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今回の京都滞在の意味

子供の頃に親から聞かされた話では、ウチの家系は名字帯刀を許可されていたらしく、いわゆる名家といわれるような家だったそうで、商売的には繁盛してたらしいですが、高利貸しという商売柄、時に取り立てもしてたでしょうし、お客さんから反感を買ったこともあったでしょうね。

ちょっと古い表現ですが、その怨念のようなものが家系に影響を与えているような気がしていて、子供の頃から自分の家系にまつわる「何か」を断ち切る役目がある気がしてなりませんでした。
これは自分の感覚だしそれを確認できるものはないのですが、そんなイメージがずっとあったのです。

祖父は大酒飲みで、50代で行き倒れのような形で凍死し、父親もアルコール依存症でいろんな問題を起こしたため、大変苦労をしてきました。
その父親も昨年他界し、一昨年末には叔母も亡くなり、父方の兄弟は誰一人いなくなりました。

そして先日の記事でそのことにちょっと触れています。

簡単に言うと、祖父もお酒で亡くなっているし、父親も精神的な障害を抱え、酒が入ると人格が変わり、完全に憑依された状態で暴言や暴力に走る体質でした。何か恨みや怒りが爆発するような、とても重たいエネルギーだったことを覚えています。

僕自身も高校生の頃からパニック障害や鬱になり、精神的には本当に苦労したのですが、それもこれも家系にまつわる「何か」のような気がしていたのですが、もうそれを終了させるタイミングが来たのです。
全てを終わらせるために京都に来て、鞍馬山に行ったりお墓参りをしたのも、それが1番の理由です。

先日函館で、友人が友達の一人を紹介してくれて、事前に京都に行くことを伝えていたそうなのですが、その友達はとても感の強い方で、お会いしたときにここに行くんですよね?って見せられた写真が鞍馬山でした。
もちろん初めてお会いするのでその情報は知らないはずなのですが、意識の世界は不思議なもので、わかる人にはわかるんですね。

話を戻すと、これは自分だけの感覚なので、なんとも説明がしにくい部分もあるのですが、個人的にも大きな節目を迎えていることは間違いないし、家系にまつわる大きな仕事をやり遂げて、リセットをするために京都に行こうと思っていたので、それを終えて安堵の気持ちと感慨深さに耽っています。

それはもしかしたら自己満足なのかもしれません。
でもそれでもいいし、自分の中でけじめというか、子供の頃からあった特別な感情を整理するために来たのです。
なので一人で京都の街中をブラブラ歩きながら、子供の頃の記憶を辿り、懐かしさといろんな思いが交錯して不思議な感覚でした。

とにかく大役を終えてスッキリした気分です。
ご先祖様にもその報告ができたので、今日は関東に向けて出発します。


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