってんだから。

康夫  ♪冷たい雨が、今日は心に浸みる。君のこと以外は考えられなくなる。それはいいことだろう?
行かなくちゃ。君に会いに行かなくちゃ。君の家に行かなくちゃ。雨に濡れ。

  音楽。

  照明、戻る。

康夫  なあ。
ナナ  うん?
康夫  いつ生まれんの?
ナナ  え?
康夫  だから、いつ?
ナナ  それは‥‥まあ‥‥生まれる時に生まれるんちゃう?
康夫  え?
ナナ  だって、そうやん。
康夫  そら、そやけど。
ナナ  そやろ?
康夫  それでも‥‥何か適当すぎひん?
ナナ  そう?
康夫  そら、そやて。
ナナ  そんなもんちゃうん?
康夫  そんなことないて。
ナナ  そうかな?
康夫  お医者さんから聞いてるやろ?
ナナ  うーん。‥‥聞いたような聞かんかったような。
康夫  え? うそ。それ、どんな医者やねん。
ナナ  ‥‥忘れた。
康夫  あのねぇ。ナナちゃん。そういうのはちゃんとしといた方がええと思うよ。
ナナ  え? お説教?
康夫  いや、お説教やないよ。
ナナ  ほなら、何?
康夫  え‥‥いや。
ナナ  ヤッチンがそういうこと言うの、意外やわあ。
康夫  え、そうかな?
ナナ  うん。めちゃくちゃ意外。びっくりした。
康夫  そんなことないやろ。
ナナ  何でもテキトーっていつもゆーてるやん。
康夫  そら、そうやけど。
ナナ  死なへん死なへんっていっつもゆーてるやん。
康夫  そら、死んだら困るしな。
ナナ  ほなら、死なへんかったらええやん。
康夫  いやいや、そんなことないねんて。死ぬかもしれへんねんて。
ナナ  え? うそ。
康夫  うそやないて。出産ちゅーのは、結構危ないんやで。今では当たり前みたいにポンポン生んでるけど、昔は死ぬ人もぎょうさんいたんやで。
ナナ  え、そうなん?
康夫  ほんまほんま。
ナナ  マジ?
康夫  マジ。
ナナ  へぇ。
康夫  母親もアカンボもいっぱい死んでたらしいで。
ナナ  へー、そうなんや。
康夫  そやから、ちゃんとしとかんと‥‥。
ナナ  ‥‥‥。
康夫  そやから‥‥いつなん?
ナナ  ‥‥それ、聞いてどうするん?
康夫  どうするって‥‥。
ナナ  どうするん?
康夫  どうするとか違ごて、それぐらい知っときたいがな。
ナナ  なんで?
康夫  そら、一緒に暮らしてるんやし。
ナナ  育ててくれんの?
康夫  そら、育てるまではできひんかもしれへんけど、何か手伝いぐらいはするやろ?
ナナ  へー。そんなこと考えてるんや。
康夫  そら、そやろ?
ナナ  意外。
康夫  ふつー考えるやろ?
ナナ  ふつーやないしな。ヤッチンは。
康夫  ‥‥‥。
ナナ  猫の子かて育てようとせんしな。
康夫  猫と人間はちゃうがな。
ナナ  焼いて食べるとか言うしな。
康夫  そんなん、冗談にきまってるやろ。
ナナ  いやいや、わからんで。
康夫  何がわからん?
ナナ  私がいっつも帰ってきたら猫の写真撮ってるの、何でかわかる?
康夫  何で?
ナナ  確認してるねん。一匹、二匹、三匹。よし、今日も食われてへんなって。
康夫  どんな確認やねん!
ナナ  それぐらいせんと、危ないしな。実際。
康夫  お前、そこまでオレを信頼してへんの?
ナナ  うん。
康夫  ‥‥さよか。
ナナ  ‥‥‥。怒った?
康夫  ‥‥別に。
ナナ  いや、怒ってるな。
康夫  怒ってへんて。
ナナ  ふーん。そーなん。
康夫  うん。
ナナ  変なの。
康夫  何が?
ナナ  やっぱり変な人やな。ヤッチン。
康夫  え? ‥‥そうか?
ナナ  うん。
康夫  ‥‥‥。
ナナ  ふつー、聞くんやったら、いつ生まれると違うやろ?
康夫  え?
ナナ  誰の子?やろ。ふつー。
康夫  ああ‥‥そうかな。
ナナ  そら、そやて。ふつーは、そう。
康夫  ああ、そうかもしれんな。
ナナ  興味ないの?
康夫  そら、ないこともないけど。
ナナ  ‥‥聞かへんの?
康夫  え。‥‥もう、今更な。
ナナ  へぇ、そうなん。
康夫  ああ‥‥うん。
ナナ  ヤッチンの子やったら、どうすんの?
康夫  ‥‥‥。
ナナ  アハハハ。ウソ、ウソ。
康夫  ‥‥‥。
ナナ  ‥‥でもなかったりして。
康夫  ‥‥‥。
ナナ  アハハハ。

  ナナ、笑いながら、ベランダに近づく。
  スマホで猫の写真を撮る。

ナナ  ねぇねぇおちびさん。ハパは、どこ行っちゃったの?
康夫  ‥‥‥。
ナナ  あなたのパパはどこにいるんでちゅか?
康夫  ‥‥‥。
ナナ  パパはいったいだれなんでしょうね?
康夫  ‥‥‥。もうええって。
ナナ  え?
康夫  もう、ええから。
ナナ  ふーん。

  しばしの間。
  ナナ、戻って来る。

ナナ  ♪にーげたー女房にゃ未練はないがー。
康夫  え? 何でそんな歌知ってるの?
ナナ  テレビでやってた。
康夫  へー、そうなん。そんな歌、もう何十年も聞いたことないなあ。
ナナ  ‥‥逃げた女房に未練はないの?
康夫  え? オレ?
ナナ  うん。
康夫  ああ。それはないな。
ナナ  そうなんや。
康夫  もう昔々の話やからなあ。
ナナ  そうなんや。
康夫  うん。
ナナ  ふーん。

  しばしの間。

ナナ  私はねぇ。
康夫  うん?
ナナ  私は、ほんのちょっとあるかな?
康夫  え?
ナナ  いや、もうほとんどないんやけどね。
康夫  ‥‥‥。
ナナ  もう昔々の話やからね。
康夫  ‥‥‥。
ナナ  ‥‥‥。
康夫  ‥‥そうなんや。
ナナ  いや、九十八パーセントぐらいは忘れてるんよ。いや、九十九パーセントかな。
康夫  ‥‥‥。
ナナ  いや、だから気にせんといて。
康夫  ‥‥‥。
ナナ  あれ。何かまずいことゆーてもーたなあ。
康夫  ‥‥‥。
ナナ  ごめん。ヤッチン、ごめん。今のなかったことにして。忘れて。
康夫  ‥‥あのな。
ナナ  え?
康夫  今晩、寿司食いに行こか?
ナナ  え?
康夫  回らへん寿司。
ナナ  え? そんなん食べて大丈夫なん?
康夫  何が?
ナナ  いや、だから‥‥お金とか?
康夫  ‥‥そんなん、子供が心配せんかてええから。
ナナ  あ‥‥そうですか。‥‥それじゃ、ごちになります。
康夫  ああ。
ナナ  ごちそうさまです。
康夫  ‥‥ああ。

  音楽。

  照明、変わる。

ナナ  どこかで遠い音がする。どこかで懐かしい歌が聞こえる。どこかで誰かが呼ぶ声がする。どこかで何かが待っている。そんな気がする。そんな気がする。
記憶? 思い出? どこかで聞いた声? 誰かが歌ってた歌? 音楽?色? 光? 匂い?
今歩いていたはずの道がすっと見えなくなって、どこかに連れ去られてしまう。待って。待って。今行くから。私はここにいるから。
私はここにいるよ。私はここにいるよ。
ここはどこ? こんな場所知らない。ううん、やっぱり知ってるよ。知らないけれど知ってるよ。
そんな気がする。そんな気がする。
どこか遠くへ連れてって。誰も知らない所へ連れてって。ちょっと恐い気もするけど。だけど、そんな冒険もできないと大人にはなれないよ。って、誰かが言ってた。
別に大人になんかなれなくてもいいんだけど、全然なりたくなんかないんだけど、でも、誰だって恐いもの見たさってあるよね。
ひとりぼっちの冒険旅行。アドベンチャーワールド。センチメンタルジャーニー。あれ?ちょっと違うか?
知らないはずの遠い遠い所までやって来て、森の中のお菓子の家のドアを開けたら、そこにはよくよく知ってる私がいたりして。ほんと、ありきたりな展開。
こんにちは。おや、どこかでお会いしませんでしたっけ? いいえ、あなたなんか知りません。知ってたまりますか。今、私は旅の途中なの。そんなわざとらしい顔で驚かないで。ちっとも驚いてなんかいないんでしょ? 知ってるんだから。おやおや、それじゃあ、すっかりお見通しってことですかい? ええ、当然ですわ。だって、あなたは私なんですから。
私は私。私はあなた。あなたは誰?ここはどこ?
遠い遠い知らないはずの記憶をたどって、私を呼ぶ声がする。誰かが呼んでる声がする。
そんな気がする。そんな気がする。
懐かしい歌。光。匂い。やさしく包むアンニュイの風。
もう帰れなくてもいいのかもしれない。いや、やっぱり帰りたい。帰る? どこへ? 明日? 昨日?
やあ、やっと会えたね。ああ、あなたは知らないけど知ってる人だね。うん、たぶんそう。そうじゃないかもしれないけど。そんなのどうだっていいんだから。
たぶん、さびしいんだけど、さびしくなんかない。でも、さびしいふりはさせてよ。いいでしょ? わかるでしょ? そこんところよろしくね。

康夫  ♪歌を忘れたカナリアは後ろの山に棄てましょか
いえいえ それはかわいそう
歌を忘れたカナリアは背戸の小薮に埋めましょか
いえいえ それはなりませぬ

ナナ  ロマンチストな男がいて、リアリストの女がいて。それなのに女が夢見るロマンチストだなんて、未だに思ってるバカな男がいて、愚かな女がいて。愚かなふりの女もいたりして。坊やいったい何を教わってきたの?私だって、私だって、疲れるわ。
ロマンチストな男は、ロマンチックが大好きだから、すぐに戦争を始めちゃったりする。オレは海賊王になるとか、いいトシして何を考えてるのかしら? はいはい。戦争は男のロマンだもんね。男のロマンって言ったら何でも許されるって勘違いしてない?
ロマンじゃお腹は膨らみません。マロンだったら膨らむけどね。でも、毎日毎日食事がマロンだったら、ちょっとイヤかも?
ロマンで子供は育ちませんよ。ほらほら、泣いてる子供にロマンをあげてるそこのお父さん。それはまだ十年早いですよ。いや、二十年かな?
女は男みたいにメンツやプライドで生きてるわけじゃありません。だからメンツやプライドなんかでは死にませんから。生きててナンボですからね。ああそうですよ。ずぶとくしぶとく生きてやります。かっこ悪くたって命あっての物種なんですから。
女子供はすぐに泣くからって、ディスってるそこのあなた。女子供は確かにすぐに泣くかもしれないけど、ずっと泣き続けてるわけじゃありませんよ。今泣いたカラスはもう笑うんです。涙はリセットのスイッチだと知ってます? 女子供は強いんだから。女に振られていつまでも泣きべそかいてるのはあなたでしょ? あいにく女子供は男ほど女々しくありませんから。
女は泣けばいいって思ってるって、訳知り顔で言ってるそこの人。ああ、そうですよ。泣けばいいって思ってますよ。それが明日への活力になるのなら、何が悪いんですか? 涙は女の武器ですから。そうやってずっと女は戦ってきたんですから。お気に召さずにすみませんね。かわいくなくて悪うございましたね。

康夫  ♪私は今日まで生きてみました。時には誰かの力を借りて。時には誰かにしがみついて。私は今日まで生きてみました。そして今私は思っています。明日からもこうして生きて行くだろうと。

  照明、変わる。

ナナ  ふーん。それで、どうやって生きて行くわけ?
康夫  さあな。
ナナ  さあな、とかまあな、とか、そんなんばっかしやな。
康夫  ばっかしやな。
ナナ  認めてどうすんの? もっとしゃきっとやろうとか思わへんわけ? シャキッ、ビシッ、ズバッとか。
康夫  思わへんな。‥‥思ったことないわ。ずーっと、こうやって来たし。
ナナ  ほんま困ったおっさんやな。ええトシこいて、そんなんでええと思ってるわけ?
康夫  トシにええトシも悪いトシもないで。
ナナ  ああ言えば、こう言う。ほんま、口が減らんおっさんやな。
康夫  いやいや、それはほんまやし。
ナナ  何がほんま?
康夫  あんたから見たら、そらずいぶんええトシに見えるんやろうけどな。
ナナ  ああ、見える。一応見かけだけはな。
康夫  だけは余分。
ナナ  だってほんまに見かけだけやもん。中身は全然しっかりしてへんし。ゆるゆるやし。
康夫  うっさいな。
ナナ  だいたい、こんな若いのになめられきって悔しいとか思わへんの?
康夫  思わんな。
ナナ  腹立たへんの?
康夫  腹も立たんな。
ナナ  ヤッチン、男やったら、もちっとプライドとか持たんとあかんよ。私が言うのも何やけど。
康夫  何か、そういうの、めんどくさいんや。昔から。
ナナ  へー。ほんまに変なおっさんやな。
康夫  あのな。前々から思ってんねけどな。
ナナ  何?
康夫  トシとったら、しっかりしてくるもんなんかな?
ナナ  えー。そら、そうちゃうん?
康夫  トシとったら、トシとっただけ、自動的にしっかりしてくんの?
ナナ  そんなん、トシとってへんし、わからんけど。
康夫  何か、違うんちゃうかって思うねんけど。
ナナ  え? 何が違うん?
康夫  あのなあ。そやなあ‥‥ほれ、小学生の時とか、高校生のお兄ちゃんとか、お姉ちゃんとか、ごっつ大人に見えへんかった?
ナナ  ああ、見えたな。
康夫  そやろ? それが、自分が高校生になって、どう思た?
ナナ  え? まあ、全然大人ちゃうとか、けっこうガキやとか。
康夫  そうそう。それやねんな。
ナナ  え? ‥‥どういうこと?
康夫  ナナちゃんももうすぐ成人式迎えるやんか?
ナナ  まだ、もちっとあるけどな。
康夫  まあ、それでもじきに迎えるんやわ。そうしたら、今の変な感じ、ものごっつ感じるで。
ナナ  変な感じって何?
康夫  そやから、さっきの、全然大人ちゃうとか、全然ガキやとか。
ナナ  そんなもんかな?
康夫  そんなもんやて。
ナナ  それで、それがどうかしたん?
康夫  トシとるって、ずーっとそういうアンバランスみたいなんが付いて回るんやわ。
ナナ  アンバランス?
康夫  ハタチの時は、こんなん全然ハタチちゃうなあって思ってたし、三十の時も、全然三十ちゃうなあって思ってて、四十でもそやって、五十でもそやって、現在に至る。
ナナ  何なん、それ?
康夫  悲しいかな、外見だけはしっかりオッサンになって行くんやけどな。シワも増えれば、髪も白くなって。ほんま悲しい限りです。
ナナ  そんなもん?
康夫  はい、そんなもんです。
ナナ  へー。
康夫  そやから、何ちゅうの? ついこないだまで二十代やったとはさすがに思わんけど、三十代ぐらいの感じのまま、あっという間に時間に取り残されてるみたいな、そんな感じ。
ナナ  へー。そうなんや。
康夫  こんなん反則やんって、マジで思う。
ナナ  こんなんって?
康夫  五十代とか、うそでしょみたいな。
ナナ  へー。
康夫  あんたもトシとったらわかるわ。オレもトシとるまで知らんかったもん。
ナナ  あんまり知りたくないなあ。
康夫  いやいや、それは逃れられない運命ですから。あなたもどんどんトシをとる。あっという間にババアになる。
ナナ  うわ。やめて。縁起でもない。
康夫  ハハハハ。
ナナ  けど、でもな。世の中、しっかりしてるおっさんとかたくさんいるやん。ヤッチンみたいなんとちごて、貫禄ある人かてぎょうさんいるよ。
康夫  ああ、そやなあ。でも、あれって、ほんまなんかなあ?
ナナ  え? どういうこと?
康夫  まあ、人それぞれなんは認めるけど、案外と演技的なところはあるんとちゃうかなあ。
ナナ  演技?
康夫  ほら、よく言うやん。肩書きや立場が人を作るって。
ナナ  ああ、何か聞いたことあるような気もする。
康夫  だから、例えば、会社の課長さんになったら、課長らしく振る舞う型みたいなのがあるんちゃう? 部長は部長らしく、社長は社長らしく。
ナナ  型ねぇ。
康夫  父親とか母親とかもおんなじちゃうかなあ。父親になったら父親らしく振る舞って、母親になったら母親らしく振る舞って。
ナナ  そんなんあるんかなあ?
康夫  まあ、ほんまの所はようわからんけどね。だから、おっさんになったら、おっさんらしく振る舞うってことか。
ナナ  全然振る舞ってへんやん。
康夫  まあ、それは自覚が足りひんのか、往生際が悪いんか。
ナナ  案外わかってるやん。
康夫  な、そやろ。ほめて。
ナナ  あかんあかん。甘やかすとクセになる。特にこういう手合いは。
康夫  こういう手合いって何やねん。
ナナ  こういう手合いは、こういう手合いや。
康夫  こいつ!
ナナ  アハハハハ。
康夫  ハハハハ。
♪稽古不足を幕は待たない。恋はいつでも初舞台。
ナナ  それ、何の歌?
康夫  「夢芝居」って歌。知ってる?
ナナ  知らん。
康夫  恋はぶっつけ本番のお芝居みたいなもんやって歌なんやけど、ぶっつけ本番なんは、恋だけとちゃうんやろなあ。
ナナ  え?
康夫  人生は全部ぶっつけ本番のお芝居なんちゃうかなあ。リハーサルもないし、やり直しも出来ひんし。
ナナ  ああ。なるほど。なかなかうまいこと言うね。
康夫  そやろ。ほめて。
ナナ  イヤ。
康夫  ケチ。‥‥オレが人生がお芝居ちゃうかって思うのはね。
ナナ  うん。
康夫  ほら、ふつう六十歳で定年になるやん。会社とか。
ナナ  ああ、なるね。
康夫  定年になったとたんにあかんくなる人がけっこういるわけ。
ナナ  え?
康夫  社長とか部長とかの肩書きがなくなったとたんにフニャフニャになる人とか、ただのわがままじいさんになる人が結構多いのよ。これが。
ナナ  ああ、聞いたことある。クレーマー老人。
康夫  うん。あーゆーのもそうかもしれへんね。
ナナ  なるほどね。
康夫  だからや、肩書きの型にはまった演技だけとちごて、普段からしっかり内面を鍛えておくことが肝要なんやな。
ナナ  ‥‥‥。
康夫  そう思わん?
ナナ  どーゆーこと?
康夫  わからんかなあ?
ナナ  何が?
康夫  つまりやな、その人がしっかりしてるとかしてへんとかは、見せかけの貫禄で判断するんじゃなくて、内面の充実で判断せなあかんちゅうこっちゃ。
ナナ  はあ‥‥。
康夫  まだわからんの?
ナナ  だから、何が?
康夫  もう! ええわ!
ナナ  え、何? 何怒ってんの?
康夫  選んだ相手がまちごてたわ。
ナナ  だから、何よ?
康夫  あーあ。物言えば唇寒し秋の風。
ナナ  今は秋とちゃうよ。
康夫  だから、もうええって!
ナナ  何勝手に怒ってんの? 変なおっさん!

  音楽。

  照明、変わる。

ナナ  あ、もしもし‥‥今、ちょっといいかなあ? ‥‥え? いや、そういう電話じゃないから‥‥。ほんと、ほんと。‥‥え? 私? 私、高橋和美、二十三歳。‥‥ほんと、ほんとよ。そういう仕事じゃないから。信じて。‥‥何? 何って、特に用事はないんだけど‥‥私ね、さみしいの。‥‥ほんとよ。‥‥私、一人ぼっちなの。で、さみしいから、誰かとお話したかったの。ただそれだけ。‥‥うん。‥‥信じてくれるの? ありがとう。‥‥あのね、ちょっとお話してもいいかな? 聞いてくれる? ‥‥そう、ありがとう。
私はね、今、ふかーい水の底にいます。まわりにお魚が泳いでいます。小さなカニもいます。私の身体には青い藻がまとわりついています。‥‥いや、怪談じゃないのよ。ただの作り話だから。‥‥そう‥‥。それでね、まわりからクプクプ泡が浮かんでいます。ゆらゆらとゆらめく水面から時々月の光がこぼれてきます。‥‥私は、むかしむかーしのお姫様です。足をなくして泡になった人魚姫です。‥‥泡になって、水になって、それでもずーっと待っているのです。誰って?もちろんそれは王子様です。そしてね、それがもしかしたら、あなたなんです。‥‥どうか目をつぶって聞いてね。‥‥だんだん風景が見えてきたでしょう? だんだんその気になってきたでしょう? ‥‥それでね、私はあなたを待っているの。だから、あちこちに電話したのよ。きっといつかあなたに出会えるだろうって。もう百万回は電話したわ。‥‥そう、だから、これは百万一回目の電話なの。‥‥私、ほんとは、もうあきらめかけていたんだけど、でも、もう一回だけ電話しようと思って‥‥。信じられない? それは当然よね。でも、これは事実なの。‥‥あなた奇跡って信じる? 運命って信じる? ‥‥これはねぇ、その奇跡のお話なの。運命のお話なのよ。‥‥だから、あなたは、もうその運命から逃げられないの。‥‥わかる? ‥‥だって、これは奇跡のお話なんですもの。‥‥だからね、あなたもここに来てちょうだい。‥‥水の底はつめたいの。でも、それ以上にさみしいの。‥‥だから、あなたとわたしで抱きしめあって、暖め合いましょう。‥‥そうしたら、きっと二人は幸せになれるわ。
‥‥そう。あなたは私を知らないかもしれない。でも、私は、あなたを知っているのよ。そう。ずっとずっと前から、あなたのことを見つめていたんだから。遠い深い水の底から‥‥。じゃ、待ってるからね。

康夫  ♪いのち短し 恋せよ少女 朱き唇褪せぬ間に
熱き血潮の 冷えぬ間に 明日の月日の ないものを

ナナ  おかけになった電話番号は現在使われておりません。番号をお確かめになってもう一度おかけ直し下さい。おかけになった電話番号は現在使われておりません。番号をお確かめになってもう一度おかけ直し下さい。おかけになった電話番号は。

康夫  ♪いのち短し 恋せよ少女 黒髪の色 褪せぬ間に
心のほのお 消えぬ間に 今日はふたたび 来ぬものを

  照明、戻る。

康夫  ♪月の沙漠をはるばると 旅のラクダが行きました
金と銀とのくら置いて 二つならんで行きました
ナナ  ‥‥何歌ってるの?
康夫  え、知らんの? 「月の沙漠」。
ナナ  それくらい知ってるよ。
康夫  あー、びっくりした。
ナナ  え?
康夫  いや、もしかしてイマドキの若いもんは「月の沙漠」も知らんのかって思ったわ。
ナナ  だから、知ってるって。
康夫  さよか。
ナナ  それで、何で「月の沙漠」なん?
康夫  いや、別に。特に理由はないけど。
ナナ  あ、そーなん。
康夫  気分かな? 気分。
ナナ  気分って、どんな気分?
康夫  ちょびっとメランコリックな気分。
ナナ  メランコリックって?
康夫  何となくもの悲しいとか、そーゆー感じかな?
ナナ  何か悲しいこととかあったん?
康夫  別にないけど。
ナナ  ないんや。
康夫  うん。
ナナ  ないけど、もの悲しいの?
康夫  いやな、子供の頃、この歌聞くと、無性に悲しかったなあって。
ナナ  ヤッチンの子供の頃?
康夫  そーそー。昔々のお話。
ナナ  ふーん。
康夫  「月の沙漠」も悲しいけど、何か、童謡とか、もの悲しい曲が多いことない?
ナナ  え? そうかな?
康夫  最近はそうでもないんかな?
ナナ  うーん。どうかな?
康夫  ほら、わらべ歌とか。
ナナ  あー、あー、そやね。
康夫  「かごめかごめ」とか。
ナナ  ああ。
康夫  ♪かーごめ かごめ かごの中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に 鶴と亀が滑った
康夫・ナナ うしろの正面だーれ
ナナ  アハハハ。‥‥もの悲しいって言うより、何か暗いね。
康夫  そやね。てか、ちょっと恐い。
ナナ  ああ、それは言えてる。
康夫  でしょ?
ナナ  うん。
康夫  「赤い靴」とかも。
ナナ  ああ、確かに。それはあるあるやね。
康夫  ♪赤い靴はいてた女の子
ナナ  ひいじいさんに連れられて行っちゃった
康夫  ハハハ。‥‥「いいじいさんに連れられて」とかのバージョンもあったよね?
ナナ  うん。あった。あった。
康夫  異人さんなんて、子供にはわからんもんなあ。
ナナ  子供とちごてもわからんよ。異人さんとか言わへんし。
康夫  そら、そうかもしれんなあ。
ナナ  うん、そう。
康夫  「今では青い目になっちゃって」とか、この歌もちょっと恐い。
ナナ  ああ、そうかもね。
康夫  何か、外国に拉致されちゃったみたいで。
ナナ  ああ、そう言えば、そやね。
康夫  拉致って言うたら、「月の沙漠」もそういう風に思てた。
ナナ  え? どういうこと?
康夫  ほら、王子様とお姫様が出て来るやん? その二人がラクダに乗せられて、夜の砂漠の中を、遠い遠い所に売られて行くねん。
ナナ  え? そんな歌なん?
康夫  いや、オレが勝手にそう思ててん。
ナナ  なーんや。
康夫  そう言えば、「春よ来い」とかも、もの悲しかったなあ。
ナナ  え? そうかな?
康夫  ♪春よ来い 早く来い 歩き始めたみいちゃんが 赤い鼻緒の じょじょはいて おんもへ出たいと 待っている
‥‥このみいちゃんて、絶対病気の子で、春が来る前に死んでしもた子やねん。‥‥そう思たら、めっちゃ切ないやろ?
ナナ  それもヤッチンの妄想?
康夫  ま、そうやねんけど。そんな感じせーへん?
ナナ  そーかなー?
康夫  ほら、♪カラスなぜ鳴くのとか、♪しゃぼん玉飛んだとかも、死んだ子供の歌なんやで。
ナナ  え? そうなん?
康夫  うん。
ナナ  ヤッチンの妄想とちごて?
康夫  うん。妄想とちごて。
♪しゃぼん玉消えた 飛ばずに消えた 生まれてすぐに こわれて消えた
ナナ  ‥‥ああ、そー言えばそやねぇ。
康夫  ♪風 風 吹くな シャボン玉飛ばそ
ナナ  ‥‥‥。ほんま。何か悲しいわ。
康夫  うん。悲しいな。
ナナ  ‥‥‥。
康夫  昔はな、今とちごて、子供がよう死んだんやて。医療も遅れてたし、衛生環境も悪かったし。
ナナ  ふーん。
康夫  そやから、たくさん子供を生んだんやわ。何とか生き残るように。
ナナ  へー。そーなんや。
康夫  七五三もそういう風習らしいよ。
ナナ  え? どういうこと?
康夫  そやから、三歳までに死ぬ子が多かったんよ。そやから、三歳まで生きた。五歳まで生きた。七歳まで生きたって、お祝いをしたんやわ。
ナナ  へえ。昔は大変やったんやねぇ。
康夫  そやで。‥‥そやから、命を粗末にしたらあかん。生んでくれた親に感謝して、長生きせんと。
ナナ  あれ? 何かうまいことまとめようとしてへん?
康夫  あれ? ばれた?
ナナ  アハハハハ。
康夫  ハハハハ。
でも、子供の頃の悲しい歌ゆーたら、何と言ってもパルナスの歌やったな。
ナナ  え? 何それ?
康夫  パルナスの歌、知らん?
ナナ  それは知らん。たぶん習てへんわ。
康夫  パルナスの歌は学校で習う歌ちゃうねん。CMの歌やねん。
ナナ  何のCM?
康夫  だからパルナス。ピロシキの会社。
ナナ  ピロシキの会社? そんなんあるの?
康夫  それがあったんや。
ナナ  ピロシキだけで商売できんの?
康夫  そんなん知らんがな。できたんちゃう?
ナナ  へー。
康夫  何か、日曜日の朝の番組でやっててな。そやから、オレらの少年時代の日曜の思い出は完全にブルーな感じ。
ナナ  ブルーな感じって?
康夫  その悲しみはサザエさんの比やなかったな。
ナナ  えー、そんなすごいの?
康夫  そら、すごい。こんな感じや。
♪ぐっとかみしめてごらん ママの暖かい心が お口の中にしみとおるよ パルナス
甘いお菓子のお国のたより おとぎの国のロシアの 夢のおそりが運んでくれた パルナス パルナス モスクワの味 パルナス パルナス パルナス
な?
ナナ  確かにグッと来るなあ。これは、日曜の朝はあかんな。
康夫  これが毎週やで。
ナナ  毎週か‥‥。つらいな。
康夫  ああ、つらかった。
ナナ  昔の人は苦労してたんやなあ。
康夫  ちょっと大きくなってからな、当時は米ソ冷戦の時代やったから、これはソ連の陰謀やと思うようになったわ。
ナナ  ソ連の陰謀? えらい大きく出たな。
康夫  この破壊力は、心理戦の核兵器と言ってもええと思う。
ナナ  心理戦の核兵器か‥‥。何か納得してしまいそうなのが恐いわ。
康夫  な、そやろ?
ナナ  ああ‥‥うん。

  音楽。

  照明、変わる。

ナナ  ひとりぼっちが悲しくて、今日もお空を眺めています。
ひとりぼっちが切なくて、夜のしじまに耳をすませます。
ひとりぼっちで旅に出て、行く先知れずの迷い人。
ひとりぼっちで夢を見て、夢の続きを語れない。
それでも、「人は一人では生きて行けないから」とか、訳知り顔に言われると、それじゃ一人で生きてやるよとか、天邪鬼だからついつい思ってしまう。
そのくせ、「生まれる時も一人だし、死んでゆくのも一人だよ」とか、そんな風に言われると、それじゃ一度死んでごらんよって、やっぱり憎まれ口を叩いたりして。
もっと素直になれたらいいのに。もっと単純に生きればいいのに。どうしてこんなに人生をこじらせてしまうのか? もっと楽な生き方だっていっぱいあるのにね。
とか思ったりして、「おやおや人生だなんて、大仰な話をしてやがる。」「何だか悲劇の主人公を気取ってやがる。」とか、そういう自分の恥ずかしい姿に一度気づいてしまったりすると、それはそれで最低な気分になって、もう一週間は立ち直れない。恥ずかしくて穴があったら入りたい。もう舌をかんで死んじゃいたい。‥‥でも死なない。でも死ねない。死ぬ気なんか初めからあるわけない。ただの自意識過剰の甘ったれなんです。ごめんなさい。生まれてすみません。
たぶん私は、私が好きなんです。ものすごく私が好きなんです。自分しか好きになれない。自分、大好き。自分、最高。もう食べちゃいたいくらい。地球は私を中心に回ってるし、世界は私のためにだけ存在する。私が目を閉じたら、もう世界はなくなっちゃう。我思う、故に世界あり。天上天下唯我独尊。ああ、また言っちゃった。すみません。ほんとにすみません。全然悪いとか思ってないけど、ほんとにごめんなさいね。とか言って舌を出す。テヘペロです。テヘペロテロです。
私ってほんとかわいくないんだよなあ。私は私がこんなにかわいいのに。どうしてわかってくれないかなあ? でも、もしも、「そういう生きるのに不器用なところがかわいいんだよね」とか言われようもんなら、悪口雑言、罵詈雑言の限りを尽くし、これ以上のない悪態をつくに決まってるんです。ほんと傍若無人の取り扱い注意。混ぜるな危険です。

白鳥はかなしからずや 空の青 海のあおにも染まずただよう

  音楽。

  照明、戻る。

康夫  なあ、知らんか?
ナナ  え?
康夫  さっきトイレに行く前に、ここに置いてたんやわ。
ナナ  記憶違いとちゃう? そういうの、ようあるやんか。
康夫  いやいや、記憶違いとはちゃう。確かに置いた。置いた手の感触かて、ほらちゃんと残ってるし。
ナナ  そんなこと言われても‥‥。
康夫  あれぇ? ほんま、おかしいな。どこ行ったんやろ? ほんまに見てへん?
ナナ  見てへんて。
康夫  そんなわかりにくいことないと思うけどなあ。あんなごっついもん、急に消えてなくなったりせぇへんやろ?
ナナ  向こうの部屋とちゃう?
康夫  え?
ナナ  そやから、向こうの部屋見た?
康夫  えー? それはないと思うけどなあ?
ナナ  まあ、ダメ元で、とりあえず一遍見て来たら?
康夫  いやいやいや。それはないと思うけどなあ‥‥。
♪探し物は何ですか? 見つけにくい物ですか?

  康夫、去る。

ナナ  昔、昔、あるところに私が住んでいました。
おじいさんは山へ芝刈りに出かけたまま、行方知れずになってしまいました。おばあさんは川で洗濯中に拉致されてしまい、今はどうなっているのかわかりません。
お父さんは、仕事もせずに、毎日毎日昼頃に起きて来てぶらぶらしています。お母さんは、そんな夫に愛想を尽かして、十二歳下の若いスズメと逃げて行きました。
私は私で、そんな境遇を嘆くのでもなく、泣きもせず、怒るわけでもなく、雨にも負けず、風にも負けず、みんなにでくのぼうと呼ばれ、ほめられもせず、苦にもされず、そういう者に私はなりたい。

  康夫、戻って来る。

康夫  そら、確かにオレはええかげんな男やけど。それは認めるよ。確かに認めるよ、それは。けどな、今度の今度はそんなことないよ。オレはちゃんと心を入れ替えたから。オレかてやる時はやるから。オレはもう十年前のオレとはちゃうから。え? ああ、十二年前やったかいな? 十年も十二年も、まあ、似たようなもんやん。
ナナ  みんないろいろあるんです。みんなみんないろいろあるんです。ぼくらはみんな生きている。叩けばほこりの出る体。だから、みんないろいろあるんです。
康夫  あいつには、そら、悪いことしたって思てるよ。そやけど、あいつもあいつとちゃうん? 結局カネやろ? カネ。カネの切れ目が縁の切れ目って、それだけのことちゃうん?
いや、だから、ちゃんと反省はしてるって。そういう風に見えへんかったとしたら、それはしゃあないわ。そやから、ほれ、いかにもごめんなさい、私が悪うございました、みたいなん、ほんま、それだけは堪忍して。
ナナ  そんな私でも、時々はさみしくなったりします。そんな時は、ベランダの捨て猫と記念写真を撮っておしゃべりをします。辛い時は下を見て生きようと思うんですが、ところがどっこい、捨て猫はたくましくて幸せそうで、私の方が完全に負けていて、とっても悔しいです。
頭に来るので、子供を生むことにしました。捨て猫がはらんだら、私もはらんでやります。捨て猫が生んだら、私も生んでやるんです。
でも、捨て猫は一度に三匹も四匹も生むのですが、私は三人も四人も生めません。どうしたらいいんでしょうか?
そういう時には、仕方がないので近所の野良犬に相談してみます。でもしょせんは野良犬です。困ってしまってワンワンワワン。ワンワンワワン。
康夫  あれからな、ナナも、すっかりグレてしもてなあ。最近は家にも寄りつかんようになってしもて。いや、お前のせいとは言わんよ。それは口が裂けても言えん。でもな、あいつも男作って、出て行きよったんや。そやから、オレはひとりぼっち。もう、天涯孤独やねん。わかるか? このさみしさ、切なさ。いや、お前のせいとは言わんよ。それは口が裂けても言えん。でもなあ、やっぱり、親子は親子やなあ。ハハ。いったい誰に似たんやか。

  ストップモーション。照明、変わる。

ナナ  時には母のない子のように、黙って海を見つめていたい。時には母のない子のように、一人で旅に出てみたい。
だけど心はすぐ変わる。母のない子になったなら、誰にも愛を話せない。

  猫の鳴く声。

  音楽。(「ひらひら」中山ラビ)

♪ヒンヤリと肌に走る ひとりねのひらひら
ひかげのような乾きがたまらない
小さな夕立を下さいな 今すぐ

しっかりと肌はおぼえ ひとりねのひらひら
シクラメンは今がさかり
ヒコーキ雲を呼んで下さいな 今すぐ

  ゆっくり溶暗。

                              おわり

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