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『愛』『神』『希望』よりも重宝したい3つの言葉

 
 2024年3月22日に記した以下の記事にて、私は「『愛』『神』『希望』という言葉は、何れも「幻想」であり、それゆえに全ての宗教が信者を取り込む際に「切り札として利用(使用)してきた言葉である」というような内容の文章を記しました。

  『愛』『神』『希望』という3つの言葉は、地球上で最も多く使用されている言葉達ですよね。
 しかしそうであるにもかかわらず、上記記事の『パラダイス・トリロジー』の主人公3人がそうであったように、かなりの数の人々は「『愛』を得られず、『神』の存在は感じず、『希望』も無いように感じている」という状況に日々直面しているように思います。
 であるならば、個人的には『愛』『神』『希望』という言葉は、実は多くの人が考えているよりも価値の低い言葉なのではないかしら?
 と、思うわけです。
 
 「それなら、どのような言葉を価値のある言葉と思うのか?」という疑問が湧いてくるわけですけれども、自分なりに『愛』『神』『希望』の代わりとなりうる言葉を選んでみました。

『愛』→『友情』

『神』→『知性』

『希望』→『勇気』

 
 如何でしょう?
 『友情』『知性』『勇気』の方が、『愛』『神』『希望』よりも明確な印象を受けませんか?
 
個人的には『友情』『知性』『勇気』の方が、『愛』『神』『希望』よりも、価値の高いものであるように思います。
 
 例えば私は「『希望』はある」と言われても、「えっ?何処にあるの? というか、なんかボンヤリとしていて他人任せな雰囲気がするなぁ」と感じます。
 でも「『勇気』を出して」という言葉ですと、「ひとり一人が率先して積極的に行動してゆこう。問題に立ち向かおう。というような、自発的な雰囲気がする」と感じるわけです。
 
 言葉に対する感覚は人それぞれ違いますから、自分の感覚が正しいと言うつもりは毛頭ありませんけれども、少なくとも何千年も呪文のように『愛』『神』『希望』とそこかしこで延々と言ってきた割には、人間の住む環境も地球全体の状態もどんどん悪くなっていませんか? と思うわけです(動植物の絶滅のスピードも日増しに加速していますし)。
 
 人間という動物は言葉を使用することにより思考しますから、散漫な言葉を好んで使用していると、思考も散漫になるのではないでしょうか。 
 と言うわけで本記事は、自分に対する戒めも兼ねて記してみました。
 
 言葉について考えるのって、面白いですよね。



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