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京繍(きょうぬい)


先日、坂東玉三郎さんの特別舞踊公演を観るために京都へ行きました。その折、平安期を起源とする京繍きょうぬいと呼ばれる伝統的な刺繍を拝見する機会に恵まれました。

写真にうつる鬘帯かずらおびは能衣装のひとつで、鉢巻のように使う帯です。その豪奢な刺繍は畏怖を覚えるほどで、触れてもいいですよと言われても軽々しく触れるなんてとんでもないことだと思えました。

京繍は、表現したい陰影や揺らぎのニュアンスをつけるために、太さの違う糸を合わせて平糸ひらいとる糸づくりから始まります。工房で見せていただいた平糸は、撚りをかけていない12本の生糸が合わさったもので、そのうちの何本かを撚って細い糸をつくったり、複数の違う色を一本の糸にして撚ったりして使います。その際に使う糸は何千色もあるのだそうです。

そうすると、一見平面的に見える刺繍に立体的な陰影や微妙な奥行きが生まれます。逆に撚りをかけない平糸のままで刺繍を施すと強度は落ちますが、生糸特有の光沢を際立たせることができます。京繍はそれらを絶妙に使い分ける洗練された表現なのです。

撚り糸のバリエーションはパッと見た限りでは素人にはわかりません。しかし、電気の灯りを消してふんだんな影を連れて自然光で捉えた時に、その刺繍の真価がはっきりと浮かび上がりました。

京繍が生まれた平安期だけでなく、600年以上続く「能」が名だたる武将や大名たちの教養として存在していた時代の方々と同じ視点に立つことができたのでしょう。当たり前の話ですがその頃に蛍光灯はありません。暗がりでは蝋燭や松明たいまつのわずかな光しかなかったわけです。

最近何度も読み直している谷崎潤一郎先生の『陰翳礼讃』(青空文庫で全文読めますが、本で読む方がおすすめです)にもありますが、屏風や掛け軸、漆器など古来から伝わるものは、障子紙で薄らいだ弱々しい自然光が入る暗い日本家屋の中でこそ、その本質的な美しさ、そこに宿るものに触れることができると言われています。

色鮮やかな京繍の刺繍もまた同じでした。着物や帯に施された刺繍が人間の所作とともに変化して、日々移りゆく海や山や空などの自然の景色と同じような風合いを見せたのです。

京繍に携わる職人は、先祖たちの集合知とも言える重要文化財の修復や国宝の研究を通して多様な技術を発見し、時流を感じながら今日の表現に生かしています。脈々と受け継がれる伝統工芸の数々は、豊かな四季が巡る日本の風土だからこそ感じうる美の様式の結晶なのでしょう。欧米化による多くの恩恵とともに、この国にいるからこそ知覚できる未来永劫に渡り変わることのない恩恵が、もうすでに社会の根底に存在していることを京繍を通じて感じました。

日本の伝統文化芸能に秘められた何かは、これから訪れる新しい時代の礎になるような気がしてなりません。引き続き、熱を上げて触れていきたいと思います。

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