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コラム「語学屋の暦」立憲民主党・二つの「離党届」は政界再編を促すか──ただの生き残り策なら疑問 元朝日新聞記者 飯竹恒一 (2023/07/25)【時事通信社 Janet 掲載】

【写真】徳永久志氏のツイッターより(左)/区割り変更後の新しい衆院東京26区で活動を始めた松原仁氏(右)=7月19日、東京都目黒区にて(撮影・飯竹恒一)

この記事は下記の時事通信社Janet(一般非公開のニュースサイト)に2023年7月25日に掲載された記事を転載するものです。

 政治家が自身の目指すところを踏まえ、政界再編もにらんで次の一手を模索するのはありだ。しかし、今手にしている議席の意味合いを無視して、ただ自分の生き残り策を図るのならば、有権者や支援者を裏切ることになりかねない。

 立憲民主党の国会運営に「強い違和感」があるとして、徳永久志衆院議員(比例代表近畿ブロック選出)が自身の60歳の誕生日に当たる6月27日に提出した離党届について、立民が受理せずに「党の結束を乱す行為」などとし、「除籍処分」するに至った経緯を見ていて、つくづくそう思った。

 岸田文雄首相による衆院解散が見送られるや、内閣不信任決議案を提出した泉健太代表率いる立民執行部。迫力を欠く印象は私も同感だが、だからといって、それが離党届を出す理由になるだろうか。

 徳永氏は2021年の衆院選で滋賀4区から立候補したが落選し、近畿ブロックで立民に振り分けられた最後の議席で比例復活していた。この時に次点で復活できなかったのが、その後参院議員に転身した辻元清美氏(63)だった。

 離党届提出を受けた滋賀県庁における記者会見で、徳永氏は立民が不信任決議案を出した6月16日の段階で「(次期衆院選に向けた)候補者の擁立数は遠く過半数には及んでいなかった」「私個人として、そうした対応に強い違和感を覚えた」などと述べた。

 しかし、野党が世論に訴えるため、通るはずのない不信任決議案や問責決議案を出すことはよくある。それが理不尽だというなら、そもそも少数派の野党が過半数を握る政府与党を国会の場でただすことさえ、無意味だという理屈になってしまう。

 滋賀県は、古巣の新聞社時代の一時期を過ごした思い出深い土地だ。元文部科学副大臣で、地元選出の旧民主党国会議員だった奥村展三氏(78)に尋ねると、「残念だ。長年一緒にやってきたが、不信任案を出したから離党したいという理由が分からない」という答えが返ってきた。

 奥村氏にしてみれば、徳永氏が県議だった頃から手をかけて育て、旧民主党の参院議員だった時期も含めて見守ってきたつもりが、この重大な決断について事前の相談もなく、離党届を出す直前にようやく連絡があったことは、裏切られた思いなのだろう。

 「野党統一で出ていたうえ、比例区で復活当選した。そこをはき違えている」と奥村氏はさらに語気を強めた。政党に割り振られる比例議席ゆえ、立民は返上するよう求めているが、除籍後も無所属のまま議員でいることは、奥村氏も納得できないのだろう。

 そもそも、徳永氏は立民の滋賀県連代表を務めていた上、区割り変更後の新しい滋賀2区での党公認が決まっていた。国会議員不在となった党県連の新代表に就任した今江政彦県議(69)は「6月10日に新2区の大会をやったばかりなのに、徳永氏は1カ月もたたないうちに離党届を出した。党員、サポーターの中には『よう分からん』という話もあるだろう」と話した。温和な今江氏だから慎重に言葉を選び、怒りや批判は示さなかった。しかし、胸中穏やかでないのは間違いないだろう。

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 徳永氏は今回の会見や除籍処分後のコメントで、「無所属の立場から新しい政治や政党のあり方を模索し、政権交代を目指す」という立場を表明していて、新滋賀2区から立候補するという。

 こうした発言の意図を、徳永氏に極めて近い人物に尋ねたところ、「前原さんと心中するつもりなのだろう」と明快に解説してくれた。徳永氏が、同じ松下政経塾出身で、今は国民民主党に身を置く前原誠司衆院議員(61)(京都2区)と近い関係であることは、良く知られている。

 前原氏は2017年の衆院選に向けた「希望の党」騒動の張本人だ。昨年の参院選京都府選挙区で、旧民主党時代も含めて長年政治行動を共にしたはずの立憲現職の福山哲郎氏を支援せず、日本維新の会公認の新人候補を全面支援した末、福山氏が当選するという一件もあった。維新を含めた野党が結集して自民党に対抗しようという考えを堂々と表明している。

 ここで一つ確認しておくべきは、滋賀の特殊な政治事情だ。現在の国民民主は、旧民社党系の流れをくむが、その重鎮だった川端達夫氏(78)は長年、滋賀1区を地盤に旧民主党などの衆院議員を務めた。このため、地元では国民民主の存在感が大きく、一昨年の衆院選では、松下政経塾出身で前原氏の秘書も務めた斎藤アレックス氏(38)が滋賀1区で敗れたものの、比例復活を果たしている。

 また、立民と国民民主との関係も良好で、先の統一地方選では県議選などで相互推薦した。よって、図式的には、徳永氏が国民民主に軸足を移すのも、それほど不自然ではないかもしれない。しかし、滋賀県内の政治情勢に詳しいある地元ジャーナリストは「立民では勝てない。国民民主でも勝てない。だとすると、維新ということになるが、維新単独だと今まで背負ってきた看板との兼ね合いもある。(維新を含む)新しい政界再編の流れに合流するということなら納得感があるということだろう」と話した。

 あくまで可能性の話だが、前原構想が実現すれば、維新から立候補するという露骨な転身を避けながら、しかし、維新の勢いを取り込むことができるという指摘だろう。実際、統一地方選でも維新は滋賀県議選で3議席を得て足場を築いており、敵に回したくないのが本音だろう。この解説が正しいとすると、今回の徳永氏の言動はよく理解できる。

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 ところで、今回の徳永氏の一件と同じコンテクストで語られる向きがあるのが、立民公認で一昨年の衆院選東京3区で当選を果たした松原仁氏(66)だ。同様に離党届を出したが、その事情は徳永氏とは違う。

区割り変更後の新しい衆院東京26区で活動を始めた松原仁氏(右)=7月19日、東京都目黒区にて(撮影・飯竹恒一)

 松原氏によれば、区割りが変わる次期衆院選で立候補する選挙区を巡り、「住居もある大田区を含む新しい東京26区を希望したが、党都連に受け入れられなかった」というのが理由だ。新26区には、党都連が別の候補を立てたい意向だという観測も一部で報道されており、他党の対立候補も含めて微妙な駆け引きが絡むのは事実だろう。

 しかし、「他に競合する党内の現職がいない時は、その現職の希望を認めるのが筋」「民主的な手続きがなされていない」などとする松原氏の主張は、政界の常識からして、一定の理解ができると思う。実際、立民は離党届を受理し、徳永氏とは違う対応をした。

 そもそも、松原氏は前回の衆院選で、野党共闘もないまま徹底したどぶ板選挙で、宿敵・自民党の石原宏高氏(59)との激戦を勝ち抜いた。私も実際にその一端を垣間見たが、きちんと評価されるべき点だろう。

 ただ、松原氏の政策は外交や安全保障の面で、自民や維新、国民民主の議員たちと重なる点が多い。今回の離党は松原氏にとってアクシデントだったかもしれないが、逆に言えば、次期衆院選を契機に起きる可能性のある政界再編の中で、行動の選択肢が広がったという見方もできるだろう。

 実際、松原氏は、そうした点を排除しない。維新をはじめとする他党に乗り換える可能性を問うたところ、「可能性というより、無所属でやっているということだ」と言葉を濁しつつも、「国民民主にしても、他の党にしても、無所属になった途端、アプローチがあるのは事実だ」とも語った。それは当然だろう。

 新自由クラブや自民党、さらには新進党や民主党、希望の党などを渡り歩いた経緯もある。「例えば、(地域政党を持つ)小池百合子・東京都知事の力と維新の力が一緒になったりしないと、本当の意味での有効な政治が実現しない。立民の一部もそこに入ってもよいと思う」とも松原氏は語った。

 状況を見極めながら、有権者に丁寧に説明を尽くして次の一手を考えるとすれば、それは政治家として許される行動の範囲だと思う。

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 話は滋賀に戻るが、ここでふと思うのは、滋賀県知事を経て国政に進出し、「新党さきがけ」代表として官房長官や蔵相を歴任した武村正義氏が昨年亡くなったことの影響だ。

植林に精を出す武村正義さん=2011年10月、中国寧夏回族自治区霊武市のモウス砂漠(撮影・飯竹恒一)

 徳永氏自身、武村氏が他界した際は自身のブログで「私の衆院選当選を祝っての会を催していただきました」と振り返り、「何とか比例で引っ掛かりました」とあいさつすると、「引っ掛かったなんて言うな」「堂々と胸を張れ」と叱られたエピソードを感慨深く書きつづっていた。

 ここで気になるのは、前原氏が集団的自衛権の行使容認論者として知られている点だ。武村氏は行使に反対で、安倍政権がそうした安全保障政策を打ち出した時は、東京の日本記者クラブで会見を開いて強く反対したほどだ。

 徳永氏が、仮に維新も巻き込んだ前原路線に突き進むとすれば、師と仰いだ武村氏のこうした思いに背くことになる。想像だが、徳永氏は従来から政治的な立ち位置に違和感を覚えながらも、滋賀では「武村チルドレン」を演じながら立民に身を置いてきたのではないか。武村氏亡き今、その縛りから解放されたというのが、私の印象だ。

 同じことは、武村氏が知事時代に県の研究員として入庁し、後に自身も知事を務めた嘉田由紀子参院議員(73)についても言えそうだ。知事だった2011年に起きた東日本大震災と原発事故を受け、武村氏が唱えた「卒原発」というキーワードを借り、原発を段階的に削減する理念を掲げた新党「日本未来の党」を立ち上げた。参院議員になってからは無所属を貫いていたが、今年6月に原発再稼働を容認する国民民主に入党した。「自分の政策を実現しやすい」と理由を述べたと伝えられたが、脱原発に取り組む支持者たちは失望しただろう。私自身、嘉田氏から直接、「卒原発」論を何度も聞かされていただけに、違和感がある。

 同じ地元ジャーナリストは「誰もが武村さんを利用し、武村さんもそれを想定しながら自分のステータスを維持してきた。武村さんの看板を利用して『野党共闘』を演出していた面もある。ただ、武村さんが亡くなったこともあり、本性をむき出しにするリアルな状況があらわになったのではないか」と話した。

 前原構想の行方は、国民民主が9月に予定している代表選が鍵を握るかもしれない。国民民主に近い小池氏は来年で都知事の任期が切れるが、自身を支える地域政党「都民ファーストの会」から離れる都議も相次いでおり、求心力の低下は否めない。そもそも、維新や国民民主は自民の補完勢力とも言われており、それぞれ微妙な路線の模索が続くだろう。

 もっとも、こうした政界の人間模様や模索ぶりが、有権者の思いから遊離していないか、気になる。

 徳永氏は前回衆院選での比例復活が確定した際、「野党統一候補でやらしていただいたことについて充実感は持っている」と語った。これに対し、共に闘った共産党は「滋賀における野党共闘発展の大きな力になる」と祝意を表明した。

 徳永氏は今回の離党届提出を受け、前回衆院選で「徳永久志」と書いた約7万2千人について「その思いを受け止めて頑張る」と語り、議員辞職を否定した。しかし、その人たちの中に、少なからぬ数の共産党支持者がいる点を、どう思うのだろうか。

 徳永氏は今回の自身の行動について、もっと具体的な説明をした上で、混乱を起こした責任を改めてわび、潔く議員辞職すべきだ。あの理屈っぽい語り口の徳永氏のキャラクターならば、そうした方が長年の地元支援者たちの理解が得られ、新しい道が切り開かれるだろう。


飯竹恒一(いいたけ・こういち)
フリーランス通訳者・翻訳者
朝日新聞社でパリ勤務など国際報道に携わり、英字版の取材記者やデスクも務めた。東京に加え、岡山、秋田、長野、滋賀でも勤務。その経験を早期退職後、通訳や翻訳に生かしている。全国通訳案内士(英語・フランス語)。


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