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下手くそが甲子園を目指した話 ③葛藤

【目次】
①覚悟
②転機
③葛藤

【最終章 葛藤】

メンバーは、背番号の発表を待たずともわかる。
夏が近づくにつれ、練習内容が実践向きになり、メンバーが大体固定されるからだ。
そして自分はそこから外されていた。

しかし、最後の最後まで
わからんぞ!諦めんぞ!と
わかっている現実に背いて練習を繰り返していた。
ここから背番号が与えられることはないと、お前は無理だよと皆から思われているにも関わらず。
夏の大会仕様になっていく実践練習の中に入れない。
その時点で決定的だ。
そこから溢れた3年生10数名は、みんな空元気。
練習の締めの、実践ノック。
おれたちは、そのノックを外された。その外で、その練習を傍観しながら、もはやもう意味もない素振りを繰り返していた。

ベンチ外を告げられたのは、これまた、ある雨の日だった。雨天練習場で、当落線上から外された3年生が集められた。監督からこれまでにない優しい表情で、「よく頑張った。これからはサポートに回ってほしい」という主旨のことが伝えられた。

平然を装う。「余裕っしょ!」ってね。
いつもの調子にのってる感じを忘れずに。
何事もなかったかのように、皆といつも通り喋り。
早く一人になりたいと心では思いながら、その気持ちを押さえ、いつも通り皆に「お疲れー!」と一声かけ、帰った。

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誰もがやらないくらい本気の本気でやれば、夢とか想いって、叶うかもしれない。
そうなんとなく信じていた。
奇跡もおこるんじゃないかと思ってた。

どこかの有名人がいう「やればできる」とか、漫画で描かれる「努力すれば夢は叶う」という甘い言葉を純粋に信じて。

そもそも凡人のおれにできることは、努力だけ。その努力では誰にも負けない。

おれは去年出会った名も知らないOBの先輩がいったように、やらなかった後悔だけはしたくなかった。そもそも凡人以下の俺にできることは努力だけ。そこで負けてはいけない。そして、おれはその先輩の言葉に何度も背中を押してもらった。本当にそのおかげで、この一年、おれはやりきった。そういえる。

勉強も全然していないし、恋愛だってれの字もしてないし、野球のセンスもないし、野球の頭もよくなかったけど、それだけはできたといえる。こどもながらに、一応人生かけてたつもりやったから。

だから、1ミリも後悔はなかった。

だけど、それだけやったのに、結局何も変わらなかった。それだけやっても、ベンチ入りという端から見たら脇役にしか見えない、そんなちっぽけな存在にすら、なることができなかった。

たったベンチ入り。端からみると、ベンチメンバーでさえ、下手くそという認識。青春の全てをかけても、それすらも叶わなかった

この世界は才能とセンスがすべてなのかと。

その絶望に打ちひしがれ、
その日以降、自分は投げやりになった。

やり場のないどうしよもないこの怒りみたいな感情を、消化できずに、幼くもぶつけちらし、態度に出した。そこから、今までドがつくほどマジメにやってきたが、何かの糸がぷつんと切れ、遊びのような雰囲気をあえて出して練習に望むようになった。

もうここでおれの野球人生は終わりなんだから。メンバーたちの試合なんて知ったこっちゃない。どうだっていい。

そして、「さっさと負ければいいのに…」と思うようになった。自分がメンバーとして選ばれないのに、甲子園に出ても、メンバーはちやほやされ、学校や地域で有名になっていく。ただでさえ惨めで、消えてなくなりたいくらい恥ずかしいのに、これ以上に卑屈な日々を送ることになる。そんなことになるのなら、負けた方がいいと、本気で思うようになった。

ベンチ入りすらできない選手は、本気を出したにも関わらず、敗北を喫した負け組集団。青春全て捧げたにも関わらず、ベンチ入りすらできなかった、かわいそうな能力のない人ということを、学校の人たち、地元の人たち、全国の人たちに知らしめるだけだ。くそかっこわるいし、くそ恥ずかしい。こんな醜態を晒したくない。

だから、さっさと負けろと。。

そういう自分とは対照的に、メンバー入りしているヤツら、特に主要レギュラーたちは執拗に「メンバー外の3年生のために」と言ってくれていた。あんだけきつい練習を乗り越えたにも関わらず、試合に出るチャンスすらもらえないその無念さを理解してくれようとしていた。メンバー外の3年生のために、俺達は絶対に甲子園出場を決めないといけないと言ってくれていた

だけど、本当に自分達のことを思うなら、出ないでくれよ、負けてくれよと本気で思っていた。おれにこれ以上みじめな思いをさせないでくれよと。。。

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その後、
正式に背番号が発表された。
メンバーに外れたことを、親には内緒にしていた。
そして親もそのことについて聞いてこなかった。
背番号をもらえたメンバーは地元の新聞にのる。
父親は、その新聞のメンバー表を見て、「入れなかったか」と半笑いの声で、独り言っぽく、でも俺には聞こえるように言った。
親は、自分が試合なんて一切出れないのに、毎回試合を見に来てくれていた。
そういう親をせめて、喜ばせたかったなと思う。
おれも「あーうん。そりゃ無理よ。」って親に余計な心遣いをさせまいと、あたかも傷ついていないかのように平然と言った。

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いよいよ夏が始まった。

しかし自分は負けた方がいいという思いをかき消すことができずにいた。

自分はレフトのボールボーイという役を自ら勝手出て、スタンド応援は避けていた。レフトのボールボーイなら誰にも気づかれずにすむからだった。雑用や試合前ノックの手伝いなどで、メンバーたちと帯同できる。スタンド応援なんて惨めすぎるからやってられない。

自分達の高校は、秋と春どちらも優勝していたため、優勝候補筆頭だった。あらゆる雑誌の下馬評でも1番か2番あたりだった。だから、特別なアクシデントがなく普通にいけば、上の方まで勝ち上がれる

しかし、チームはいきなりアクシデントに見舞われた。エースが試合直前に、腰の負傷を訴えたのだ。そこで急遽、先発は2年で唯一ベンチ入りしていた選手になった。

嫌な雰囲気が漂う。

そして、初回にツーランホームランを打たれ先制を許した。
完全に何か波乱が起きそうな展開だったが、やっぱりウチのチームは強かった
すぐさま勝ち越し、そのまま6対4で逃げ切った。

急なアクシデントを乗り切ったこの勝ちは大きかった。

次回からなんとか対策を練れる。
エースの森下は病院で検査を受け、県大会後半からは投げれる見込みがたった。次の3回戦は森下なしで挑むことになったが、投手の準備も万端だった。
次の3回戦相手も、普通にやれば勝てる相手。事実2軍相手でも勝利をおさめていた。
だから、とりあえず森下のためにも、勝ち上がるぞと、チームの結束はさらに高まった。

3回戦。
相手エースの調子が抜群で攻めあぐねていた。
そして、2番手3番手投手が要所を締めていたが、チャンスをモノにされ先制を許す。
終盤になっても2点のリードを許す展開だった。かなり嫌な展開。
レフトのファウルゾーンで一人。自分は見守るしかないわけだが、「マジか」と固唾を飲みながら見守っていた。

終盤になってもなかなか打ち崩せず、リードを許す展開に、負けろと思っていた自分も、さすがに違った感情が出始める。

さすがにこんな奴らに負けるのは嫌だなと。恋愛とか遊んだりする暇があるような、そこそこの覚悟で、夏近くになってようやく本気になって、俺達は甲子園行くぞと、やればできるぞって、意気込んで、声を出して盛り上がっている連中に負けるのはむかつく。

レギュラーは死ぬほど頑張ってたのをしっているし、監督だって人生かけてやってるのは感じている。実力と姿勢ともに、こんなチームにこんなところで負けていいわけない。

だがその一方で勝ち上がることへの嫌悪もある。勝ち進んだり、甲子園に出ると、自分の醜態をさらすことになるのは嫌だ。

とはいえ、自分が何を思おうと、このチームがどうなるかは変わらない。自分が何を思おうが、試合は関係なく進む。見守るしかない。

時はすすみ、9回裏。
2対3でリードされているが、1アウト満塁のチャンスを作った。
ここで代打、見事下克上を果たした三木。下手くそ軍団の一員ながらも、新チームになってからレギュラー候補までに成り上がったおれらのヒーローだ。
そいつの得意な逆方向へのライナー性の当たりを見せたがギリギリきれてファウル。
カウントは2-2。
しかし高めのボール球に手が出て、そのまま空振り三振。

2アウト満塁。

次の打者は、1番センター山本。
俊足好打の1番バッター。身体能力が化け物。気持ちも強い。
山本ならやってくれる。
持ち前の積極性で、ライト線のツーベース。
と思いきや、またファウル。
追い込まれる。
そして、サードの後方に力のないフライの打球が上がり、そのままサードがキャッチし、試合終了。

相手チームからもの凄い歓声がわく。
相手チームの校歌が流れ、相手のエースは泣いて、喜んでいた。

おれがベンチに戻ると、ベンチの片付けが始まっており、ベンチ奥のロッカーで皆集まっていた。自分はこれまでにたくさんの悲しい思いをしてきたから、泣けないのではと思っていたが、あまりの号泣に渦につられて涙が出てきた。

グランドに帰るとさっそく、荷物整理が始まった。今までお世話になった部室を片付ける。

その中、例年通り、新チームの練習は既にスタートしていた。

すべての荷物を片付けて、練習中のところ、首脳陣と3年生でベンチ前に集まった。

どこかの熱闘甲子園のように、テレビ映えするような感動的な話や言葉などはない。
「申し訳なかった。わしの責任や。」

これだけ言って、即解散。

本当にあっけなく、自分たちの高校野球は終わった。

しかしそこに寂しさはなかった。

正直、こうはなりたくなかったけど、こうなってもよかった、それが本当だった。きれい事を言うつもりはない。

こうなった以上、それはそれでよかったと思った。

野球なんか嫌いになったし、もうこれ以上野球のことについて考えたくなかった。

そんな状態で、自分の高校野球は終わった。

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自分は高校野球をそこで引退したが、今考えれば、その後もまだ高校野球をやっていたのかもしれないと、思う。

自分は高校野球を引退後、新たな挑戦を始めた。
休み方を忘れていたのもあるが、引退後すぐに、何かに取り憑かれたかのように、勉強をしていた。多分、この辛い過去を早く忘れたかったのだと思う。みっともない自分を、いち早く新しい自分に塗り替えたかったのだと思う。

そして1年半後、目標とする大学に合格し、ようやく高校野球は終わったのだと思う。

明徳義塾の馬淵監督が、こんなことを言っていた。

「監督にとっての勝利は、甲子園で勝つことじゃないと僕は思ってるんです。確かにそれは嬉しいです。でも本当の監督の勝利っていうのは、選手が引退してから、これからの人生で辛い厳しい壁にぶち当たったときに、あのときの練習に比べたら楽だなと、そう思わせたときだと思うんです。」

そういう意味では、監督は見事に勝利をあげているといえる。引退後自分は何度も監督に救われているし、高校野球に救われている。それは今だってそう。これからだってそうなのかもしれない。

映画とかドラマのような青春とは無縁だったけど
野球に全てを費やすことになったけど、
このしわくちゃなオッサンと、家族より濃い時間を過ごした仲間と、高校野球できてよかったと今さらながに思う。

おわり。

最後まで読んでくださってありがとうございました。

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