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2021年に180万部減の新聞が最終局面を迎えるまでのリミット

勧善懲悪(かんぜんちょうあく)
→ 善行を勧め、悪事を懲らしめること。

善悪の判断はなかなか難しい。

というよりも、善悪は人によって変わるし、そこには感情という複雑な変数が入ってくる。

となると、善が悪になるし、悪が善になるということが往々にして起こるということだ。

そして、それは別にどっちでも良くて、大切なのは善を悪に変えたり、悪を善に変えられるという力を持つということだ。

影響力を持つことができれば、善も悪になるし、悪も善になる。

もっというと、時代は常に変遷し影響力の与え方が変わりつつある。

SNSが最前線にある時代に、どんどん影を潜めているメディアがある。

そう、新聞である。

新聞衰退の末路

昨年も180万部減、全然止まらぬ「新聞」衰退の末路

(出典:東洋経済オンライン)

この記事を読まなくても、新聞が読まれなくなっていることは多くの人がわかっていることだろう。

社会人としてデビューした頃を振り返ってみると、通勤時間に電車の中で新聞紙を拡げて読んでいる人をよく見かけたものだ。

満員電車の中でもキレイに折り畳んで読んでいるサラリーマンの光景を思い出すことができる人もたくさんいるはずだ。

そんな時代は流れ、2021年末に公表された日本新聞協会の最新データで、一般紙の総発行部数が3,000万部割れ寸前まで落ち込んだことが明らかになったという。

日本の新聞は高度経済成長期の1966年に3,000万部台に乗り、その後は1990年代末の5,000万部超まで拡大した。

ところが、その後は下降を続けて部数減が止まる気配が全くない。

この流れが続けば、2022年中に一般紙は3,000万部台を割り込むことが確実とされている。

つまり、高度経済成長以前の水準にまで落ち込むのも時間の問題になってきたということである。

新聞離れの実態

もう少し、新聞の発行部数についてのデータを深堀りしていこう。

日本新聞協会が2021年12月下旬に公表した同年10月時点のデータである。

スポーツ紙を除く一般の日刊紙97紙の総発行部数は、前年比5.5%(179万7,643部)減の3,065万7153部だった。

20年前の2001年には4,700万部、10年前の2011年には4,400万部を数えたものの、今や3,000万部割れが目前となっている。

新聞協会のデータを公表前に見た全国紙の経営幹部はこう述べている。

思ったほど減少率が大きくなかった。減り方は鈍化したと言える。コロナ禍で人々が正確な情報を欲し、それが新聞離れに一定の歯止めになったのではないか。

確かに、前年の2020年10月時点のデータと比べると、減少の速度はやや緩やかになっている。

スポーツ紙も含めた1年前の発行部数は3,509万1,944部。

2019年との比較では7.2%減で、その減少幅は過去最大だった。

7.2%減が5.5%減になったことが、新聞離れに一定の歯止めがかかったというのだが、果たして本当にそうなのだろうか。

そこには少々疑問が残る。

新聞発行部数の推移

2000年からの発行部数のデータがあるが、2021年までの約20年の間で、部数が増加傾向にあったのは2年しかない。

つまり、それ以外の年は大幅に発行部数が減少しているのだが、とりわけ2017年以降の減少は厳しい。

毎年、対前年で100万部以上の減少が続き、2017~2021年の5年間では合計916万部余りが消し飛んでいるのである。

読売新聞は日本一の発行部数700万部以上を有するとされるが、それと同じ規模の部数が5年足らずで丸々消えてしまったというインパクトだ。

1年単位で考えてみると、毎日新聞の発行部数である約200万部や産経新聞の発行部数である約120万部クラスの新聞が1つ2つなくなっているということになる。

また、2021年のデータで発行形態別の数字を見ると、より減少が留まらないことが理解できる。

朝夕刊セット部数の合計は648万4,982部(10.6%減)となった。

これに対し、朝刊単独の部数は2,591万4,024部(4.2%減)で、夕刊単独は62万8,129部(19.0%減)ということだ。

要するに、減少の中でも夕刊離れが特に著しいことが一目瞭然なのである。

かつて、新聞を読む人の多くは、同じ新聞社の朝刊も夕刊も読んでいた。

それが今や、コスト負担に耐えかねて、休刊という名の夕刊廃止に踏み切った新聞社も少なくないというのが実態だ。

最終局面を迎えるまでのリミット

そんな新聞だが、日本の新聞社はあと5~6年で最終局面を迎えると話題になっている。

新聞のないエリアが生まれ、そこがニュース砂漠になるという議論が絶えない。

ニュース砂漠とは、経営破綻によって新聞が存在しなくなるという、ニュースの空白地域だけを指す言葉ではない。

地域の議会や行政に対して恒常的に目を向ける存在がなくなることによって、社会に対する住民の関心が薄れ、政治や行政の不正や不作為などが進行する状態を意味する。

ちなみにアメリカでは、過去15年間で2,100の新聞が失われている。

その結果、2004年に新聞のあった少なくとも1,800の地域が、2020年初めに新聞がない状態になるという。

オハイオ州ヤングスタウンは、現存する唯一の日刊紙を失った全米初の都市となった。

アメリカのニュース砂漠の現状は、200の郡で新聞がゼロ。

全体の半分の1,540の郡で1つの新聞、しかも大抵が週刊しかないという状況だ。


東北の有力地方紙である河北新報が2022年の年明けに出した記事がある。

その記事によると、2004年には8,891紙が発行されていたが、4分の1の2,155紙が廃刊した。

新聞広告の売り上げは、2005年の494億ドル(約5兆円)から、2020年には88億ドル(約9,000億円)と80%減。

ところが、新聞業界の縮小にもかかわらず、投資ファンドが買収を繰り返し、上位3のグループだけで全日刊紙の3割超を傘下に収めた。

過酷なリストラなどの経費削減で利益を生み出すファンドの方針を背景に、新聞社編集局の人員は2004年には7万1,640人だったが、2020年には3万820人と半分以下に落ち込んでいる。

まとめ

日本では戦後、大都市圏で地域密着の新聞が育たなかったという歴史がある。

日本新聞協会の2021年10月のデータを全国12の地区別でみると、対前年比の減少率は大阪で8.0%減、東京で7.3%減、近畿で6.5%減の順に大きい。

新聞離れが進んでいるという話は相当深刻だということがよくわかっただろう。

もはや新聞社で売上と利益を牽引しているのは、本業ではなく不動産事業だったりするのが実態だ。

新聞を媒体として影響力を持つことは、もはや再起不能なくらい難しいところまで来ているように思う。

とはいえ、ギリギリ使えるところもあるのかもしれない。


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植田 振一郎 Twitter

株式会社stakは機能拡張・モジュール型IoTデバイス「stak(すたっく)」の企画開発・販売・運営をしている会社。 そのCEOである植田 振一郎のハッタリと嘘の狭間にある本音を届けます。