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本棚ーなんども読むnoteー

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読みながら涙が出たnote、ニヤニヤが止まらなかったnote、誰かにおすすめしたいnote。本棚に並べておきたいnoteたち。
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2020年9月の記事一覧

大事なことはTwitterには書かれていない

Twitterをやめた。ものすごくスッキリした気分だ。別れたいけど別れられない恋人と別れた時のような。 きっかけは、コロナ禍が始まって以降、私の周りの人たち、特にものを書く人たちの間でTwitterをやめる人が増えたことだ。ジェーン・スーさんも同じようなことを呟かれていたけど、 皆一様に同じことを言い、やめたあとにはスッキリした顔をしていた。「やめた」と言っても、Twitterはアカウントを消した後も30日以内ならやめた時の状態で復活できるので、消しては30日以内に一瞬だ

違うグレーに染まっていきたい

親友というものがずっと羨ましかった。 小学生の頃、ちびまる子ちゃんに出てくる大野くんと杉山くんの関係性や、キャプテン翼の翼と岬くんの関係性に憧れた。
 当時の僕は、恐れを知らなかったからか、初めてのクラスメイトでも「おれ水口、友達にならない?」と軽々言えたものだ。 特に仲の良い友人とは、学校が終わった後、いつもの公園で「オレたち親友だよな!」なんて語り合うこともあった。 憧れに近づくためにいちいち関係性を定義して、安心していたのだろう。 ただ、無敵の精神状態は長く続かな

元彼を思い続ける私の14年は、正しかったのかどうか問題

便器から顔をあげて「つら…」と口に出していた。 その瞬間ひさびさに、いやもうこんなの10年ぶりくらいに、 「つらいな?」と感じた私が選んだこの14年は正しかったんだろうか。 正しかったんですかね。正しかったのかな。どうしたらよかったんだろ。 誰か教えて欲しい教えてくださいほんとお願い教えて欲しいな。 先月はじめて本が出て「元彼を14年も引きずってる件」について取材されるたび「失恋は無理に忘れようとせず一生引きずればいいと思うんです」とか語ってきたが本当にそうだろうか。今目

なりたい自分、ありたい自分。

若いころの自分に教えてあげられたらなあ、と本気で思う。 ぼくは24歳のとき、フリーランスになった。上京からおよそ半年、右も左もわからないまま、東京に知り合いと呼べるほどの知り合いもいないまま、フリーランスになった。そして、これが(SNSのなかった時代の)ライターの厄介なところなのだけれど、フリーランスのライターに「横のつながり」はほとんどなかった。仕事で付き合うのは編集者やカメラマン、あとはデザイナーばかりで、そういう知人・友人・恩人ばかりが増えていった。尊敬できる編集者、

いつも「かっこいいね」と言ってくれた、“清水おじいちゃん”へ

今日は、振休だった。いつもよりもゆっくり起きて、どこに行こうかなと思っていた矢先だった。母さんからLINEがきていた。何かあったのかなと思って見てみたら、息が止まってしまった。 なんてことだ。 地元の清水にいるおじいちゃん(僕はずっと「清水おじいちゃん」と呼んでいた)が、亡くなってしまった。母方のおじいちゃんだ。 8月末に「体調がわるくなってきた」と連絡をもらったから、おじいちゃんとLINEで電話したのが8月29日のこと。あれからたった数日間で、この世からいなくなってし

CRAZYから独立した、私の告白。森へみんなへ。

まだ何も書いてないのに、タイトルと写真を入れただけで涙が出そうだ。会社を辞めて半年。その後のこともあれこれ気になってしまいそうだから、なるべく顔を突っ込まないようにと思っていた…が、結局のところ私は一時的に奄美大島で、CRAZYのことも過去のことも思い出す暇もなく、過ごせなかった日々を取り戻すかのように、ただ娘と毎日を暮らすことに没頭していた。会社について、新しい事業もオフィスの移転もなにも知らず、世間と同じようにSNSやプレスリリースを読んで知るような日々。見事かな私は、未

企画がやりたくて入社したけど、配属は総務だった

 地方の支社に赴任して1ヶ月が経った頃、上司から会議室に呼ばれた。  「総務を中心にやってもらうからね」  担当業務を告げられた僕は、「はい、楽しみです!」と笑顔で平静を装って返事をしたけど、落胆で身体の力が抜けていくのを感じていた。  ”プランナー”や”ディレクター”みたいなカッコ良い肩書きの響きに憧れて、「企画」や「イベント」という仕事の華やかな部分に気を取られて就職活動をした。できる奴だとは周囲からあまり思われていなかったので、「驚かせてやりたい」「手の平を返させ