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大空の色をした言葉の花束 〜サン=テグジュペリ著「人間の大地」のこと

本書「人間の大地」はフランスの作家サン=テグジュペリによるエッセイ集です。

サン=テグジュペリといえば「星の王子さま(あるいは小さな王子)」で有名ですが、「星の王子さま」は実はサン=テグジュペリが44歳で息を断つ前年に発行されたものでした。それ以前からサン=テグジュペリは既に作家として知られており、本書「人間の大地」は彼が39歳のときに刊行されました。

どんな本?

本書の解説によると、この「人間の大地」は刊行後たちまち人気となり、フランスの文学賞であるアカデミー・フランセーズ小説大賞を受賞、本書の英語版も全米図書賞を受賞したそうです。

そんな本書の内容はというと、作者であるサン=テグジュペリが経験した飛行士としての体験談です。そう、よく知られているように、サン=テグジュペリは作家であると同時に本物の飛行士でもあったのですから!

本書は8つの章から成り立っています。第1章「定期路線」はサン=テグジュペリが初めて飛行士になったときの話。第2章「僚友」と第3章「飛行機」は作者が冒頭で本書を捧げた僚友の飛行士ギヨメの話。第4章「飛行機と惑星」は砂漠と砂漠で見た星空の話。第5章「オアシス」は作者がアルゼンチンで出会った妖精のような姉妹の話。第6章「砂漠にて」はサハラ砂漠の不帰順地域とそこに住む部族の話。第7章「砂漠の中心で」は作者が体験した砂漠での遭難の話。そして最終章である第8章「人間たち」は彼が考える人間と戦争についての話。

ところで、先程本書はフランスの文学賞であるアカデミー・フランセーズ小説大賞を受賞した、といいましたが、もしかしたらそこで引っかかった人もいるかもしれません。「おい、ちょっと待て。これはエッセイ集じゃないのか?」って。

そう。確かに本書はエッセイ集なのです。作者がさまざまな雑誌などに発表したエッセイをまとめたものです。実は、本書がアカデミー・フランセーズ小説大賞を受賞した背景には、審査員であった作家のかなり強い推薦があったそうです。

でも、確かに、本書を小説の賞にも強く推薦したくなる気持ちも分からないでもありません。本書には確かに、まるで冒険小説を読んでいるような興奮や感動があるのですから。

さらに、本書の読後感はまるで優れた哲学書をのようでもあり、また、優れた詩集のようでもあります。

どういうことなんだって? そう気になる人のために本書の冒頭の段落を引用してみましょう。

 大地は僕ら自身について万巻の書よりも多くを教えてくれる。なぜなら大地は僕らに抗うからだ。人間は障害に挑むときにこそ自分自身を発見するものなのだ。ただし、障害にぶつかるには道具が要る。犂や鍬が要る。農夫は土を耕しながら、自然の神秘を少しずつ暴いていく。そうやって手にする真実は、普遍的な真実だ。それと同じように、定期航空路線の道具、つまり飛行機も、古くから存在するありとあらゆる問題に人間を直面させる。

どうです? とても美しい文章だと思いませんか? それに、とても叡智に満ちた文章でもあります。

物語と哲学と詩と

そもそも物語とか哲学とか詩とかいったものは、不可分なものなのかもしれません。哲学者でも詩人でもない作家の小説や、物語でも詩でもない哲学書や、物語でも哲学でもない詩なんて、そんなものはきっと、ただの文章でしかない。

なんて言うと言い過ぎかもしれないけれど。

本書はこれまで何度も翻訳されています。新潮文庫の堀口大学訳も有名ですね。


でも、それもなんだか分かる気がするのです。きっと本書を読んだ人は皆、自分でこの本を訳したくなる。大切に覚えておこう、と思う文章にこんなにたくさん出会える本は、そんなにあるわけじゃないのですから。

サン=テグジュペリに本書を出すように勧めたのは、アンドレ・ジッドだったそうです。彼はサン=テグジュペリに「一続きの物語ではなく、一種の……そう、花束というか、穀物の束というか、時間や空間を気にせず、飛行家の感覚、心情、思索をいくつかの章に寄せ集めたようなもの」を作ってはどうか、とアドバイスしたのだとか。

そう、本書は正に、大空の色をした言葉の花束だと、僕は思うのです。

最後に

ということで、最後に本書の中から僕の好きな文章をいくつかご紹介。

あなたも付箋をたくさん用意して、お気に入りの文章を見つけてみませんか?

人は牛乳とコーヒー豆と小麦の味を通して、のどかな牧場、エキゾチックなプランテーション、刈り入れどきの麦畑と結ばれる。人はこの味を通して、自分の惑星の大地と結ばれる。なるほど、この宇宙には無数の星がある。だが、夜明けの食事の香り高い一碗に姿を変えて、僕らに歩み寄ってきてくれる星はただ一つだ。
ある一つの名づけようのない美質がある。「まじめさ」と言えばよいだろうか。だが、この言葉も不正確だ。というのも、この美質はこの上もなくほがらかな陽気さとも無縁ではないのだから。それは言ってみれば、腰を据えて木材と向かい合う大工の美質だ。木材を撫で、その重さ、大きさを測り、決して軽々しく扱わず、そこに自分の全能力を注ぎ込む大工の美質だ。
彼らはしっかり教育を受けてはいる。ただし、本当の意味での教養は授けられていない。その結果、教養についてみじめな考えを抱く者も現れて、公式を暗記することと教養とが同一視されてしまう。特別数学クラスの出来の悪い生徒でも自然や万物の法則についてデカルトやパスカルよりも詳しかったりするが、では、その生徒に、デカルトやパスカルと同じように知性を働かせることが可能だろうか。
僕らはこの闇の中で架け橋を作らなければならない。そのことが分からないのは、身勝手を承知で無関心を生きる知恵にしている者だけだ。もちろん、無関心などという知恵には、この世のすべてが「ノー」と言うだろう。僚友たち、僕の僚友たちよ、僕は君たちを証人にしよう。どうか答えてほしい。僕らが幸せだと感じたのはどんなときだったか。

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