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楽しく学ぼう日本の歴史2402


みなさん、こんにちは
2月19日(月)
時刻は、ただいま16:00と
なったところでございます。

毎月、不定期ですが
ひろぽんさんをアシスタントに迎え
配信しておりますこちらの企画
早いもので、今回で11回目を迎えます
あと二回で一周年です!

これも、ひろぽんさんを始め
こちらに遊びに来てくださる
みなさんのおかげです
ありがとうございます!

前回は、「北海道の歴史」について
特集を組みました
アイヌの方々のお話から
いま、全国の映画館で
上映されている
ゴールデンカムイへと発展していきましたね

前々回は、青森県
前回は、北海道と続いてきましたので
今回は、「岩手県の歴史」について
特集したいと思います。

早速ですが、まずは、岩手県の成り立ちに
ついての問題を出したいと思います
ここで

第一問です!
明治時代に
政権が、江戸幕府から明治政府に変わり
廃藩置県が行われましたが、この岩手県に
ついては、この時に付いた名前では
ありませんでした。
では、廃藩置県が行われた当初は
岩手県は、「??県」と名付けられたでしょうか?
①盛岡県 ②奥州県 ③宮古県

岩手県の前は、「盛岡県」だったらしいです。
盛岡藩→盛岡県?
明治5年に、岩手県へと改称されました。

岩手県は、江戸時代には、
元々、盛岡藩・八戸藩・仙台藩・一関藩の
四つの藩から成り立っており
廃藩置県により
ひとつび県となりました

岩手県の名の由来
もともと、盛岡市が所属していた
「岩手郡」があったらしく
そこから由来しているとか
いないとか
「鬼を成敗した際に、二度とこの地を荒らさないと
いう鬼の確約を岩の上に手形で残させた」
そんな由来があるらしいです。

そして、ここで、第二問
この問題は、歴史とは、あまり関係ないのですが
実は、岩手県って、あることが二番なんです。
さて、それは、次のうち、なんでしょうか?
①人口 ②面積 ③世界遺産の数

答えは、②の面接です。
北海道に次いで、二番目に
広い敷地を持ちます。

ちなみに、ちょっと
時代をさかのぼりますが、
以前、弥生時代の特集をした時に
稲作の普及についても触れましたが
こちら岩手県にも、
弥生時代に
稲作が伝わってきております

今では、「ひとめぼれ」
「あきたこまち」
「いわてっこ」などの米が
販売されており
寒さに強い品種が多いらしいです

それでは、軽く問題(第三問)です
こちら岩手県には
何年前に稲作が伝わってきたと思いますか?
①約1500年前 ②約1800年前
③約2300年前

答えは③約2300年前です
胆沢というところでは
2000年前の水田も
見付かっているらしいですね

さて、みなさん、
「征夷大将軍」と言う言葉を
ご存知ですか?
「源頼朝」とか、「足利尊氏」
そして、「徳川家康」など
幕府を開いた人たちが
就いていた地位ですね。

実は、日本で初めての
「征夷大将軍」の地位に
ついた方が平安時代初期に
ある目的があり
この地に降り立っております。

名前は「坂上田村麻呂」。

征夷大将軍は、「武家の棟梁」の
イメージが強いのですが
元々の意味は、「
蝦夷征討する」
と言う意味を持ちます

そうです。
「蝦夷」ってなに?
って話になると思いますが
当時は、朝廷が日本を
支配しておりましたが、まだ
本州全土を支配していた分けではなく
東北地方は、まだ、朝廷の支配下では
ございませんでしたので
朝廷は支配下に置こうとしましたが
現地の人々の反発は強く
なかなか、支配下におくことは
出来ませんでした

その時、反発していた現地の人たちが
「蝦夷(えみし)」と
呼ばれており、
その人たちを「征討」する将軍を
「征夷大将軍」と呼んでいました

当初は「武家の棟梁」では
なかったんですね。
阿弖流為(あてるい)や、母礼(もれ)
たちを主とした「蝦夷」たちの
反発は相当なものだったらしく
田村麻呂たちも、
かなり手を焼いたらしいのですが
最後は力尽き降伏したらしいです。

急ですが、ここで問題です
第四問です
坂上田村麻呂が建てるように
指示した寺が京都にございます
それは、次のうち、どれでしょう
①薬師寺 ②清水寺 ③東寺

答えは、②です
ここに、阿弖流為と母礼の
お墓もあります

お話は変わりますが
実は、岩手県って、
奈良県、鹿児島県と並んで
国内最多となる「世界遺産」
三つ持っているんです

ひとつひとつ紹介していきますと
・橋野鉄鉱山(明治日本の産業革命)
・御所野遺跡(縄文文化)
そして、
平泉 です

今回は、コチラの
「平泉」を取り上げていこうかと
思います。
平泉と言えば「アレ」かと思いますが
実は、「アレ」だけではないんですね

などがございまして、すべて
含めて、「世界遺産」となります

その中でも、今回、取り上げたいのが
「中尊寺」です。
特に金色堂は有名ですね
お時間もあまりございませんので
あまり深くは、ご紹介することが
出来ませんが

ここで、問題です(第五問
さて、この「中尊寺」ですが
どの時代に建てられたのでしょうか?
①奈良時代 ②平安時代
③鎌倉時代

答えは、②平安時代です
奥州藤原氏の祖「藤原清衡」に
よって建てられました。
その壮大さは、当時の京都をも
凌ぐほどだと言われていたそうです

先ほどの阿弖流為のお話が、ちょうど
794年、桓武天皇が「平安京」に
遷都したぐらいの時代で
この中尊寺がその約300年ほど
あとの年代となり
平安時代のほぼ末期の時代です
奥州藤原氏も4代続きますが
最後は、源頼朝率いる
鎌倉幕府によって滅ぼされます

しかし、「中尊寺金色堂」などは
その素晴らしさから、
彼らに保護されて、現代も
遺されています。

奥州合戦、もしくは、
前九年の役、後三年の役
と呼ばれた戦いのあと
建てられました

この話は、大河ドラマにもなりましたが
そのドラマは「炎立つ(ほむらたつ)」
というドラマです

ほんとは、もっと壮大で
スケールのでかいお話なのですが
この場で、そのすべてを
紹介するまでには至りませんでした

小説家の高橋克彦先生が描く
・ほむらたつ
にて、そのあらすじが描かれています
(大河ドラマにもなりました。)
そして、先ほどの阿弖流為のお話も
火怨 北の燿星アテルイ
にて、ご紹介されております


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