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本当に欲しいのは自分への肯定かもしれない

今回は音楽の話を含む記事になっています。といっても始めの方だけでほぼいつものテイストです。けど音楽に興味がないという方にはつまらないと感じる箇所もあるかもしれません。その場合はすみません。

逆に音楽の話なら読んでみたいと思われる方。大歓迎です。普段私の記事を読んだことのない方でも、少しでも共感して頂けるようなことを書けていたら幸いです。

私は実は音楽が大好きで、米津玄師さんをはじめRADWIMPSやBUMP OF CHICKEN、[Alexandros]などが好きだったりします。今回はそういったアーティストを少々扱った記事になります。


信じられないならそれでもいい

音楽を聴いているとどうもぴたっとはまる歌詞というのがあって、それが最近の私にとってこの歌詞だったりします。ちなみに米津玄師さんの「リビングデッド・ユース」という曲です。

この記事、自分的に情熱が赴くままに好き勝手なことを書いたのですが、これだけ多くスキを頂いてとても嬉しかったです!あまり関係ない今回の記事ではありますが、この場を借りてお礼を言わせて下さい。本当にありがとうございました。


「刺さる」歌詞

さて、本題に入ってみようと思います。世の中には人の心に寄り添うものが数多く存在します。芸術や小説や音楽……特にペットというのは人にとって一番の癒しを与えるものではないでしょうか。

音楽部門で私の知っている中ではBUMP OF CHICKENの歌詞が「寄り添ってくれる」「自分を丸ごと肯定してくれる」と人気でした。

ですが、私はもしかしたら自分を肯定されたと感じるのは、そういった優しい言葉とは限らないのかもしれないと思うのです。

それは俗にいうところの「刺さる」歌詞というものです。

最近の言葉では「エモい」とも呼ばれているようですが、要するに自分の心や感情に訴えかけてきてじんと沁みいるような音楽ということですね。


先ほどの「信じられないならそれでもいい」という歌詞ですが、これは私がいま言って欲しい言葉なのかもしれないと思います。

つまり、私は何かを信じることができなくて苦しんでおり、それを許されるようなものが欲しいのではないか、と感じるのです。

また同時に、誰かに対して信じられなくてもいいからそばにいさせてほしいと思っている可能性もあります。このように考え始めるといろんなケースが浮かんできます。

とにかく、今の私にとってはこの言葉がとても必要なのですね。


言ってはいけない

ところで、RADWIMPSの場合だとかなり攻撃的な歌詞というものがあります。詳しく抜粋することは控えますが、RADWIMPS以外にもそういった歌詞を書くアーティストは多数存在しています。

攻撃的とは少し違いますが、今流行っている「うっせぇわ」という歌がありますね。子供たちの間でもよく歌われており、親からしては聞かせたくなかったりする曲でもあるようです。

そんな歌詞たちがどうして好かれるかというと、つまりその言葉というのが自分の思いを歌い上げているかのように感じるからではないか――私はそう思っています。

もちろん盛り上げて気分を上げたいだとか、逆に悲しい曲を聴いて世界観に浸りきって泣きたいといった場合もありますし、一概には言えないと思います。

さらに子供たちはいつの世も、親から禁止されていることほどしたくなってしまうものだったりもします。もしかしたらそのあたりの心理も影響しているのかもしれませんね。

けれども私は自分の気持ちを歌っているかのような歌詞が、本当の意味での自分に寄り添ってくれる歌詞ではないかと思うのです。


寄り添ってくれるというのは、つまるところ「自分のことを肯定してくれる」ということに繋がっているのではないかと感じます。

自分が感じていることを、そう思っていてもいいんだと認めることができないとき、それを外側に求めているのではないでしょうか。

私たちは案外自分の感情というものに向き合ったり、また気付くことが難しかったりします。自分自身でその言葉を自分に言ってあげられないとき、誰かに察してもらって言ってもらいたいと望むこともあります。

ですが、そんなにうまく説明できない自分の気持ちを実際に指摘してくれる人というのはほとんど見つかりません。

もしいたとしたら、その方はあなたのことをとてもよく理解してくれている方です。


攻撃的なものだとしても

次に自分の本当の気持ちに寄り添う歌詞が攻撃的な歌詞だったとしましょう。その場合、向けられているのはストレスの発散にも似たものだと私は考えます。

世の中には攻撃的な表現のある漫画、アニメ、ゲーム、映画なども数多くあります。かなり昔にはこのような創作物が犯罪に影響しているのではないかと取りざたされたこともありました。

いま公開され話題になっているエヴァンゲリオンなどもその類に含まれるものではないかと思います。

けれども、そのまま犯罪に衝動を向ける人というのは少ないのではないでしょうか。うまく処理できない感情を発散するものであったり、少なくとも現実とフィクションとを分けて考えられる人というのが圧倒的に多いです。


攻撃的な表現のある創作にも何らかのストーリー性があり、最後には感情を動かすようなラストを迎えるものがよくあります。実際には口にできないことを、歌詞や創作でなら満たせたりします。

それはある意味では自分を見つけられたということにもなるように感じるのです。

本当の自分の心を見つけ、その感情に気付かされること。それ自体が自分に寄り添ってくれるという媒体ではないでしょうか。

私の場合はそれが歌詞というものでした。それが先ほど挙げたような創作の台詞だったり行為だったりする方もいるのだと思います。


コロナ禍ということもあり、家にいる時間が増えた社会人にとっては身近になった方法でもあります。それはそれでストレスもありますし、それぞれ違った方法で自分を満たすことが必要になってきます。

いずれにせよ、それはこの現代社会において私たちに必要なものだということです。社会が成長すれば心を満たす対象も変わります。この先さらに未来になったら、全く違った方法が出現しているのかもしれませんね。




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