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誰かの存在があるからこそ輝く命もある

長い間彩りを失くしていた感情が、数か月前から戻ってきたように感じています。とてもきらきらとしていて、おそらくは「ときめき」に近いようなものです。いろんなことで感動するようになりました。それはわくわくと胸が躍るような、終わってからもじんわりと余韻が続くような、そんな感覚です。

私は少し前まで、どうしてかいろんなものから心の距離を取っていました。新しく何かを知ろうとする気もなく、Youtubeでは同じ曲をシャッフルでずっと流していましたし、知らないことへの好奇心のようなものを失っていました。

感情が全く動かないというまでの状態ではありませんし、普段の生活では普通に笑ったり悲しんだりもしています。けれども、ひとりの時間になるとなんとなくぼうっとしているような――そんな状態でした。


それが少しずつ色づくことになったのは、再びドラマやアニメを見るようになったことが理由のひとつかもしれません。原作を知っていたので、前から気になっていた「大奥」などの作品を見るようになりました。それは最初はただ知っている記憶をなぞるような、答え合わせのようなことでした。けれども飽きてやめる気にもならない、次へ次へと続けていきたくなる不思議な時間でもあったのです。

私は元々音楽が好きなので、音楽を聴いているときはある程度楽しい気持ちになります。けれども、その頃は映像作品でわくわくすることはあまりなくなっていました。映画も何年もずっと見ていませんし、テレビ自体からかなり遠いところに来てしまっていました。それが、急にエンタメの世界へと呼び戻された形です。

少し経つと、面白さが鮮明になってきます。まるでぼんやりとしていた視界へと、だんだんと明るい光が差し込んできたような気持ちになりました。音楽という耳からだけの情報と、実際に動いている映像は全く違うと感じました。アニメにしても、それは漫画とは違っていました。

役者さんやキャラクターから、たくさんの情報を受け取りました。その背景に思いを馳せたり、訴えてくる感情を感じたり、ときにはそれに共感したりと、そこには生身のひとりの人間がいるということを感じさせられました。


ここでようやく気付きました。私は最近体力が落ちたこともあって、今までよりも他人に会う時間が減ってしまっていたからなのではないかと。コロナ禍の影響で出かけ辛くなってから、フレイル(虚弱体質)とも呼ばれる状態にまんまと陥りかけていたわけです。

人とほとんど会わないということは、話す機会も同じように少ないということです。家族とはいえ、同じ人とばかり話していては好奇心もなくなってしまうのは当たり前なのでしょう。

私は思い切って三年以上会っていない友達に連絡をすることにしました。年賀状でやり取りをするだけになってしまっていた友達に、どうしても会っておきたい理由があったからです。


違った理由で既に会ってきたひとりは、もっと前から――3年どころか5年もの間会っていなかった友達でした。私は再会した瞬間にうっかり泣いてしまいそうになりました。友達の笑顔にはその友達が楽しく人生を過ごしてきたという証が刻んであるように見えたからです。そして何より、あんなに会っていなかったのに私に対する態度が全く変わっていなかったことでした。

私がそのことがものすごく嬉しかったです。嬉しくてたまりませんでした。いろんな話をしました。私は自分が話すよりもその友達の現在の話を聞きたくなりました。今までは全く逆でした。そのときの私に必要だったものは「友達が幸せそうに生きている」という情報を得ることだったのかもしれないです。

その友達が私のことを知っていて、優しく接してくれて、そして友達だと思ってくれている――そのことは当たり前のようで全然そうじゃなかったのだという気持ちが、家に帰ってからも私をふわっと優しく包んでくれていました。私の生きていていい世界そのものだと感じました。そこは太陽がぽかぽかと降り注いでいる場所のように、暖かかったです。


すぐに全てが変わったわけではありません。その軌道修正のようなものはゆるりと少しずつ進んでいきました。あれからずっと見続けているドラマやアニメ、そして先日の私の病状における真実などがどんどん追い風になっていきます。

まずは本気で体力をなんとかしようとし始めました。「やらなきゃ」と思っていたのに、今まで全然してこなかったことです。自分に合う運動を探し始めました。「これはきつい!」などと言いながらもとりあえず続けています。少し前にフォロワーさんから教えてもらったラジオ体操もしています。


気付けばいろんなことが変わってきていました。それはほとんどが私にとっての「人とつながっていたい」という願いからの行動です。元々私は人が好きだったからこそ、接客業のバイトをいくつかしてきました。裏でいろいろあったとしても、お客さんとのコミュニケーションが楽しかったからです。

それがドラマなどフィクションに変わっても人間というものを見たり、また実際に話したりすることで、自分の人生がここまで幸せにつながるということを知りました。

人生における大切なものへの優先順位を知ることはかなり難しいと思っています。私の場合も、自分の命に関して初めて真剣に向き合って気付かされたからです。「自分が」と生きるのではなく、「誰かと」共に生きていたい――それが私の心からの願いだと知りました。だからこそこれからは、それに基づいた生き方を選んで行くつもりです。

私の人生は、そうして輝いていくのでしょう。


ここまで読んで下さってありがとうございました。




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